第11話 貴方だけがいればいいわ

【オズリンド邸 食堂】


「おお、フランチェスカ! 私の可愛い姪っ子よ! よく来たな!」


「ふふっ! お久しぶりですわ伯父様っ!」


 アリシア様が倒れられた後、しばらくして。

 ようやく元気を取り戻した彼女と共に食堂へ行くと、そこではフランチェスカ様がディラン様や大勢の使用人達に囲まれていた。


「しかし、急な連絡で驚いたぞ。今日は何か、特別な用事でもあったのかな?」


「いいえ。ただ、大好きな伯父様やアリシア姉様の顔が見たくて……それが理由じゃ駄目ですかぁ?」


 耳がとろけるような甘ったるい声。

 あれほどの美少女がそんな声で、それも潤んだ瞳の上目遣いという極悪コンボを重ねれば……悪い気になる者はいないだろう。


「ハハハハッ! そうかそうか、嬉しい事を言ってくれるじゃないか」


 俺が見た事の無い満面の笑みで、フランチェスカ様の頭を撫でるディラン様。

 そして周囲の使用人達も、恍惚とした表情を浮かべながらうっとりとしている。


「はぁ……やっぱり、フランチェスカ様は最高だぜ……!」


「俺、ロリコンかもしれない……」


「ああ、どっかのお嬢様もこんな風に愛想が良ければいいのに」


「しっ、聞こえるわよ。って、旦那様はフランチェスカ様に夢中だから大丈夫か」


 あれこれ好き勝手言っている使用人達。

 どうやら、俺達が食堂に入って来た事には気付いていないらしい。


「…………相変わらずね、フランチェスカ」


「いつも、こんな感じなんですか?」


「ええ。あの子は誰からも愛される……天賦の才能を持っているのよ。ワタクシとは違ってね」


 自嘲気味にボソリと、吐き捨てるように呟くアリシア様。

 俺の部屋でフランチェスカ様と遭遇した時にも思ったが、どうやらアリシア様はフランチェスカ様の事が好きじゃないらしい。


「伯父様、しばらくお屋敷でお泊りしてもいいですかぁ?」


「ああ、構わないさ。だが、私達がお前を独占しては……アルフレッドの奴に嫉妬されてしまうかもしれんな」


「つーん。お父様なんか、放っておいていいんです。だって最近、お仕事が忙しいって全然相手にしてくれないんですもの」


 父親……アリシア様にとっては叔父に当たる方の話になると、フランチェスカ様はいじけたように顔を背ける。

 ただ愛らしいだけではなく、こういった子供っぽい振る舞いを見せるところも彼女の人気の秘訣なのだろうか。


「ハハハッ、こんなにも可愛い娘がいるというのに酷い奴だ。よし、アルフレッドには私の方からキツく叱っておこう」


「わぁっ! 伯父様、だぁいすきっ!」


 今朝、俺にしたのと同じように、ディラン様の胸に飛びつくフランチェスカ様。

 ディラン様はとても嬉しそうな顔で、そんな彼女を抱き返していた。


「……っ!」


 ギリッと歯噛みする音が隣から聞こえる。

 無理も無い。アルフレッド様を叱るなどと言っているディラン様も、普段は仕事ばかりでアリシア様を放置気味だ。

 とはいえ、毎晩ちゃんと夕食を共にされている点はご立派だと思う。

 ただひとつ、問題があるとすれば……


「……ワタクシなんて、最後にいつ……触れて頂いたのか分からないのに」


「アリシア様……」


 そう。ディラン様からアリシア様へのスキンシップは皆無に等しい。

 あんな風に笑顔を見せて頭を撫でたり、抱きしめたりする姿を……俺は今まで一度も見た事が無かった。


「あっ、アリシア姉様!」


 と、ここでフランチェスカ様がこちらに気付く。

 彼女はディラン様から離れると、屈託のない笑みでトテトテと駆け寄ってきた。

 アリシア様よりも頭2つ分ほど小さいその姿は、動いているだけで全身から愛嬌を振りまいているかのようだ。

 

