第39話 ようこそ夢の国へ
ひょっとすると、大木が令愛にそうしていたように、私たちのスマホにも細工が施されていたのかもしれない。
私たちが駆け落ちすることを事前に察知したクラスの連中は、それを好機と見て行動を開始した。
集堂くんを中心とするグループは私を暴行し、夢実ちゃんは裏切ったのだと告げ私の心を曇らせる。
曦儡宮の生贄としてより相応しい魂になるために。
そして大木を中心とするグループは夢実ちゃんを拉致し、学校まで連れ込んだ。
郁成夢実は、曦儡宮降臨のための儀式の“核”として、非常に適正の高い贄だった。
それは彼女の両親が戒世教の信者であり、胎児だった頃に曦儡宮の一部を投与されていたことが理由として大きい。
戒世教の行う儀式により、以前から曦儡宮の肉体の一部だけはこの世に顕現していた。
それが大木や中見が使っていた、あの顔を変える黒い物体のことだ。
そしてそれを胎児に投与することで、その子供は他の人間と比べて高い能力を得る。
基本的にそうやって育った子供は、戒世教の幹部候補となるわけだが――夢実ちゃんには、とある事情があった。
それは、彼女の両親が手に入れた曦儡宮の一部が、“正規ルート”で入手されたわけではない、いわば“違法曦儡宮”とでも呼ぶべき存在だったことだ。
曦儡宮は、彼らにとってはいわば神の一部。
選ばれた、すぐれた信者にしか与えられない貴重な物質。
そんなものを、ただの信者だった夢実ちゃんの両親が手に入れられるわけもなく――おそらく大金を支払い、不正なルートで入手したのだろう。
そのせいで、夢実ちゃんは教団から幹部候補として認識されていないわけだ。
だから光乃宮学園で、いじめの被害を受けた。
しかしそれが良かった。
優れた能力を持つ子供ということは、曦儡宮降臨の生贄としても優れているということ。
過去に生贄として学校に埋められ、儀式の術式の一部となった生徒たちとは違う――巨大な儀式の中核と成りうる存在。
夢実ちゃんは
だから誘拐されて、この学園の地下にある祭壇に幽閉された。
誘拐初日、まず夢実ちゃんは手足を切断された。
この時、可能な限り麻酔は使わなかったらしい。
彼女の中にある憎しみを増幅させるためだ。
現状でも十分に曦儡宮降臨の核として利用できる素質はあったが、儀式の安定性を高めるためには、より夢実ちゃんを苦しめる必要があったのだという。
その際の悲鳴がパソコンに記録されているとの記述があった。
この世に顕現した曦儡宮の一部は、エネルギー補給の方法が無いため徐々に弱っていく。
だがこういった人間の新鮮な悲鳴を聞くと、わずかに元気を取り戻すそうで、そのために録音するらしい。
特に夢実ちゃんは贄としての適性が高いこともあって、曦儡宮は大喜びしていたという。
ファイルを読み上げるのを中断して、私はふらりとパソコンに近づく。
途中でネムシアが体を支えてくれた。
「お主、汗がすごいぞ? 一度休憩したほうが――」
椅子に腰掛ける。
そこに置かれているのはノートパソコンで、まだバッテリーが残っているからか普通に起動できた。
パスワードは、マヌケなことに近くの付箋に書かれていて、簡単にログインもできる。
中にあるファイルを探る。
“悲鳴”と書かれたフォルダには、さまざまな生徒たちの声が記録されていた。
七瀬朝魅の名前もある。
それを開いてみると、屋上から突き落とされたときの彼女の声と、地面に叩きつけられて絶命する瞬間までの音が記録されていた。
胃袋から何かがこみ上げてくる。
お腹に力を入れてぐっと抑え込んだ。
郁成夢実の名前を探す。
すると新たなフォルダを発見した。
単一のファイルじゃない――郁成夢実1、郁成夢実2、と番号付けされた複数の音声ファイルが保存されている。
一番目を再生する。
『どうしてこんなことするのっ! 嫌いなら関わらなければいい! 私たちは、二人で遠くに行きたかっただけなのにっ!』
『依里花ちゃんはどこ? 依里花ちゃんをどうしたのっ! やめてよ、どうしてそこまでして傷つける必要があるのっ! 私、あなたたちのことを絶対に許さないから!』
『なにそれ……やめて、なんでそんなもの……いやっ、いやあぁあぁあああああっ! ひ、がひいぃいいっ、いだいっ、い、ぎいぃいいっ!』
『だ、誰かっ、誰かたすけてぇえええっ! 依里花ちゃっ、ひっ、おとーさ、おかーさぁんっ! もうやぁぁあああああっ!』
ギュイィィィ! と電動工具のような音と、血が飛び散る音、そして夢実ちゃんの悲鳴が混ざりあった音が室内に響き渡る。
「う……ぶ、うぇえぇっ……!」
「お、おい依里花っ!? むぅ……この容器を使うのだ」
廊下が洞窟みたいな作りになってるから、やたらと反響して臨場感があった。
『ぎ、が、おごぉおおおっ! ご、ひゅっ、えりか、ちゃ……ぎゃあぁぁああああっ!』
「おえぇえぇっ……えっぷ、う、ぐ」
「もう良いだろう! もう十分だ!」
『いやっ、もういやぁっ、やめでえぇえっ……やめ……ひ、う、あぁ……!』
「まだ……まだ1個目だから……足りない、ぜんぜん足りない……ッ!」
「依里花っ!」
心臓が痛い。
脳が弾けそうだ。
魂が砕けそう。
涙が出て、鼻水も涎も垂れ流して、胃の中身を全部ぶちまけて。
でも、そんな苦しみに何の意味がある?
