第8話 出会い

 三年前。

 それは俺が義姉さんと初めて会った日だ。


「……なに、君」


 初めて会ったのは学校の屋上で、しかも授業中だった。


 俺の通う学校は中高一貫だから、中学の時も義姉さんは先輩にいた。

 当時は義姉さんではなく、『夕莉先輩』だ。

 その時も夕莉先輩の完璧美少女っぷりは噂になっていた。

 俺もここで会うまでは、見た目も中身も完璧な人なのだろうと思っていた。


 先輩は屋上の入り口の脇に座っていた。


「君、なんでここにいるの?」


 先輩は誰も見ていない所では、今とは印象が少し違った。

 髪は少しほつれていて、こっちを警戒するように見ている。どこか昏い雰囲気。

 俺はそれが夕莉先輩だとは気づかなかった。


「先輩こそ、何してるんですか?」

「なんでもいいでしょ」

「授業は出ないとだめですよ」

「…………さぼってる君がそれ言うの?」


 俺が真面目な雰囲気じゃないのを見て、先輩はふっと警戒を緩めて目を逸らした。


 その表情はとても疲れきったものに見えた。辛い時期の父さんがこんな顔をしていたような気がする。


「何しに来たの?」

「さぼりですよ。先輩と同じく」

「私はさぼりじゃないよ」

「ならすみません。俺の事は黙っててください」

「嘘だよ。ごめん。私もさぼりだし、言わないよ」


 その先輩は呆れるように笑った。

 それからふと息を吐いた。


「……あー。ついにばれちゃったか……」


 意味ありげな呟きは俺に聞かせるというよりは、思わず漏れてしまった独り言のようだった。


「ばれたらまずいんですか?」

「……君が黙ってるなら平気かな」

「なら大丈夫ですよ。俺友達いないんで」


 その時期、俺はまったく友達がいなかった。


 何かしたわけじゃない。でもなぜかよく話せる友人というのができなかった。自覚はないが、かなりひねくれていたのかもしれない。

 そのせいか、俺はたまに授業をさぼった。


 場所は毎回気分で選んでいた。この日も適当だ。

 屋上は鍵がかかっていると聞いていたから、本当は手前の踊り場で座っているつもりだった。


 でも試してみたらなぜか扉が開いて、ふと目を向けた先には疲れた様子の変な先輩がいた。


「へー……なんで友達いないの?」

「いや、俺が聞きたいですけどね」


 デリカシーの無い人だったか。

 俺は踵を返そうとする。


「あー、ごめんごめん、嘘! 謝る!」

「……いや気にしないですけど。邪魔だろうから別のとこ行こうかなって」

「邪魔じゃない、いいよ、ここ座って。一緒にさぼろ」


 ぽんぽんと自分の横のコンクリートを叩く。

 この変な先輩は何を考えているんだろう。


「えい」


 そんな風に悩んでいたら、腕を掴んで引っ張られた。

 よろけるようにして隣に座り込む。


「これで共犯ね」


 先輩がくすくすと笑った。

 笑うと可愛い人だなとその時に思った。


 その日から時折、時間を合わせて先輩とさぼるようになった。






 何回か会う中で、先輩の事情も知った。


「私、周りからは完璧な人だと思われてるの」


 その内にこの変な先輩と、よく話を聞く『夕莉先輩』というのが同一人物だとわかった。

 話の中での『夕莉先輩』はまさに完璧美少女という感じだった。勉強もできる。運動もできる。容姿もいい。人当たりもいい。信頼も厚い。


「それがすごく大変で」


 目の前の疲れた様子の先輩とは別人のようだった。


「学校では皆の期待に応えないとだし。家でもお父さんが色々言うし。お母さんは優しいけど……でも大変」


 家では父親から、学校では生徒や先生からの期待が降りかかる。

 その重圧は想像しづらい。俺は陰の薄い人間だから、注目とは無縁だ。


「君と体を交換できればなぁ」

「ぞっとしますね」

「ふふ、そうだね。えっちな事されそう」

「……しないですよ」

「え? そうなったらしてもいいよ? 私は気づかないわけだし」


 何を言ってるんだ。


「君は本当にいい子だね」


 俺の反応を見てか、くすくす笑われる。


「……先輩は変な人ですね」


 先輩はしばらく笑っていた。

 笑い終えてから少しして、ふと俺の顔を心配そうに覗き込んできた。


「……私って、君に迷惑かけてない?」

「急になんですか?」

「だって私ばっか喋ってるし」

「俺は話題無いんで、喋ってもらった方がいいですよ」

「そう? 私だけ得してるような気がして……」

「得?」


 俺が得になるような事をしているだろうか?


「君といるとすごく楽なの」

「そうなんですか?」

「気を張らなくていいからね」


 そんな事かと思う。でも先輩にとっては重要なのだろう。


「なら俺も先輩といられるので、得してますよ」

「え」


 冗談じみて言ったら、先輩が目を丸くした。


「居心地がいいってだけですよ」

「え、あ、うん。そ……そうだよね。でも……」


 何か別の意味にとってはいないかと思って補足する。

 でも、そう伝えてからも先輩は戸惑ったような顔をしていた。


「――私、完璧じゃないけど、大丈夫なの?」


 先輩を少し理解する。

 完璧を演じていない自分への評価が低いのだなと思う。


「俺は完璧じゃない先輩の方が好きですよ」

「え――」


 きょとんとして、それから顔を俯かせてじっと何かを考え出した。

 俺は黙っていた。あんまり口が上手いわけでもないし。


「そっか」


 先輩はやがて恥ずかしそうにはにかんだ。


「ありがと、陸くん」


 その日を境に、先輩の表情から気負いのようなものが薄れ始めた。

 無理する様子は心配だったし、そっちの方が好感が持てた。

 自然な方がいい。


 そうしている内に段々いい方へ向かっていった。


 俺も何かを契機に友人ができ始めた。原因はよくわからない。タイミングの問題なのかもしれない。


 いい方に向かえば、さぼる理由も薄れていく。 

 先輩とは段々会う機会も減って、気づいたら距離が開いていた。


 あの期間だけ特別だったんだろう。

 そう思って俺は普通に過ごしていた。


 まさかその後、義理の姉になるとは思わなかったけど。

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