第16話 あの子が水着に着替えたら えくすとらすてーじ! その2
「ね、
「
横合いから耳を疑いたくなる言葉が飛んできた。
写真を撮る。
何の写真を……なんて問い返したりはしなかった。
どう考えても被写体は綾乃。それ以外の解釈の余地はなかった。
その綾乃は、今はほとんど裸同然の水着しか身に着けていなくて。
ここは大樹の部屋で、今は夜で、そして何より……ふたりきりだった。
置かれている状況をひとつひとつ並べ立てていくと、とんでもないことになっていた。
「な、なんでそうなる!?」
「さっき言ったでしょ。大樹をメチャクチャにするって」
「はぁ?」
「だからメチャクチャにするの。私以外の女の子なんて目に入らないようにしてあげる」
「いや……あのな、綾乃。まずは落ち着け」
「私は冷静だから。大樹が言ったように、私はあの女に嫉妬してる。私の大樹が別の女にデレデレしてるところを見せられて我慢なんてできない。だから上書きするの」
「上書き」
「そう、上書き。大樹の頭の中を私で一杯にするの。ああいうものを見てしたいって思うこと、全部」
「……いや、今でも全部お前に置き換わるんだけどな、勝手に」
「……」
「……」
「……えっち」
そっと顔を背けながらも、身体は隠さない。
背筋を反らして背中で腕を組んで、胸を張って。
あからさまに白い肌を、その柔らかさを大樹に見せつけてくる。
『頭の中を一杯にする』『上書きする』『メチャクチャにする』なんて言葉どおりに。
……今のままで十分すぎるほどにメチャクチャになっているのだが。
「その言葉、そっくりそのまま返すわ」
「む~、大樹」
「……何だよ?」
「写真撮るの、怖い?」
「それは……」
言葉に詰まった。
肯定したも同然だった。
『写真を撮って』と言われて頷けない。
これだけエロい綾乃を前にして動けない。
その不自然の理由を、ただのひと言で喝破された。
「ホントは……私を安心させてほしいの」
「綾乃?」
「さっき、私に言ったよね。『好きにしろ』『好きなだけ傷つけろ』って。私、大樹が好き。大樹をあきらめるなんて絶対に嫌。大樹に甘えて仕事も続けたい。私たちが恋人同士になったなら、きっとこれからも写真を撮る機会はあると思う。ううん、ずっと大樹には私を撮ってもらいたい。ふたりで、私たちだけの写真集を作りたいなって。でも……カメラを構えるだけで大樹が苦しむようなら、そんなことできないよね」
「綾乃……それは……」
「私を撮って、大樹。これから、ここで、このカメラで。私に言ってくれた言葉が嘘じゃないって、トラウマなんて乗り越えるって、どれだけ傷ついても大丈夫だって……ちゃんと私に見せて。お願い……信じさせて」
「綾乃……」
素直に首を縦に振れなかった。
彼女の言葉は時として大樹の身体を勝手に操るほどの力があるのに、今はその超能力めいたパワーは発揮されていない。
あくまで、彼女は大樹の意思を求めている。
――当たり前、だよな……
心の中で独り言ちる。
『好きなだけ傷つけろ』なんて大見得を切った。
でも……きっと現実と向かい合った時のダメージは想像を絶する。
たかが一度の撮影会でカメラを構えることもできないほどのトラウマを植え付けられてしまっているなら、確かに綾乃が安心できる要素はどこにもない。
嫉妬がどうとか記憶を上書きとか、それは大して重要な話ではないのだ。
多分。
「綾乃、俺は……俺は……ッ」
『
特段に己を卑下するつもりはないが、特段に己を過信することもない。
能力云々の問題ではなく精神的な成熟性とでも表現すべきか……つまるところ自制心には自信がない。
肌も露わな彼女とふたりきり。
自分の部屋で、もう夜で。
しかも、すでに至近距離。
息遣いが聞こえる。触れていなくとも体温を感じる。
そういう状況なのだ。大樹は健全な高校生男子なのだ。
「……大樹、こっち見て」
煩悶する大樹を余所に、綾乃はベッドに横たわっていた。
大樹の部屋で、大樹のベッドに横たわっていた。
ほとんど生まれたままの姿で。
何かを訴えかけるような、きらめく瞳。
甘く、そして熱い吐息を零す、桃色の唇。
わずかに朱を差した白い肌が描く、男の本能を揺さぶる曲線。
それは、それは……夢にまで見た光景だった。
生まれてこの方ついぞ身に覚えがないほどの興奮を覚えた。
理性も理屈も投げ捨てた、生の欲望がせり上がってくる。
手の中のカメラが邪魔だった。
こんなもの放り出してメチャクチャにしたい。
綾乃が大樹をメチャクチャにするように。
大樹も綾乃をメチャクチャにしたい。
綾乃は……きっと拒否しない。
確信があった。
同時に撮影会を彷彿とさせるシチュエーションに背筋が凍った。