私の苦しみを1としたら、夢実ちゃんのは10000000000000はある。いやもっとだ。
だからだからだからッ、まだ、まだ、私はすべてを見届けなければならない!
「ファイル……10個ある、から。全部聞くから、それまでネムシアは外に出てて……いいよ」
次々と私は再生していく。
残された生々しい声を。
いつしかお父さん、お母さんと呼ばなくなった夢実ちゃんの声を。
知ったんだろうか。
実は両親が自分を誘拐し、拷問した連中の仲間だということを。
そして私の名前を彼女はいつまでも呼び続けた。
私の動画を見せられたときも。
髪をすべて切り落とされ、脳を開かれたときも。
自分に成りすました人物が侮辱的な内容を私に送ったと知ったときも。
眼球を引き抜かれたときも。
私はそこにいた。
だから当事者だ。
私は、他人ではない、すべてを知らなければならない、私は、すべてを――
「ああぁぁぁあああああああああああああああッ!」
私はドリーマーを左手に突き刺した。
飛び散った血が顔に付着する。
痛みに体がこわばる。
「……っ」
もうネムシアは何も言わなかった。
仕方ない、だってこれは正当な断罪だ。
私のやつ、この期に及んでもう聞きたくないとか脳の片隅で思い始めたから。
もう十分とか言い始めて、再生を止めようとしたから。
突き刺すしかないのだ。
これ以上ふざけたことを言うな倉金依里花。
次は殺す。
お前であっても殺すッ!
『えりか……ちゃ……』
「夢実ちゃん……」
『えりか……ちゃん……いき、て……』
「夢実ちゃん、夢実ちゃん、夢実ちゃん、夢実ちゃん、夢実ちゃん、夢実ちゃん、夢実ちゃぁあああん!」
聞いたよ、最後まで。
あなたの声。
あなたの苦痛。
たぶん1/10000000000ぐらいは理解できた。
席を立つ。
ファイルの前に戻る。
再び続きを見る。
私が集堂くんを殺したあの日、ついに儀式は行われた。
その頃には夢実ちゃんは手足を切断され、生命維持に必要な最低限の臓器のみが残され、頭は開かれ脳の一部も切り取られていたという。
意識もほとんど無かったが、体に繋がれた無数の管のうちの一つから、“人に悪夢を見せる”物質を投与していたため、常に脳は極度のストレス状態にあった。
こうして完全なる生贄となった郁成夢実。
そして学校に埋め込まれた無数の死体によって作られた術式により、曦儡宮はこの世に降臨する。
だが――ファイルの最後に、手書きで奇妙な文面が残されていた。
どうやら儀式が成功した直後、曦儡宮に祝福を受けるべく教師たちはこの地下室から上に向かったようだ。
そして一度上がったあと、ここに戻ってきた者がいる。
彼はこう綴った。
『あれは本当に曦儡宮なのか』
『あれは本当に我々が呼び出したものなのか』
『だとしたら、なぜ私の体は腐っている』
『神聖なる光がすべてを浄化し、真なる世界への扉が開くのではなかったのか』
『曦儡宮は人の闇を食らう存在。闇と対なる存在であるからこそ、この世に光をもたらすはずのに』
『ただの途中経過に過ぎないのだろうか。私は焦っているだけだろうか。しかし』
『我々がたどり着いたこの世界は、まるで人の心の闇が具現化した地獄のようだ』
そこには罪人の後悔がにじみ出ていて、そこでようやく私は笑った。
笑って、笑って、立ち上がって、「うあ゛あぁぁぁああああああああああッ!」自分の腹に、ドリーマーを突き刺した。
冷たい刃が、「あ゛ぁぁっ! うぐ、がっ、おおぉおおおおッ!」夢実ちゃんの名前を冠した断罪器官が私の内臓をかき混ぜる。
「やめよ依里花っ! そんなことをしてもっ、何の意味もっ!?」気持ちよかった。
私に必要な痛みが与えられて、私は自分の心が満たされていくのを感じた。
駄目だ「うぶっ、う、ぐ、おぉおおおっ!」、満足しても意味がない「ああぁぁっ、ひゅ、ひ、ぎいぃいいっ!」。でも断罪は必要で。
どうしたらいい夢実ちゃん「そのようなことをしても夢実は何も満足せぬ!」。
