第55話 大地も空も切り裂いて
“音”を頼りに、私は真恋と須黒くんの居場所を探る。
と言っても、耳をすませば聞こえてくる――なんて生ぬるいものではなく、刀と拳がぶつかりあう音はいたるところで鳴り響き、そのたびにホテル全体が大きく揺れていた。
なので探すというよりは、追いかける、といった方が正しいかもしれない。
壁や天井にはいくつも穴があいており、二人が通り過ぎていったであろうルートがはっきりと見えた。
そして穴の向こうで、またしても別の壁が破壊され、そこから須黒くんのものと思われる拳が突き出す。
さらにその直後、真恋が放ったであろう斬撃が同じ壁を切断し、それを避けた須黒くんが穴の向こうから姿を現す。
私は一旦、瓦礫の影に身を潜めて様子を見た。
「ははっ、楽しいな倉金真恋! お前もそうだろう、このような体験そうそうできるものじゃあないッ!」
繰り出される須黒くんの拳を、真恋は斬撃で迎撃する。
人間の腕と、正真正銘の真剣――本来は打ち合えるものではない。
だがぶつかるたびに火花を散らし、弾き合うその様は、確かに到底普通の世界で味わえる経験ではなかった。
「戯れで戦うつもりはない。これは命を賭けた殺し合いだ、須黒ッ!」
「そうか、お前は俺の同類だと思ってたんだがな――いや、違って当然か」
何かを言おうとする須黒くんの口を塞ぐように、真恋の周囲に無数の刀が浮かび上がる。
一斉に斬りかかってくるその刀を前に、須黒くんは「ウオォォオオオオッ!」と雄たけびをあげた。
悔しげな表情を浮かべる真恋は、刀で身を守りながら後退する。
すると須黒くんの体から何らかの力場が放たれ、真恋が生み出した幻影の刃を全て砕いた。
無論、彼女自身にも衝撃は及び、まるで刀の上から殴られたように後方に滑った。
須黒くんは間髪をいれずに、相手に掴みかかる。
対する真恋は、腰を落として強力な斬り上げを放った。
だが彼女の斬撃は、須黒くんの手のひらに受け止められる。
さすがに無傷とはいかないが、血を流した彼は痛がるどころか笑っていた。
「捕まえた」
「今のを受け止めるのか――!」
刀から手を離せばいいものの、しかし何らかの事情で真恋はそうできなかった。
おそらく須黒くんのスキルによるものだろう。
「うおぉぉおおおおッ!」
そのまま、彼は刀ごと真恋の体をぶん投げた。
彼女はまるで重さを失ったように軽々と宙を舞い、銃弾のような速度で壁に激突。
一枚目の壁を貫通して減速しながらも、なおも飛ばされ次の壁を砕きめり込んだところで止まった。
「か……がふっ、ぐ……馬鹿げた、力だ……!」
床に落ちた彼女は傷を癒やし、再び立ち上がる。
しかし魔法を使うのにわずかにためらったところを見るに、あまりMPは残されていないようだ。
それにしても――須黒くんのやつ、殴ったり突進するだけじゃなくて、相手を投げたりもするんだ。
しかも今の感じだと、一度捕まったら逃げられない。
パワーや体力にステータスを振ってそうな真恋でも一撃であの有様だ。
私なんかがあれを受けたら、壁に叩きつけられてそのまま死んじゃってたかも。
そして須黒くんはゆっくりと瓦礫を踏みしめながら、真恋に近づく。
「戦いが楽しくないのなら、何のために剣の道を選んだんだ」
「性に合っていると思った」
「違うな」
彼は断言する。
まるで何かを知っているかのように。
「倉金真恋、お前は自己を持たないのが怖かったんだろう。いくら優秀に育とうとも、自分が他人が敷いたレールの上を走っているだけ。それが嫌で仕方なかったんだ。俺にもその気持ちはよくわかる」
「……大木に何を吹き込まれた」
「お前の家庭事情を軽く聞いただけだ。ちなみに――瀬田口は生きているぞ」
「何っ!?」
瀬田口って……確か、島川優也がいた三年のクラスを受け持ってた教師だよね。
いけすかないおじさんだった記憶がある。
真恋ってばやけに驚いてるけど、あの男と何か関係があるの?
