第78話 世界で一番美しいのは? そう!
【ヴォルデム魔導学院 理事長室】
「アドルブンダ様!! 私の娘はどこですか!?」
バンッと理事長室の扉を勢いよく開き、中へ駆け込んでくる男性――ディラン・オズリンド。かつての教え子の突然すぎる来訪に、のんびりと紅茶を飲んでいたアドルブンダはむせ返る。
「ごほっ、ごほっ。おお、ディラン。よう来たのう」
「私の事などどうでもいいのです!」
凄まじい剣幕でアドルブンダに詰め寄るディラン。
今にも殴りかかってきそうな勢いに気圧されながらも、アドルブンダは飄々とした態度で言葉を返す。
「やれやれ。お前の娘なら、地下のダンジョンで修行を行っておるぞ」
「地下のダンジョンですか?」
「うむ、魔法を封じる腕を付けた状態でな」
「魔法を封じてダンジョンに!? アリシアを殺すおつもりですか!!」
「落ち着くのじゃ。アリシアちゃんには絶対に外れないと脅しはしたが、実際はそうではない」
「と言いますと?」
「腕輪を通して、アリシアちゃんの状況はワシに筒抜けじゃ。もしもアリシアちゃんが本気で危なくなった時は……ワシが遠隔で腕輪を外す」
だから最悪の事態は免れる事が出来る。
その言葉を聞いて、ディランはホッとしたように来客用ソファへと腰を下ろす。
「……そうでしたか」
「もっとも、よほどの危機でない限りは助け舟を出すつもりはないがのぅ。そうでなければ、修行になどならん」
「魔導の習得、ですか。あの妻でさえ、それは叶いませんでしたが……」
「アリシアちゃんの才能は、ワシが知る限りでも最高レベルじゃ。死ぬ気で修行すれば、必ずや成し遂げられるじゃろう」
アドルブンダは机の上に置かれていた大きな水晶玉をディランへと見せる。
そこには、ダンジョン攻略に挑むアリシアの姿が映し出されていた――
【ヴォルデム魔導学院 地下ダンジョン】
「はぁっ、はぁっ、はぁっ……!!」
「クケケケケケケケケーッ!!」
薄暗いダンジョンの中を、必死の形相で走るアリシア。
そしてそれを追いかけるのは、剣を握りしめた骸骨の魔物スケルボーン。
このダンジョンへの挑戦を始めてから数十分。
アリシアは未だに、魔導のコツさえ掴めずにいた。
「……!!」
逃げる途中、横道を発見したアリシアは咄嗟に身を隠す。
口元を手で覆い、声と吐息が漏れないようにしながら……スケルボーンが通り過ぎるのを待つ。
「クケ? クケケケ……」
アリシアを見失ったスケルボーンは、キョロキョロと周囲を見渡してから、元の道へとUターンしていく。
それを見届けて、アリシアはへなへなとその場に座り込んだ。
「いっ……!」
ズキンと痛む足の裏。
先程、スケルボーンや他の魔物達から逃げる際にヒールの高い靴は脱ぎ捨ててしまった。
裸足のままであんなに走れば、か弱い乙女の足裏がズタズタになるのも当然だ。
「……ふぅ」
そして綺麗なドレスも、何度かスケルボーンの斬撃を躱した際に切り裂かれ。
スカートに至っては逃げやすくする為に、自分で裾の部分を大きく引き裂いてスリットを作った。
「このままだと、マズイわね」
今はギリギリの状態で逃げ延びているが、それも長くは続かない。
アリシアの体力は確実に削られており、次に魔物と遭遇すれば……恐らく、彼女は追いつかれてしまうだろう。
「自分の魔力を……形にする」
頭で理屈は分かっている。
しかし、それがどうしても上手くいかない。
「……」
アリシアは目を閉じると、手のひらに意識を集中させる。
ゆっくり、ゆっくりと。焦って魔力が漏れて逆流しないように。
慎重に自分の魔力を圧縮していく。
もしもほんの少しでも気を緩めれば、圧縮しきれなかった魔力が逆流して魔力炉に甚大な損傷を被る事になってしまう。
「……」
額に大きな脂汗が滲む。