「もう具合は大丈夫なの? フランちゃん、心配していたんだよ?」


 そう言って、フランチェスカ様がアリシア様に手を差し出す。

 しかし、アリシア様はその手をバチンと弾いた。


「触らないでっ!」


「いたっ!?」


 明らかな拒絶。それはアリシア様の敵対心の現れだったのだろうが、この場においてその行動は非常にまずいと言える。


「アリシア! なんて事を!!」


 アリシア様の仕打ちにディラン様が声を激しく荒立てる。

 それだけじゃない。周囲の使用人達も、軽蔑と失望の籠もった視線をアリシア様へと向けて……非難の声を漏らし始めた。


「うわ……今の見た?」


「あんなにも幼いフランチェスカ様に、信じられない……」


「どうせ人気者のフランチェスカ様に嫉妬しているんでしょ? 自分じゃ逆立ちしたって、あんな風にはなれないもんね」


「空気くらい読めっての……」


 微かに聞こえてくるアリシア様への暴言。離れている俺達にまで届くのだから、傍にいるディラン様にも聞こえているはずだ。


「謝りなさい! 私はお前をそのような礼儀知らずに育てた覚えはないぞ!」


「わ、ワタクシは……」


 でも彼は使用人達を責めるどころか、アリシア様への叱責を優先する。

 そんなディラン様にアリシア様は、弁明の言葉を紡ごうとするが……


「伯父様、アリシア姉様を叱らないで……! 悪いのは全部、フランちゃんだから」


「フランチェスカ……!?」


「アリシア姉様、ご、ごめんなさいっ……ひっくっ、姉様が、フランちゃんの事を嫌いなのは……ぐすっ、知っていたのに……」


 ポロポロと、両の瞳から大粒の涙をこぼしながらフランチェスカ様は続ける。


「でも、どうしても……アリシア姉様と、ひぐっ、仲良くなりたくてぇ……」


「おおおお、フランチェスカ。お前はなんて優しい子なんだ」


 泣き出したフランチェスカ様をディラン様が再び抱きしめる。

 どう足掻こうとも、なんと弁明しようとも。

 この瞬間、この場において。アリシア様は完全に悪役となっていた。


「っ!!」


 沢山の使用人達だけではなく、実の父親からも激しい怒りを向けられて。

アリシア様は逃げるように食堂から飛び出していく。

俺はその後を、急いで追いかける事にした。


【オズリンド邸 アリシアの自室】


 食堂から逃げ出したアリシア様を追って、彼女の自室へと駆け込んだ俺が目にしたのは……


「びぇえええええええええええええええええんっ!」


 ゲベゲベを抱きしめながら、大号泣するアリシア様の姿だった。


「アリシア様……!」


「ひぐっ、ぐすっ……何よ! 何よ何よ何よ! このワタクシと仲良くしたいですって!? そんな事、これっぽっちも思っていないくせにっ!」


 ゲベゲベを何度も枕の上に叩きつけながら、怒りを発散するアリシア様。


「あの子はいつだってそう! 素直になれないワタクシから全てを奪っていくのよ! お気に入りのおもちゃも、使用人達からの敬意も、お父様からのご寵愛も……!」


 殴る、殴る、ひたすら殴る。

 かなり頑丈に作られているとはいえ、所詮はぬいぐるみのゲベゲベに……この猛ラッシュを耐えるのは厳しいだろう。


「(グレイ……ナントカシテ……)」


 ぐにゃりと潰れた顔でこちらを見るゲベゲベの瞳は、間違いなくそう訴えている。

 俺は羽交い締めにするような形で、アリシア様の両腕を掴んだ。


「おやめください、アリシア様。ゲベゲベが痛がっていますよ」


「うっ!? グレイ……」


「お気持ちは察しますが、お友達に当たるのはいけません」


「……ごめんなさい、ゲベゲベ。痛かったわよね」


「(イイッテコトヨ)」


 俺が声を掛けた事で、アリシア様も落ち着きを取り戻し……乱暴に扱っていたゲベゲベを愛おしそうに撫でる。

 ゲベゲベ、お前は本当に素晴らしい奴だよ。


「ずいぶんと、フランチェスカ様を嫌っておいでなんですね」


 俺はポケットからハンカチを取り出して、アリシア様の涙を拭う。

 アリシア様は少しくすぐったそうにすると、ハンカチを持つ俺の手に自分の両手を添えてきた。


「ええ、昔から苦手だったの。ワタクシがこんなにも面倒な性格になったのも、少なからずあの子の影響があるかもしれないわ」


「そうだったんですか……」


「グレイ……ワタクシ、信じているから。貴方は……貴方だけは絶対に、ワタクシを見捨てたりしないって」


 そう囁くアリシア様の顔には、不安の色と……俺を疑う事への自己嫌悪の色がアリアリと浮かんでいた。

 だから俺は、そんな彼女を……ぎゅっと優しく抱きしめる。


「ふぁっ……?」


「俺はディラン様にはなれません。でも、こうしてアリシア様を抱きしめたり……頭を撫でたりする事は出来ますよ」


 アリシア様を抱きしめたまま、後ろに回した右手で彼女の頭を撫でる。

 温かい。ドクンドクンと彼女の心臓の鼓動さえも伝わってくるようだ。


「……平民のくせに、このワタクシを抱きしめるなんて。貴方、自分が何をしているのか分かっているんでしょうね?」


「分かっています。でも、今はこうしないといけないと思ったので」


「牢屋行きだわ。そして鞭打ち……最後はきっと絞首刑よ」


「もしもお嫌なら、そうなさって頂いても結構です」


「…………ばか、嫌なわけ……ないでしょう?」


 俺の胸に顔を埋めて、アリシア様は声を押し殺すようにして泣いた。


「うっ、うぅっ……! うぇぇぇぇっ……ぐれいぃっ……」


「よしよし。アリシア様がいい子だって、俺はちゃんと分かってますよ」


 トントントンと背中を軽く叩いて、俺はアリシア様をあやし続ける。

 正直に言えば、所詮は部外者である俺に……アリシア様とフランチェスカ様の確執がどのようなものかは分からない。

 でも、そんな事はどうだっていいんだ。

 アリシア様が悪かろうが、フランチェスカ様が悪かろうが。

 俺が味方して、支え続ける人物は……この人だけなのだから。

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