「大木と連絡を取り合っていた。おそらく上の階層にいるのだろうな」
「しぶとい男だ」
「嬉しくないのか? あれはお前の――」
「……黙れ、須黒」
真恋の目つきが急に鋭くなる。
遠くで見てる私まで寒気を感じるほど、強い殺気を彼女は放った。
「心地よい闘志だ。惜しいな、迷いの中にいなければ俺との戦いをもっと楽しめたものを」
「たとえ全てが解決しようとも、貴様と同類になるつもりはない。何度でも言う。私が剣の道を選んだのは自分自身で望んだからだ」
「迷いがあるのは認めるのか。まあ、瀬田口に関しては、あいつも儀式の中核的存在だったはず。校長とも近く、戒世教でも幹部扱いだったと大木は話していた。今頃、俺たちと同じように曦儡宮の力を受け取って浮かれているんじゃないか」
ということは、上にもそれが曦儡宮の力なんかじゃないって気付いてないお馬鹿さんがいるってこと?
それはいいことを聞いたなあ。
ぜひそこまでたどり着いて、ネタバラシをした上で悔しがってるところを殺してやりたい。
三年の担任してた時点で碌でもない人間なんだし、戒世教の関係者って時点で生きてる価値なんて無いんだから。
さて、そろそろ――
「さて、そろそろ決着をつけるとするか。白町を一人で戦わせておくのは、友人として薄情だからな」
「私を殺せるつもりでいるのか」
「強がりは表情でわかる。魔法の打ち止めはもう近い。俺の鎧を貫く方法もそう多くは無く、その全てを見抜かれ止められている。違うか?」
そう言いながら、須黒くんは真恋に近づいていく。
あー、真恋が悔しそうな顔してる。
それはそれで見てて楽しいんだけど、今はどちらかというと須黒くんにその顔をさせたいかなあ。
「つまらん決着ではあるな。俺はお前より力で勝っている自信がある。しかし技ではお前の方が上だ。素手と刀という差はあれど、その点においてお前に劣っていることは戦う中で十分に理解した」
「気遣いなど不要だ」
「違う。レベルだの魔法だのとお遊戯じみた概念が、純粋な闘争の邪魔をしていると感じたんだ。生き延びるために力を使う必要のあった倉金真恋と、化物に囲まれながら命を奪い合う歓びに浸っていた須黒陸斗。そこに大きな差が生まれてしまった。単純な鍛錬や才能の差ではない。本来ありえない要素が、俺たちの戦いに水を差している」
外の世界でも、ストリートでの戦いで腕を磨いていたという須黒くん。
彼からしてみれば、確かにスキルだの魔法だのという概念はインチキに見えるだろう。
というか私もそう思ってる。
それはある意味で平等で、またある意味で理不尽な力だ。
肉体を鍛えるというより、いかに化物を多く、効率的に倒したかが問われる。
そういう意味では、1階から命がけで逃げてきた私たちより、ずっとこのホテルを拠点にキャストと殴り合えた須黒くんの方がずっと有利なわけだ。
「命を賭けた戦いを楽しめているが、惜しいな。あと少しで完璧だったんだが」
真恋の瞳が揺れている。
次の一撃は防げる。
だがそれを防いだとして、次はどうする。
傷を癒やす魔力はさほど残っておらず、傷を負い鈍った体で須黒くんと戦うのは難しい。
けれどここで死ぬわけにはいかない――そんなことを考えてるのかな。
そしてわずかに口が動く。
声にはならなかったけど、私にはそれが『麗花』と呼んでいるように見えた。
なんだ、両想いなんじゃん。
「アレウスカノン」
須黒くんは大きく右腕を振りかぶる。
そしてそこに込められた力を、前に突き出すと同時に放出――しようとした。
しかし、静かに接近する私の存在に、寸前で気づく。
「倉金かッ!」
こちらを見る前から、どうやら須黒くんは気配で私を私だと判別してたみたいだ。
きっとそれはカイギョに与えられた力なんかじゃない。
化け物じみた野生の勘。
そして振り返りながら、アレウスカノンは低い姿勢で接近する私に放たれる。
けど体勢に無理がある。
威力は不十分だし、狙いも甘い。
高く飛び上がり、頭上から相手を狙う。
足元に須黒くんの拳が突き刺さる。
床は完全に破砕され、大きな穴が空く。
ホテル全体も激しく揺れて、ぱらぱらといたるところで瓦礫が落ちた。
もう倒壊も近いな――そんなことを考えながら、両手でドリーマーを握った。
すると、須黒くんはもう一方の手を振り上げ、私に掴みかかる。
けど腕が届く距離じゃない。
スキル?