どうしたらいいの、私。「死なないと……倉金依里花は、死ななきゃいけないっ!」
私は私を許せない、「だから言っておるだろう、夢実は望んでおらぬと!」こんな私っ、「だけどっ、だけどぉおっ!」死ななきゃ許すことなんて――
「我を見よ、依里花ッ! なぜ我は泣いておると思う!?」
「ぅ……なぜっ、て……」
「確かに同情はしたが、我は女王、そう容易く涙を流す立場の人間ではない。これはつまり、我の中に残る郁成夢実が泣いておるということだ。せっかく無事に依里花が生き残っているのに、自ら命を奪うような真似をするから!」
「夢実……ちゃん、が……?」
「そうだ! その……この体には、おそらく郁成夢実の一番重要な部分は残っておらぬ。いるのは我だけだ。しかしっ、お主と過ごした日々はこの体に染み付いておる。だから泣くのだ。これは夢実の涙なのだ」
「……でも」
私は腹にドリーマーを突き刺したまま、ぽすんと椅子に座る。
ずしりとした痛みが腹から全身に広がり、口から血がごぷりと溢れた。
「げほっ……ぐ、ぷっ……でも、わたし、わたしは、許せない」
「ああ、許せぬな。彼奴らのやったことは絶対に許されぬ」
「憎い。私は、夢実ちゃんを憎んでた自分が憎い……!」
「そう思うように戒世教は動いておったのだろう」
「どうして気づけなかったの……夢実ちゃんのこと信じてれば、私、私はぁっ……!」
「人間一人の力などたかが知れておる。今、こうして気づけただけでもお主は立派だ」
「そう、かな……」
「うむ、そうに決まっておる。だからその刃で己を傷つけるのはやめよ。己に向ける怒りの分も、すべて彼奴らに向けるべきだ」
「……ああ、そうだね。自分で自分を憎んでも、ただすり減るだけだ」
私は知っている、自分の無価値さを。
そんな人間が裁かれたところで、自己満足以外の何の意味があるというのか。
価値ある人間を殺してこそだ。
暴力が、意味を持つのは。
そういう意味では、私を苦しめることに全力を注いでいたあのクラスの連中はあまりに愚かだ。
何も得ることのない暴力に労力を注いだ挙げ句に、その価値ある命を私に奪われるのだから。
「夢実ちゃん……私、殺るよ」
決意を新たに。
まるで伝説の剣でも抜くように、私は自分の腹からドリーマーを引き抜いた。
そしてその血まみれの刃に頬ずりをする。
最初は嫌味ったらしい名前の武器だと思ったけど――
「あなたの刃で、あいつらを皆殺しにする」
今は、愛おしい。
◇◇◇
ヒーリングで傷を塞いだあと、廊下に戻る。
次に向かった二個目の部屋は、手術室のような場所だった。
ここで夢実ちゃんをはじめ、様々な人間が拷問を受けてきたのだろう。
そして廊下の突き当りにある一番大きな部屋は、祭壇である。
巨大な柱が四本そそり立ち、中央には謎の石像や石棺が置いてある。
「我はここで目を覚ましたのだ」
少し汚れた石棺の中を見ながらネムシアは言った。
夢実ちゃんは、生命維持装置に繋がれながら、ここに閉じ込められていたんだろう。
儀式当時も、多くの教師がここで曦儡宮の降臨を見守っていたと思われるが――今は見回しても人影はない。
だとすると、夢実ちゃんのファイルに手書きの文章を残した人物はどこに行ったのだろう。
さすがにこんな寂しい場所で死ぬのは怖くて、上に戻ったんだろうか。
また、天井を見上げると、人一人ぐらいが通れる穴が空いている。
「あの穴、どこに繋がってるんだろ」
「わからぬ。魔法を飛ばして確かめてみたりもしたが、射程範囲を越えてしまってな」
かなり深いらしい。
最初からあったのか、それとも儀式のあとに空いたのか。
少なくとも、現代の工具とかで開かれた穴にしては、妙に形がいびつだと思った。
そして最後に、ネムシアは廊下に戻ると、ある場所に案内してくれる。
「こっちにもはしごがあるんだ」
「うむ……こちらは腐っておらぬようだな」
「上に何があるの?」
