第15話 雨が降っている(3)

 「ああ、大林おおばやし

と先輩が言ったので、入って来たのはトロンボーンの大林千鶴ちづるか、と気づく。

 「清楚で健康な女子高校生の典型」という感じの子だ。

 「入って」

郷司ごうじ先輩が言うと、大林千鶴は入って来た。晶菜あきなと郷司先輩と千鶴とでだいたい正三角形になるように席に着く。

 晶菜にはこの大林千鶴という子の立ち位置がよくわからない。

 向坂部長の前の部長にとても気に入られていたという。でも、パーカッションの遠山先輩や低音の久喜先輩、グロッケンシュピールの堀先輩のように、いまの部長に反抗的かというと、そうでもない。

 隠れ反対派か、そうでもないのか。

 晶菜が千鶴を警戒していることがわかったのか。千鶴は晶菜に向かって笑って見せた。

 笑って見せたからと言って、警戒しなくていいことにはならないけど。

 「あ、いま、晶菜に、カラーガードの一年生の状態を聞こうとしてたところなんだけど」

と郷司先輩が大林千鶴に言う。

 「先にトロンボーンのこと、聞こうか。どう?」

 「はい」

 大林千鶴は模範生のように答える。

 「りゆ先輩は、「スワニーがわ」の前半は吹けると思います。それ以外はところどころだけですね」

 それはダメだと思う。

 「スワニー河」というのは一曲め「故郷の人びと」のことだ。曲はあと二曲ある。

 もっとも、カラーガードが言えた義理ではないが。

 りゆ先輩というのは、トロンボーンの三年生で、若林わかばやし理由りゆという先輩のことだろう。「理由」と書いて「りゆ」と読む。

 「じゃあ、ダメじゃん」

 郷司先輩が目を細くして笑う。

 トロンボーンの三年生は若林先輩しかいないから、この先輩が首席奏者だろう。伴奏トランペットは三年生がいても二年生の井川恵が首席だけど、これは例外だ。

 首席奏者はいちばん目立つフレーズを吹くから、首席が一曲めの途中までしか吹けなければそのパートのいちばん目立つ音が欠けることになる。

 大林千鶴もいっしょに笑った。

 「まあそうですけど、それは去年から対策ができてますから」

 「対策、って?」

 郷司先輩がきく。千鶴が答える。

 「はい。りゆ先輩が吹けなくなったところで、わたしが首席のフレーズに移る。そしてりゆ先輩は楽器を鳴らさずに全力で吹いているふりだけする、っていうのです」

 「なんだそれは?」

 郷司先輩はバカにしたように言った。千鶴もそれで怒ることはなく、いっしょに笑う。

 「で、ほかは?」

 千鶴が答える。

 「一年生は、気分が乗ったとき以外は不安定ですが、フレーズは単純なので、なんとかなるでしょう」

 郷司先輩がおもしろそうにきく。

 「で、その一年生って、どれぐらいの確率で、気分が乗るの?」

 「ごくたまに、ですけど」

 つまり、「ごくたま」以外の時間は概してダメということだ。

 トロンボーンは、この千鶴以外はダメ、ということらしいけど。

 自慢しているのか?

 そうでもなさそうだ。

 実際に、そういう状態なのだろう。

 「じゃ、ついで」

と郷司先輩がきく。

 「ほかの演奏系パートについては、どう?」

 千鶴は驚いたように目を見開いた。自分がそんなことを言わなければいけないとは思っていなかったのだろう。

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