そう直感した瞬間、私の体がぐいっと引き寄せられる。
やっぱりそうだ、無理やり自分の射程内に引きずり込むつもりらしい。
だったら――あえて飛び込んでやる。
「メテオダイブッ!」
隕石のように、須黒くんに向かって勢いよく落下する。
そして彼の腕と衝突した途端に、ゴォオオッ! と衝撃波が生じて、周囲の壁を吹き飛ばした。
須黒くんの引力も相まって、大木に放ったときよりも勢いがある――はずなのに。
「俺とやり合える“お前”が、この世に存在している事実に心が躍る」
彼は受け止めた。
大木のように足場が崩れて威力が逃げるわけでもなく、ただ腕を震わせ、両足を踏ん張る程度で。
これでも、威力としては他のスキルよりずっと強いはずなんだけどな。
「次が来るぞ、逃げろ依里花ッ!」
真恋が大声で叫んだ。
須黒くんの右手が私に伸ばされる。
迫る腕を見ただけで寒気がする。
捕まったら死ぬ――そう感じ、ソードダンスによる移動ですぐさま彼の背後に回ると、
「フルメタルエッジッ!」
絶対貫通の刃で、その横腹を斬りつけた。
おそらく私のナイフでは絶対に貫けない鎧に、まるで硬さを失ったように刃が沈んでいく。
傷が発する熱と、ナイフから伝わる冷たさに驚愕した須黒くんは、振り向きざまに雑に腕を振り払った。
といっても風圧でふっとばされる程度の威力はあり、直撃する前に私は彼から離れ、真恋の隣に立つ。
「あの鎧を貫いたのか?」
この場で一番驚いているのは真恋だった。
「そのために覚えてきたスキルだからね。もうちょっと深く行きたかったんだけど」
須黒くんは傷口に手を当て、血で汚れた手のひらを顔の前に持ってくると、嬉しそうに微笑した。
「そうか、理不尽には理不尽で対応すればいい。曦儡宮も一方的なバランスにはしないつもりのようだな」
「傷、治さないでいいの?」
「構わん、痛みは戦いの象徴だ。感じていると気分が高揚する」
「ドM変態誘拐犯」
「ひどい言われようだな」
これぐらい言う権利はあると思う。
というか、須黒くんが言われるべき立場っていうか。
「真恋、とにかく私の攻撃が鍵だから、どうにか急所に当てられるように協力して」
「冷却時間を稼げばいいのだな」
「そういうこと。しんどかったら下がってね、さっき負けかけてたし」
「いちいち余計な嫌味を言うな」
「溜まり溜まったものがあるから我慢してよ。本当は私、真恋のことだって殺したいぐらい憎んでるんだよ?」
「それはそうだが……」
「その“わかってる”みたいな顔もムカつく。まあ、どうせ隠し事してるってことは知ってるから、そのうち暴いてやるけどッ!」
軽く挨拶代わりの口喧嘩をしつつ、私はイリュージョンダガーで須黒くんを牽制する。
すると彼は、ハエでも散らすように手で軽く振り払った。
「そのような玩具を投げたところで意味は無い」
「だったら数で攻める! フルバーストッ!」
「無駄だ」
ありったけのナイフを投げつける。
だがそれも、右腕を一度振り払うだけで大半がはたき落とされてしまった。
たぶんスキルか何かを使ったんだと思うけど――ほんとどうなってんのあれ。
するといつの間にか、私の隣からは真恋の姿が消えていた。
