#6:エピローグ
その後。
縄張り争いにどういう決着をつけたのか定かではないが、北海道警察の樺太分署の連中がどかどかと押し寄せてきて、事態は彼らに投げ渡された。
さすがにその日のうちに帰宅、というわけにはいかなかった。三日ほど足止めを食らう羽目にはなってしまった。だがそれだけだ。既に俺が自殺説について道筋を立てていたこともあり、件の少女に対する嫌疑は最小限で済み、問題は解決した。
芦原の頭部から回収された弾丸の線条痕を確認したところ、間違いなく芦原自身の銃から発射されたものだったという。状況から見ても、芦原は自殺だということで捜査は終結しようとしている。
他殺でないのなら嫌疑を他者にかける必要もなし。厳しく容疑者を監視する必要もなし。連絡が取れる状態を保っておけと言われこそしたが、俺たちは樺太から帰る目途が立った。
俺たち。
俺と、彼女。
「…………」
バスターミナルから空港までの道を、俺の一歩後ろをついて歩く少女。収容所でも着ていたオレンジ色の目立つつなぎの上から、寒いだろうと適当に俺が調達したフライトジャケットを羽織っている。
荷物は何も持っていない。ただ収容所にいたころには身に着けていなかった、ドックタグが首元で光っている。聞くところによると、それが彼女の唯一の持ち物だという。まさか厳密な意味で唯一ということもないはずだが、要するに日本で解放されるにあたり彼女が持っていくことのできるものがそれだけしかないということだろう。
実質的に着の身着のままで、見ず知らずの異国に放り出される。それはどういう気分なのだろうか。俺が彼女の立場ならぞっとしない――唯一の身寄りが知り合いの知り合いを名乗る中年男だという点を含めてもぞっとしないが、彼女の表情からは何も読めない。
「ところで、えーっと、お腹空かない?」
「空腹には慣れています」
「…………慣れなくていいんだよ」
どう反応していいか困るな。
「食事にしよう。飛行機までまだ時間があるし、国内線じゃ機内食は出ない」
「了解しました」
食堂に二人して入る。バスターミナルから空港までの道はこの数日、ホテルにいても暇だったのでぶらぶら散策していたから少し詳しくなった。しかし食事をするのに店を選ぶのも面倒だったので、結局樺太に来て初めて入ったあの店にすることにした。
「いらっしゃい…………」
今日も今日とて、店はガラガラで、店主の女性と常連の男性がカウンター席で額を合わせてこそこそ話していた。門倉に聞いたが別に秘密警察は樺太にはいないらしい。じゃあなんであの二人はこそこそ話しているのか、分からないが気にすることじゃない。
俺が小説に出てくるような名探偵ならこういうちょっとしたこともすぐ推理するのかもしれない。だがあいにく俺は探偵だが名探偵じゃない。それに探偵と呼んでみても、それは事件を解決するような華々しい探偵などではなく、アメリカの開拓時代ちょっと後くらいに活躍した暴力集団としての探偵。まさにピンカートンなのだ。謎は謎のまま放置される。今回の芦原殺しの一件が、いろいろ異例だったというだけのこと。
「…………」
店に入ると、俺の後ろをついてくる少女を見て店主と常連はあからさまに顔をしかめた。あまつさえ、常連はぼそっと「露助か」と呟く。
「注文は?」
「山菜天ぷらそば。……君は」
「同じものでかまいません」
「じゃあふたつで」
そして俺たちはテーブル席に座った。あの二人がどんな会話をこそこそしているのか知らないが、興味もなく俺はテレビを見ていた。
テレビはいつか見た樺太ニュースタイムの討論会のようだった。今日の議題は……テロップが出たから分かる。広がる拳銃自殺の波……なんか広がってばかりだな。ここの番組製作スタッフはちょっとセンスがないのか、面倒だから同じような言い回しばかりしているのか。まあ、内容を大雑把に知れるならテロップは役割を果たしているわけで、ならばまったく問題ない。
「ここ数年で警察の統計によりますと、拳銃による自殺の数が過去最多に上っているとのことです」
コメンテーターがそう切り出した。相手は……KWS、樺太ウェポンサービスの広報担当だという。これ、全米ライフル協会相手に銃規制の議論ふっかけるようなものでは。でもその方が番組的には面白いかもしれない。
「やはり銃の存在は我々の社会生活を脅かしています。その点、どうお考えですか?」
「ご指摘には当たらないと思いますよ。拳銃で自殺する人は、別の方法で自殺していたでしょうし……」
それにしてもタイムリーな話題だな。
「ミスター所長代理」
「ん?」
テレビを一緒に見ていた彼女がこっちを向く。
「あのテレビの中の人の発言は事実でしょうか?」
「どうだろうな……。というか俺に聞かれてもな」
「所長代理は自殺に一家言あるとのことでしたので」
「一家言て……君意外と日本語上手だよね」
「大尉から指導を受けております」
レオンのやつか……。そのおかげで、少なくとも言語で四苦八苦はせずに済んで助かっているが……。
「どうなのでしょう。拳銃があると、人は自殺するのでしょうか」
「…………」
「銃は人を殺す道具です。その『人』の中に己自身が含まれる場合も、往々にしてあります。ありました。わたしのいた場所は、そうでした。わたしはそういう世界しか知りません」
ひょっとしたら、俺があのとき言ったことを少し気にしているのかもしれない。
彼女は、戦争のある世界しか知らない。
人が人を撃ち殺すのが当たり前の世界しか知らない。
これから、それ以外のことを知っていく必要がある。
「戦場以外でも、銃で人は死にます。営倉で、捕虜は情報を吐かなければ撃たれて死にます。上官に逆らえば撃ち殺されます。そうして死体はあちこちにあるものです。この世界は……この日本という国は、そうではないということなのでしょうか。芦原というあの男性も、銃がなければ死なない世界だということですか?」
「どうだろうな。自殺する理由ってのは人ぞれぞれだ。仮に俺が自殺未遂の経験を持っていたとしても、だからといって他人の自殺の理由を軽々に推察していいものじゃない」
机の上で、俺は気づけば鎖の刺青を指でなぞっていた。それに自分で気づいて、なんとなく机の下に隠した。
「でも、そうだな……。芦原が強固な自殺の意志を持っていたとしよう。テレビに映ったおっさんが言うように、銃がなければ別の方法で死んでいたかもしれない。それは事実だ。銃を規制すれば自殺の問題が解決するわけじゃない」
しかし。
「でも、銃は手軽すぎるんだ。少なくとも戦争を知らない俺にはそう思えるものだ。芦原が死にたいと思う。腰に銃がぶら下がっている。するとすぐ銃を抜いて自分を撃ててしまう」
ホームドアがない状態だ。
「芦原は銃がなくても死んだかもしれない。それこそ、収容所の屋上に上ってそこから飛び降り自殺でもしたかもしれない。でも……少なくとも、銃がなければ、長生きはできた」
「長生き、ですか?」
「ああ。あの面会室で抜く銃がなければ、飛び降りられる高さまで登る必要がある。だから面会室から屋上までの少しの間だ。銃がなければ、その少しの間だけ、長生きはできたんだよ」
そしてその少しが、ホームドアになることもある。銃は、それを取り払うための道具だ。
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