いつ、どこから魔物が襲ってくるか分からない恐怖が……ただでさえ震える体をさらに揺さぶってくる。
「ぐっ……!?」
駄目だ。これ以上、魔力を凝縮する事が出来ない。
アリシアは咄嗟に魔導の失敗を悟り、魔力の圧縮を緩めた。
「うきゅっ……!? あぐぁっ!」
またしても、逆流してきた魔力が体内で暴れる。
全身の魔力神経を引き裂かれるような苦痛に……アリシアはつい、悲鳴にも似た声を上げてしまう。
「うぅっ……ぁ……」
一刻も早くこの場を離れなければ、今の声を聞きつけた魔物達が集まってくる。
アリシアは痛む体を引きずりながら、イモムシのようにズリズリと地面を這っていく。
「…………」
貴族の娘として生まれ育ってきたアリシアにとって、惨めに顔を地べたに擦りつけるように這いずる事がどれほどの屈辱か。
しかしそれでも、生き延びるためにはこの方法しかない。
「グレイ……」
大好きな人の顔を思い浮かべるアリシア。
どうしてこんな事になってしまったのだろうと、ぼんやりと考える。
「ワタクシはただ、好きな人と一緒にいたいだけなのに……」
走馬灯のように、グレイとの思い出が脳内に駆け巡る。
初めて出会った日の事。あの頃のアリシアは、周りに壁を作ってばかりで……誰もが自分を嫌っているのだとばかり思っていた。
でも、中庭で彼が言った一言。
『アリシア様がその顔立ちと同じく、心もキレイな方だと知れて……貴方に仕える者として嬉しく思ったんですよ』
今思えば、アレが恋の始まりだったのかもしれない。
それから、舞踏会で庇ってくれて。
月明かりの下で踊って。
一緒に過ごしている内に、どんどん彼の事が大好きになって。
ディランやフランチェスカとの確執もグレイが解消してくれた。
ファラという友達や、リムリスという下僕が出来たのも、
グランドラインとかいう男への恐怖からも救ってくれた。
「……好きよ、グレイ。貴方の事が、誰よりも」
グレイと結婚したいと言い出したのは自分のワガママだったと、アリシアは思う。
自分との関係に一線を引き続けたグレイに、金騎士の制度を教えた。
彼はアリシアの期待に応えて、体をボロボロにしながら闘い続けてきた。
「そう、よね」
拳を握りしめ、アリシアはよろけながら立ち上がる、
グレイは今まで、ただの一度も弱音を吐かなかった。
強いて言うなら、アリシアがちゅっちゅモンスターと化して彼を襲った時くらいだろう。
だから、自分だってこんな場所で弱音を吐くわけにはいかない。
「「「「「グルルルルルルッ……!!」」」」」
「……あら、大量じゃない」
アリシアが振り返ると、そこには数匹のウェアウルフ達の姿があった。
獰猛な牙と爪を持ち、人間の血肉を貪る事を好む凶暴な魔物。
本来であれば生徒レベルが相手にするのは危険過ぎる魔物である。
「このまま、魔導を使えなければ……きっと殺されてしまうでしょうね」
涎を垂らしながらジリジリと詰め寄ってくるウェアウルフ。
アリシアはそんな彼らに、左手の先を向ける。
「……ワタクシの覚悟を見せてあげるわ」
込める。渾身の魔力を左手の先に……凝縮する。
するとやはり、圧縮しきれない魔力が逆流し……放出する魔力とぶつかり合って腕の中に激しい激痛を生み出す。
「っ!」
この痛みに一瞬でも臆すれば、放出する魔力が弱まり……逆流した魔力が体内の魔力炉へと逆流してしまう。
だから、選ぶべき選択肢は1つしかない。
「はぁぁぁぁぁぁぁっ!!」
逆流する魔力を押し戻すように、魔力炉から膨大な魔力をさらに放出。
その凄まじい勢いで左腕の肉が裂けて、血が吹き出す。
「腕の一本くらい……くれてやるわよっ!!」
レイナは言った。
アリシアはグレイの為に命を掛けられない、と。
ああ、その通りだとアリシアは思う。