そして今は須黒くんの背後にいる。
「挟み撃ちなら防げまい!」
真恋の渾身の一撃は――深めの傷を鎧に残すのが限界だった。
「防ぐ必要もなかったな」
そして須黒くんは刀に手を伸ばす。
真恋はとっさに刃を引くと、“見えない斬撃”でその手を牽制した。
わずかに弾かれた隙に、入れ替わる形で私が次の攻撃を繰り出す。
「フルムーンッ!」
一瞬で連続して斬りつけてみても、
「弱い」
ほぼ無傷で受けられた上に、振り下ろされた拳が床を砕き、飛散した瓦礫が肌を裂く。
「望月ッ!」
さらに入れ替わって真恋が攻撃を繰り出すも、やはりそれも大したダメージを与えられない。
「温い!」
振り返りざまに振るう裏拳は強烈な風を巻き起こし、真恋を吹き飛ばした。
壁に激突する前にそんな彼女の体を受け止める。
「ほんと、とんでもないやつだね」
「異常な力を持っているとわかってもらえたか」
「負けた言い訳?」
「だからいちいち苛立つようなことを――!」
前方から須黒くんが迫る。
突き出された拳を、私たちは刀とナイフを交差させて受け止めた。
「いいコンビネーションだ」
「嬉しくないね」
「ああ、まったくだ」
私たちは互いに苦笑いを浮かべる。
そして掴みかかってきた左腕をくぐり抜け、相手の懐に入り込んだ。
今なら行ける――
「ウォォオオオオオオッ!」
すると、須黒くんが吼えた。
さっきから、体からオーラみたいなのを出して攻撃してるのは見たけど――これは違う。
体が痺れて、動かない。
それはほんの一瞬の出来事ではあったけど、それは致命的な一瞬だった。
「ようやく掴まえたぞ――アレウスカノン!」
必殺の一撃が、私の眼前に迫る。
「依里花ぁっ!」
真恋がまるで私の身を案じるように叫んだ。
けどこの距離じゃ、できるだけ強いスキルをぶつけて威力を軽減させるので精一杯だ。
もちろん須黒くんほどのパワーを出せるスキルなんてそうそう無い。
「ぎ、あが……ッ!」
頭どころか、全身が強烈にシェイクされて意識が真っ白になる。
一瞬だけふわっと気持ちよくなったかと思えば、その直後に体中から突き刺すような強烈な痛みがこみ上げてきた。
体に力が入らない。
骨が折れている。
内臓もぐちゃぐちゃだ。
よく生きてるって自分を褒めてあげたいぐらい。
っていうか私、今飛んでる?
それもわからないぐらい、脳みそがどっかにぶっ飛んでったような気分だった。
「マルスチャージ!」
けど須黒くんの攻勢はまだ止まらない。
力場を纏ったタックルで吹き飛ばした私に追撃をかけると、さらに私の脚を付かんで振り回しはじめた。
「トールハンマァァァァッ!」
このまま叩きつけるつもりなんだ。
ああ、さすがにそれはまずいなあ。
回復して傷は塞げるけど、これを受けたらたぶん、HP全部残ってても即死する。
つか掴まれてる足首、それだけで千切れそうなぐらい痛いし。
いっそ千切れてくれたら生き延びられたりして――あ、そうだ。
ぼやけた視界の中、私は一縷の望みを賭けて真恋に視線を送る。
「逃げろ、依里花あぁぁッ!」
なんだか姉を慕う妹みたいに必死の形相で叫ぶ真恋。
そんな情とか合った?