「気味の悪い壁があってのう、昨日まではそれ以上進めなかった」
「それって……」
「我もお主と遭遇したフロアで似た壁を見つけてな、関連性を疑っておった」
「ネムシアもあの場所知ってたんだ。ってことは、このはしごを登れば二階行けるんじゃないの? 何でわざわざあっちの階段を使おうとしたの?」
「それは……だな」
もごもごと口ごもるネムシア。
何やら恥ずかしそうだ。
「どんどん化物も強くなっていって、魔法を使って逃げ回るのも限界を感じておった……だから、その……」
「仲間がほしくて私たちのこと尾けてた?」
「尾けておったわけではない! 地震に驚いて走り回っておったら、たまたま見かけただけだっ!」
「同じじゃん。早く声をかけてくれればよかったのに……まあ、おかげで助かったんだけど」
「二階に登った後で話しかけようとは思っておった」
「意外と人見知り?」
「我は女王であるぞ! そんなわけなかろう!」
元はシャイだけど、家族がいなくなったから頑張って女王様やってたんだろうな。
「何だその顔はぁ! ニヤニヤするでない! 不敬罪だ! 処刑だーっ!」
ぽかぽかと私を叩くネムシア。
やっぱりまだまだ年相応の一面もある、と。
「まったく……言っておくが、アドラシア王国で同じことをやったら本当に不敬罪で処刑されるからな? 忘れるでないぞ」
「わかった。遊びに行く時は注意する」
「うむ、それでよい。では登るぞ」
ネムシアが先にはしごを登っていく。
二階まで続いているだけあって、はしごはかなり長い。
元の私だったら途中でギブアップしてそうだ。
どうやら予想通り、例の気持ち悪い壁は無くなっていたようで、最上部で蓋を開くとその先には部屋があった。
薄暗い、少し埃っぽい空間――でも間違いなく学校の中だ。
部屋に入ったあと、蓋を閉じてみると、床と完全に一体化してしまい区別が付かなくなった。
これじゃあ知ってる人以外が気づくことはないわけだ。
「ここはどこなのだ?」
壁際にずらりと並んだ棚に目を通すと、教員向けの指導要綱などが並んでいた。
「職員室の奥にある資料室かも。生徒は絶対に入らないとこ」
「入り口を隠すにはうってつけの場所ということだな」
「かもね。とりあえず職員室に移動しよっか」
近くにあった扉を通り、隣の部屋へ。
そこにはデスクがずらりと並ぶ広い空間があった。
しかし人の気配は無い。
ここで一人ぐらいぶっ殺せたらよかったんだけど、そう簡単にはいかないか。
「広くて空気も澄んでおる、拠点に使っても良いかもしれぬな」
ネムシアの言葉にうなずきつつ、私は窓の外に視線を向けた。
そこには青い空と、緑の木々と、そして――
「ジェットコースター!?」
学校にはありえない遊具があった。
他の窓を見ると、そっちにはメリーゴーランドや観覧車が見える。
「あの珍妙な建設物は一体なんなのだ? どうやら動いておるようだが」
「遊園地、って言うの」
「ゆーえんち? 学舎の一部か」
「違うよ。お客さんがあの遊具に乗って楽しむ施設で、まったく別の場所」
そして、私と夢実ちゃんの思い出の場所。
……これって偶然なのかな。
「異なる別の土地が
「らしいね。校舎の二階が光乃宮ファンタジーランドに繋がってるなんて、夢の学校だね」
「どうやら客もおるようだが……」
もしかしたら外に出られたのかも、なんて希望的観測を抱かせる風景ではある。
けどあの“お客さん”の顔を見たら、すぐにそれが間違いだって気づけるはずだ。
「人間ではないのう」
「顔に大きな穴が空いてるもんねえ」
一応、洋服や外見は普通の日本人に近いし、学生から子連れの家族、老夫婦まで揃ってるんだけど――普通の人間は誰一人としていない。
光乃宮市民が愛してやまないファンタジーランドは、文字通り化物が徘徊するファンタジーな世界になってしまったようだった。
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