だって死んでしまったら、グレイともう一緒にいられない。
自分が死ねばグレイは悲しむ。
だから、自分は絶対に生き延びる。何をしようと――何を犠牲にしようとも。
「喰らいなさいっ!!」
左手で凝縮され、形を成した魔力が氷の波動へと変わる。
「「「「「グルルルルルァッ!!」」」」」
同時に飛びかかってきたウェアウルフ達に氷の波動を放つアリシア。
その先端がウェアウルフに触れた瞬間。
視界全てが青色に染まっていく。
「「「「「がっ…………!?」」」」」
直撃したウェアウルフ達は発生した氷柱の中に閉じ込められる。
それどころか、氷の波動の余波はダンジョン全体にも広がり……あっという間に壁や床、そして中にいる全ての魔物をも氷漬けへと変えてしまう。
「ふぅ……なるほど。ようやく理解出来たわ」
一面、氷の世界と化した世界で呟くアリシア。
彼女は次に、右手の人差し指を一本だけ立てて……その先に魔力を集める。
するとそこに、氷の魔力を秘めた小さな塊が形成されていく。
「自爆を恐れる事なく、コントロールした魔力をさらなる魔力で抑え込んで凝縮を加速させるのね。なるほど、この感覚は一度覚えれば簡単だわ」
魔導の基礎を完全に会得したアリシアは、アドルブンダの言っていた言葉を思い出す。
こればっかりは、口で説明されても分からないだろう、と。
「アリシアちゃん!!」
「アリシア!!」
アリシアが一人、納得していると。
突然、目の前にアドルブンダとディランが転移魔法によって出現した。
二人とも血相を変えて、慌てふためいている様子だ。
「お父様、お師匠様。やはり見ていましたのね」
「あ、ああ。じゃが……そんな事よりも!!」
二人が見つめるのは、アリシアの左腕。
いや、正確に言うならば……
先程放った魔導の一撃と引きかけに、肉が削げ、骨が飛び出し、グチャグチャに圧し曲がってしまった――左腕だった部分。
「すぐに手当を行う! 今ならまだ間に合う!」
「ああ、アリシア!! なんて無茶な真似を!!」
「……大の男二人して、騒々しいですわね」
アドルブンダが駆け寄り、アリシアの左腕にすかさず治療の魔法を施す。
淡い光に照らされ、気絶しそうなほどの激痛が引いていくのをアリシアは感じる。
「……どうにか傷は治せそうじゃ。しかし、一歩間違えば腕が吹き飛んでおったぞ」
「ええ、そのつもりで撃ちましたもの。だってこうでもしなければ、魔力を抑え込む感覚を完璧に覚える事は出来ないでしょう?」
弱すぎても、強すぎても駄目。
アリシアは腕を犠牲とし、この魔力コントロールを手にしたのだった。
「アリシア……お前という奴は」
「お父様も心配性ですわね。この程度の怪我、いつかグレイの赤ちゃんを産む時の痛みに比べれば……大した事ありませんもの」
「ふふっ……強くなったな」
ボロボロの姿の娘を見て、涙を流しながら笑うディラン。
他者と壁を作り、周りに敵ばかり作ってきた娘が……今やこんなにも立派に育った。
それもこれも、全てはグレイのおかげだと彼は思う。
「今のお前は、誰よりも美しく見えるよアリシア」
「まぁ、お父様ったら」
アリシアは治療が終わって元に戻った左腕で口元を隠し、クスクスと笑う。
血に染まり、破れてボロボロのドレス。走り回ったせいで乱れている髪。
傷だらけの体、砂で汚れた顔。
どれ1つ取っても、普段のアリシアと比べれば……【美しく】ない格好だが。
それでも、アリシアは自信満々に胸を張り。
絶対の自信を持って……笑いながら宣言する。
「ふふっ、ワタクシが世界で一番美しいのは当然の事でしてよ?」
自分こそが【アリシア・オズリンド】である、と。
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