彼女と目があった直後、私は自分の脚に目を向ける。
これで伝わったかな。
「はぁぁぁあああッ!」
すると、真恋がその場で刀を振り下ろす。
そこから放たれた刃が、掴まれた私の脚を断ち切った。
躊躇とか無いんだ。
いや、無いなら無いでいいんだけど。
というか慣れたとはいえ……さすがに脚をぶった切られるのは痛いなあ。
「はっ、そう来たか! いいぞ倉金、いい覚悟だ!」
そしてまた喜んでるし。
その顔嫌いなんだって、殴られたときのこと思い出して胃が痛くなるから。
でも須黒くんの攻撃を中断できたおかげで、いい隙が出来た。
「今度こそ……フルメタルエッジ、でッ!」
今度は背後から脇腹に突き刺す。
「そのボロボロの体では大した傷など」
もちろん須黒くんは振り払ってくる。
けど鎧に穴が空いた時点で目的は果たした。
素早く引き抜くと、もう一方のナイフで別のスキルを放つ。
「もう一発――ショックウェイブ!」
フルメタルエッジのおかげで開いた傷にナイフを突き刺し、内部に直接衝撃を伝搬させる。
斬撃というよりは、超振動により相手の内臓を破壊するのがこの攻撃だ。
須黒くんは口から大量の血を吐き出し、体をぐらつかせた。
「がふっ……今のは、効いた……ッ!」
「真恋、あとは頼んだ!」
ここまで須黒くんを足止めしてくれたのは真恋だし、最後は譲ろうと思う。
最後と言っても、どうせまだ完全に終わりってわけじゃないんだし。
真恋はちょうどこっちに走ってきてて、その勢いを刀に乗せて、狙いを定める。
「命を抉り取れ――十六夜!」
そして須黒くんの数メートル手前で急加速。
一瞬で肉薄すると、ナイフがこじ開けた鎧の傷に、刀を突き刺した。
ズドォンッ! とまるで爆弾が内側で炸裂したような音が響く。
そして全体に亀裂が生じた。
鎧が頑丈すぎるから、本来は外に溢れ出すはずの衝撃が内側にとどまってしまったんだ。
おそらく、あの中身はミキサーにかけられたようにぐちゃぐちゃになっているに違いない。
真恋が血だらけの刀を引き抜くと、須黒くんは両膝を床についてうなだれる。
「が、ごほっ……が、ぶふっ……」
どろどろとした血が口や鼻から流れ出す。
「まだ生きているのか」
驚異的な生命力だ。
本来ならとっくに死んで、化け物になってなきゃおかしいのに。
「でも回復しようとしない」
「無駄……だから、だ。げほっ、ごふっ」
血を吐き出しながら、彼は答えた。
無駄……回復するのが無駄ってこと? 使えない、ではなくて?
