第25話 2




 晴香の職場は三時にも十五分の休憩時間がある。頑張ってこの会社に入って良かったさすが大企業、と前に葛城にそう話をしたら若干呆れられた。いやでもこういう細かな休憩があるから仕事の効率が上がるんですよ、と熱く語った事もあるがそれも軽く流されている。ひどい話だ。そんな記憶を蘇らせつつ、マグカップに淹れた紅茶を自分のデスクで飲んでいると総務課の二人がひょっこりと姿を見せる。遠藤と、もう一人は誰だったか。たしか自分が移動した後に総務課に配属された人だったような? そう考えているとそのまま二人が近付いてきた。


「社内メール便でーす」

「あ、お疲れさまですー」


 受け取りつつ晴香は胸元の名札をチラリと見る。橋口さん、と頭の中で反芻しつつニコリと微笑んだ。


「橋口さんも遠藤さんも二人でどうしたの?」


 二人がかりで来るような要件ではないはずだ。短すぎるわけではないが、それでも長いと言うほどでもない休憩時間にわざわざ持ってきた理由はなんであるのか。晴香の問いに遠藤が苦笑する。その横で橋口が少し興奮気味に口を開いた。


「ねえねえ日吉さん、葛城さんの彼女って知ってる?」

「かっ……の、じょ……!?」


 不意打ち過ぎて上擦った声になってしまったが、そんな晴香の様子に遠藤は「ほらあ」とさらに苦笑を深める。


「日吉さんもビックリしてるし、だから知らないってば。そもそもデマかもしれない話だし」

「デマじゃないって! 葛城さん本人が彼女が待ってるからって言ってたって聞いたし!」

「それ自体がデマって言うか、飲み会断るための葛城さんの嘘ってこと」


 ええー、と橋口はその答えに不満を漏らす。晴香はひたすら無言を貫く。ここは迂闊に口を開いてはいけない。


「日吉さん的にはどう思う!?」

「……どう、とは……?」

「葛城さんの彼女! 本当にいると思う? それとも嘘?」

「ど……どうかなあ?」


 視線が泳ぎそうになるのを「考えているフリ」でなんとか誤魔化す。そんな晴香に向けて遠藤が援護射撃を飛ばす。


「嘘だと思うわよ? 葛城さんあんまり飲み会とか来たがらないからその口実だろうし、それに彼女持ちなら日曜に日吉さんとデートしたりしないって」

「デート!?」

「先輩が!?」

「え、なんでそこで日吉さんまで驚くの? 一昨日に会ったじゃない」


 あ、そうでしたね、と晴香は冷や汗に体を震わせながら頷いた。


「二人して休日出勤っていう」

「わーほんと三課って忙しいのね」

「いや……あれはまあ……あ、そうだ遠藤さんありがとうね。パンケーキ美味しかった」

「でしょー! あそこの美味しいのよね! 気に入ってもらえたならよかったわ」

「なんだあ、じゃあほんとうに葛城さんが飲み会断るための嘘か……残念」

「あ、そこは残念なんだ」


 自分が付き合いたいとかではないんだ、と不思議がる晴香に橋口は「イケメンは遠くで見るに限るのよ」と言い切る。横で遠藤も大きく頷いているので晴香もつい気圧されてコクリと首を縦に動かす。


「でもそれじゃあ日吉さんは? 日吉さんもフリーなの?」

「ん?」

「彼氏とかいないのかなって」

「いないよー」

「好きな人もいないの?」

「いないねえ」


 橋口と遠藤の問いに晴香はどちらも笑って答える。


「今は先輩と仕事してるのが楽しいから」

「――そりゃよかった」


 突如沸いた声に三人揃って肩が跳ねた。ちょうど晴香を囲むようにして立っていた遠藤と橋口にしてみれば背後から、晴香にとっては正面ではあるけれども、座っていたために二人の奥には気付かなかった。


「ちょい悪いけど少し避けてもらっていいか?」

「あー! すみません邪魔でしたよね!」


 橋口が慌てて遠藤にくっつく。二人で通路を塞いでいたために、晴香の隣りである葛城のデスクまでの道を邪魔していた。壁に軽く肩を寄せていた葛城は身を起こすと「ありがとな」と二人に笑みを向ける。イケメンの爽やかな笑顔に橋口がきゃあ、とはしゃいでいるが晴香はそれどころではない。

 ヤバイ、先輩の機嫌がすこぶるヤバイ。パッと見は特に不機嫌そうにはないが、これは確実に怒られるパターンのやつ、と晴香の鼓動は速くなる一方だ。いつから話を聞かれていたのか。全部か、全部聞かれてたっぽい? でも昨日怒られた「先輩に彼女がいる」って所は覚えてたしそもそもなにも言ってないからこれセーフ? セーフでしょ!? などと必死に言い訳を考える晴香を余所に、葛城達の間で話は進んでいく。