自分から申し込みをして、やる気満々で乗り込んで、そしてロクにシャッターを切ることができなかった。
痛恨の思い出が、キリキリと胸の内を締め付けてくる。
「大樹……」
興奮と恐怖。
相反する感情に挟まれた大樹に向けられた声が、最後のひと押しとなった。
声は震えていた。
目の前に寝そべる綾乃もまた、勇気を振り絞っている。
――普通に撮るだけなら、何とかなりそうなんだがなぁ。
どこかの街とか、公園とか。
海でも山でも遊園地でもいい。
デートの思い出を残すために写真を撮る。
とてもありふれたシチュエーションに違いない。
それではダメなのだ。
震えながらも大樹を誘惑してくれる綾乃が求めている答えにならない。
彼女が求めているのは、実際のところ写真ではなく覚悟だった。
あるいは、恋人の大言壮語を受け入れるだけの証拠だった。
カメラを掴んだまま大きく息を吸い込んで、思いっきり吐き出した。
顔が熱い。胸の奥が熱い。頭が熱い。心が昂りを覚えている。
当たり前だった。
求めてやまなかった綾乃が目の前にいるのだ。
その感動を、興奮を隠さなくていい。
思うままに欲望をぶつけていい。
本人が許可しているのだ。
ならば――
「撮るよ。思いっきり撮ってやるよ。こんなことでお前に心配かけたくねーからな」
『察する』とか『わかって』とか、勝手な思い込みとか期待の押し付けとか。
近しい関係ゆえの甘えは良くないと話し合ったばかりだった。
だから、大樹はあえて口にした。
「うん……ありがと」
「バカ、礼を言うのは俺の方だ。カッコ悪くてすまんな」
「大丈夫。気にしてないから」
「……カッコ悪いのは否定しないんだな」
「それはまぁ……その、うん」
「ま、確かにカッコ悪いわな」
大樹は綾乃を求めた。恋し合っているのに別れるなんて嫌だと駄々をこねた。
お互いに傷つけ合うことになろうとも好きにしろと綾乃に言ったのだ。
大樹は綾乃の背中を押したいのであって、足を引っ張りたいわけではない。
この程度のことをやってのけることすらできないのでは、綾乃は不安を払しょくできない。まったくもって道理だった。
だから――やるのだ。
今、ここで、綾乃を撮るのだ。
自分のために。
綾乃のために。
カメラを握る手に力が籠った。
「うん。あ、ちょっと待って」
「何だよ、撮れって言ったり待てって言ったり。わけわかんねーんだけど」
『撮ってやる、撮ってやるぞ』と息巻いたところに、いきなりストップがかかる。
前のめりにずっこけかけた。
胸に抱いた決意のやり場に、とても困る。
恨みがまし気に綾乃を見やると、綾乃は大樹に背を向けてスマートフォンとにらめっこしていた。
相変わらず寝っ転がったまま。
無防備に晒された白い背中が眩しくて、ついつい手が伸びそうになる。
「スマホなんか見て何やってんの?」
「あ~、やっぱり。メイクがぐちゃぐちゃ」
疑問の声を無視した綾乃は、大樹の枕に顔を埋めた。
カメラの自撮りモードで顔をチェックしていたようだ。
「あんだけ泣いたら、そりゃそうなるだろ」
「気付いてたんなら言ってよ、もう!」
デリカシーなさすぎ。
詰る綾乃の声に理不尽を感じずにはいられなかった。
あくまで推測に過ぎなかったが……面と向かって直接告げていたら、きっと綾乃はさらなる怒りを爆発させていたに違いない。
「メイク直してくるから待ってて」
「お前、ほんと変わったよなぁ。そういうの気になる?」
昔はずっとすっぴんだったくせに。
メイクとか興味ないどころか、そっち系の話題で盛り上がる連中に冷ややかな眼差しを向けていたくせに。
「なるに決まってるでしょ。それくらい察しろ!」
「さっきそういうのはナシにしようって言ってたやつがいた気がする。ちゃんと話し合おうとか言ってたような気もする」
『察して』『わかった(つもり)』に注意しよう。
ふたりで誓い合った記憶は新しすぎる。
会話対話の重要性について、認識を共有した記憶まである。
「それとこれとは話が違うの、バカ!」
「あ~はいはい……って、ちょっと待て、綾乃!」
可愛らしく罵られてニヤつきかけて――顔面が引きつった。
「……何?」
「何ってお前、どこに行く気だ?」
勢い良く身体を跳ね上げてベッドから飛び降り(目の前で色々なところが揺れた。凄かった)、部屋の入り口に向かう綾乃の背に、問いを投げかけずにはいられなかった。
あと少し声が遅かったら大惨事待ったなしの状況なのに――当の本人はきょとんと首を傾げていた。
「どこって洗面所に決まってるじゃない」
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