要するにそれって――
「回復を受け付けない代わりに強いとか、そういうやつ?」
「ああ、そういうこと、だ」
「だからあれだけの力と耐久性を両立できていたのか」
確かに、ヒーリングが使えないというのはかなりの不利だ。
それを補って余りあるほど、馬鹿げた強さだったけど。
「だが……はは、これで俺は……高みに、行けるんだろう……?」
「化物になるだけだけど」
「姿かたちなど……意味は、無い。ただ、強く……強くなれるのなら……」
「安心して須黒くん。そっちもすぐに私たちが倒して、大して強くないって教えてあげるから。がっかりしたまま、人でなしとして死んでね」
彼は返事をすることはなく、さらに大量の血を吐き出して、そのまま動かなくなった。
「終わったのか」
「前半戦はって感じかな。しかし嫌なやつ、私のこといじめて、夢実ちゃんをあんな目に合わせておいて、ただ戦うことを楽しんでる。こういうやつ、どうやったら罰せると思う?」
「私にはわからん。突き抜けた人間は、欲望が真っ直ぐで満たしやすいからな」
「羨ましい?」
「なぜそのようなことを聞く」
「そんな顔をしてたから」
真恋の眉はへの字になってて、今にも泣き出しそうだった。
不安そう、なのかな。
まあ真恋が何を考えてるかなんてぜんぜんわからないけど。
「……そうだな。自分が何者なのかを知っているという点においては、羨ましいのかもしれん」
「不思議だね。奪った真恋が迷ってて、奪われた私はやりたいことがはっきりしてる。あれ、何のためにやってたの?」
「母親に聞けばわかるさ」
「えー、面倒くさいなあ。顔を思い出すだけでも吐き気がするのに」
「それは私も同じだ」
「真恋のそれは贅沢。愛されてるんだから、責任持ってちゃんと娘をやり遂げないと」
「いっそ麗花のところに嫁ぐか」
「日屋見さんなら本当に貰ってくれそうだから怖いなあ。っていうかさ、お母さんがどうこう言ってるけど、じゃあ須黒くんが言ってた、瀬田口先生の話って何なの?」
「聞いていたのだな」
「聞こえちゃった」
「私と瀬田口は知り合いだったというだけだ」
「生きてるってことは、あいつも戒世教の関係者だよね。実は真恋も信者だったりして」
「それは無い」
食い気味に断言されてしまった。
これは本当に無さそうだ。
「でもさ、お母さんが戒世教の信者だってこと知ってて、瀬田口先生っていう幹部と付き合いがあって。これで無関係って厳しくない?」
「私は事実を話しているだけだ。私自身が戒世教の一員になったことは一度も無い」
「そっか。じゃあ真恋は何を隠してるの?」
「何のことだ」
「1階にいたときから、真恋はまだなにか隠してるなと思ってた。で、ここに来て瀬田口先生の名前が出てきた。関係ありそうじゃん?」
「……」
「何で私の方をじっと見るかな」
「貴様も無関係ではないからだ」
「瀬田口先生と、私が?」
私があの人について知ってることなんて、顔と名前ぐらいのもの。
三年の担任をしてるって話も、島川くんとかと知り合ったから始めて知ったぐらいなのに。
「あの男が生きているのなら、じきにわかるだろう」
「上に行けばってことね。というか何気に、ここを脱出しても外に出られないってことが確定しちゃったじゃん」
「元々学校は3階建てだ。次が最後かもしれんぞ」
「だったらいいんだけど……お、須黒くん出てきたよ」
須黒くんの死体の内側――要するに鎧に包まれた部分が、ぼこぼこと膨らんでいる。
まるで内側から殴りつけてるみたいだ。
あの鎧を壊せるってことは、それだけ強いってことになる。
「今度は二人でも厳しいかもしれんぞ。なにか対策はあるのか」
「まとめて吹っ飛ばす」
「どうやって」
「じきにこんな狭いところで戦う必要も無くなるんだし。そのために大砲も準備してきたんだから」
「大砲?」
同じ2階のどこかから、銃と魔法を打ち合う音がする。
そして化物になった須黒くんが
「グウゥゥオオオオオオオオオッ!」
「でかいな……ゾンビの正統なる進化とでも形容すべきか」
ただ叫び声を響かせるだけで周囲は震え、脆くなった建物全体がぐらぐらと揺れる。
もうこのホテルは限界だった。
足元が崩れはじめ、さらにその崩壊は全体へと伝わっていく。
「真恋、外に逃げるよ。そこで仕切り直し!」
「ああ、それがよさそうだな」
倒壊に巻き込まれないよう、外に逃げ出す私と真恋。
すると突如として天井に穴があき、上から日屋見さんと令愛が振ってきた。
私たちはそれぞれ両腕で受け止める。
「これは運命的な出会いだね。どうしようか、結婚するかい?」
「考えておくよ」
「おっと、予想外の答えだ。姫のようにときめいてしまう」
アホなやり取りをする日屋見さんと真恋。
一方で令愛は、
「えへへ……ありがと」
「う、うん」
顔を赤くしながらはにかんだ。
私もうまく答えられない。
あと顔が熱い。
ああもう、逃げないといけないんだからこんなことしてる場合じゃないって!