「それと、コイツ借りてっても?」

「どうぞどうぞ!」

「私たちもそろそろ戻りますね! メール便見たらいつもの回収ボックスに入れておいてくださーい」

「おう。あ、それと遠藤、日曜はありがとうな。貰った券で俺も食べたけど美味かったよ」

「葛城さんにも気に入ってもらえたなら私も嬉しいです。私の彼氏もあのお店のだったら甘い物も好きなんですよ」

「彼氏さんにも伝えといてくれ」

「はーい」


 それじゃあ、と去って行く橋口と遠藤に「わたしも連れてって」と晴香は思わず手を伸ばす。しかしそれより先に葛城に肩を掴まれ「第三会議室までちょい面貸せ」とにこやかに脅されてしまえば、是と返すしかなかった。






 マグカップを片付けビクビクしながら会議室へ向かった晴香を待ち構えていたのは、夕方から出向く営業先へのサンプル詰めを手伝えとの仕事の中身だった。


「これって今度新しくテナントで入る所のですか?」

「そうだ。椿から紹介してもらってのやつだから、渡せる物があるなら渡しておきたい」


 ペン類からノート類、ファンシー文具やらなにやらとゴチャゴチャに入っている箱からそれぞれを取り出し、セット組をしては袋に入れていく。


「先輩これ持って出た後はそのまま直帰なんですよね?」

「ああ。先方の都合でどうしても夕方になるから、話つけたらそのまま飯にでもって流れになってる」

「了解です。そしたら朝に言われてた書類の確認は明日お願いしますね」

「おう」


 葛城が持ってきたサンプル用の品はそうたいした数ではなかったので、そんな会話をしていれば程なくして終わった。良かった、と一息吐く晴香に向かい「ところで」と葛城がサンプルを大きめの紙袋に入れながら口を開く。


「お前さっき完全に忘れてただろ」

「え? なにをですか?」

「彼氏ができたってこと」

「私に彼氏なんていないで……す、と、言うとでも?」

「日吉ぃ……」

「いや! ちょっとこれは弁明をさせてください!」

「どうせあれだろ、俺に彼女がいるってことを覚えておくのに必死になりすぎて、自分に彼氏ができたってのまで覚える余裕がないんです、とでも言うんだろ?」

「一言一句わたしの考えが筒抜けなんですが!?」

「どうしてお前の頭はそうなんだ! 普通そこを別にして覚えるか!? ってかそもそも覚えるとかそう言う話じゃねえだろ! この脳みそ三キロバイトが!」

「三キロバイトなんてテキスト入力しかできないじゃないですか! ちゃんとテラまで容量あります!」

「容量あっても中身カスッカスじゃねえか」

「それはあれですよほらデータがインストールされてないから」

「じゃあインストールしてやるよ」


 言葉と同時に晴香の体は作業をしていた机と葛城の間に挟まれた。え、と固まる晴香に葛城は殊更笑顔を浮かべる。


「お前に選択肢を三つやるからそこから選べ。明日の仕事が終わってから俺とラブホに行って二人揃って朝帰りで会社に来るか、俺の家に行ってお前だけ朝帰りになるか、俺をお前の家に呼んでひとまずお前は着替えられる状況にするか」

「な……んですかその三択! しかも中身がそれって!?」

「本当なら今日の所なんだが俺が動けねえから明日だ」

「だから先輩、その中身が」

「俺に彼女ができたってのは覚えられるようになったんだろ? だったら明日はお前に彼氏ができたってのを覚えられるように教え込んでやるよ」


 土曜の夜みたいにな、と告げる顔がもう凶悪すぎて晴香の口からは自然と「ひえええ」と声が漏れる。土曜の夜とは即ちあの恥ずかしすぎる中身だ。それが、また、明日! と晴香はブンブンと首を横に振る。なんとか阻止しなければいけない。先輩の顔からしてあれの比ではない様な羞恥を味わう羽目になる、と懸命に頭を動かせばポンと浮かぶ名案。


「……四番目のそれぞれ自宅に帰るというのは」


 得てしてこういう展開で浮かぶ考えに碌な物はなく、案の定葛城の笑顔が凄味を増す。


「よーし明日はラブホ行くぞそういやお前初めてだろ奮発してやるから喜べ」

「あああああ先輩我が家へ! 狭いですが我が家へドウゾ!!」


 二人揃って朝帰りなど一番避けねばならないルートである。晴香はそう判断をし、葛城相手に自宅への招待状を繰り出した。が、それが見事なまでの間違いであったと当日まで気付く事はなかった。

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