後ろから中見さんは追ってきてない。
落ちたときに見失ったのかな。
私たちは二人を抱えたまま、外に向かって飛び出した。
下にはすでにギィ、ネムシア、そして井上さんが待っている。
「白町は足止めしておいたわ、このまま崩落に巻き込まれるはずよ」
地面に着地すると同時に、井上さんはそう言った。
直後、今までで一番大きな崩壊が起きる。
ホテルの八割ほどが崩れ落ち、そこに残ったのは原型を留めていない残骸だけだった。
抱えていた令愛を降ろす。
それと同じタイミングで、瓦礫を見ながらギィがつぶやいた。
「これであいつらも死ねばいいのに」
「怪我はするかもしれないけど、そんなヤワじゃないかもね」
「グゥ、わかってる」
瓦礫の崩落なんて、私たちのスキルよりの威力の数分の一程度しかない。
あれしきで死ぬわけがないのだ。
三体の化物がホテルの瓦礫を押しのけ姿を現す。
見るからに凶悪な爪を両腕に生やした白い腐敗人狼、中見さん。
腕に無数の銃口を持つスケルトン、白町くん。
そして身長3メートルを越える筋肉達磨ゾンビ、須黒くん。
人間を辞めて醜い姿になった敗北者トリオがこうして並ぶと、なかなかに壮観だ。
本人たちはまだ戦って、ここから“勝つ”つもりでいるみたいだけど――試しに中見さんに話でも聞いてみようか。
「中見さーん、私の言葉はわかるー?」
「知性はそのまま残っておりますので、そのような小馬鹿にした口調でなくとも伝わります」
「ならよかった。体が完全に化物になったってことは、“わかった”んじゃない?」
「何のことでございましょう」
あれ……狂信者っぽい中見さんなら、正体がカイギョって知って怒り狂いそうなものだけど。
もしかして島川くんや緋芦さんと違って、彼女たちはそれすら教えてもらってないってこと?
最後まで騙されて、騙されて、死ぬ間際にでも知っちゃうってこと?
はは、それもいいね。いいアイデアだと思うよ。
「知らないならいいや。じゃあネムシア、やっちゃおうか」
「うむ、せっかくこうして外に出てきたのだからな。威力が高すぎて巻き込む心配もせんでいい。思いきりやらせてもらおう」
ネムシアは杖を構え、瓦礫の上に立つ三人に向けた。
「やらせるかよ!」
白町が両手を前に突き出し、発砲を始める。
すかさず私はネムシアの前に立ち、放たれた銃弾を斬り落とした。
「まあまあ、大人しく見てなよ白町くん」
「オーバーキャストとトリプルキャストの重ねがけ、加えてマジックマスターでMP消費を踏み倒し! 受けよ、我の高貴なる魔法を!」
踏み倒してる時点で高貴かどうかはさておき、強力なことに変わりはない。
「ストォォォォォムッ!」
影響を与える範囲が広すぎて、屋内では使えなかった魔法が発動する。
ストーム――それは文字通り、嵐を巻き起こす魔法だ。
降り注ぐ雨、吹きすさぶ風、瓦礫は舞い上がり、そして無数の竜巻が遊園地の遊具を巻き込みながら敵に迫る。
しかも、オーバーキャストで威力が上がり、トリプルキャストを使っているから数は三倍だ。
取り囲んだ竜巻の群れに呑み込まれ、やがて三体の化物の姿は見えなくなった。
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