第52話

 ミロの事を考えても意味はないと思考を打ち切った俺は、アルシェード達と神石の間を出た。


「……それでは、出入り口までご案内致します」


 帰りもフェラルトの案内で出入り口まで行く事になったが、マルクの横槍……忠言を気にしているのか北欧神話についての話をされる事なく、スムーズに教会の出入り口まで着く事が出来た。


「またのお越しをお待ちしております」


 教会の前で一礼するフェラルトに見送られて馬車に乗ると、緊張がほどけてどっと疲れが襲ってきた。


 対面に座るアルシェードも笑顔の仮面を脱ぎ去ってだらっとしている。


 因みに席順はアルシェードが御者席側に座り、その隣にオルト、オルトの正面にビビアが、俺はアルシェードの正面というものだった。


「いつも帰りみたいな態度だったら楽なんだけどなぁ……あの手この手で勧誘してくるから、相手をすると社交とは別の意味で疲れるよ。黙々と職務に励んでいて欲しいね」


「けど、急にそうなったら不気味じゃないか?」


「……そうかも」


 北欧神話の神々を信仰するように勧誘しないで、黙々と職務に励むフェラルトを想像してみたが短い付き合いでも何かあったのかと不安になるぐらいには、濃い性格をしていた。


 アルシェードも想像出来たようで、へにょっと眉毛を曲げて不安そうな困り顔をした。

 珍しい顔をするものだから、つい余計な一言が口を衝いて出て来る。


「アルもそんな顔するんだな」


「そりゃするさ、僕を何だと思ってるんだい?」


 すると今度はむすっとした表情をして俺を軽く睨み付けるが、綺麗な顔でそういう事をやられても可愛らしいだけだった。


 これが本気で怒った時や不機嫌だった時は恐ろしく思えるのだから、不思議なものだ。


「いや、どちらかと言えば困らせる方のイメージがあったからな。ちょっと意外だった」


「問題児の様に言わないで欲しいね。何処からどう見ても品行方正なご令嬢だろう?」


「品行方正なご令嬢は人をからかって遊んだりはしないだろ」


「おっと、何のことだか僕にはサッパリ分からないな」


 そう口では言っても、痛い所を突かれたといった様子でアルシェードは金糸の髪を揺らし、水色の瞳を細めてころころ笑う。


 まるで堪えていない様子だが、アルシェードらしい反応だった。


「「そうだとしても、僕は公私を分けているから問題ないよ」」


「っ……!」


 何を言うのか予想して言ってみたが、どうやら正解だったようでしっかりとアルシェードの声とハモった。


「ぷっ、ははは」


 鳩が豆鉄砲を食ったように驚いた表情でこちらを見るアルシェードが面白くて、堪え切れずに笑ってしまった。


 アルシェードの眉がぴくっと上にはねた。


「ほほぅ……主である僕をからかうとは良い度胸をしているじゃないか」


 嫌な予感がした時には既に時は遅く、アルシェードは馬車の座席から立ち上がると百八十度回転して素早く俺の膝の上に腰掛けた。


 これ程までに早い動きだと身体強化を使っているのではないだろうか。もしそうなら、盛大な魔力の無駄遣いをしてる。


「!?」


「主をからかった罰として、屋敷に着くまではこのまま僕の椅子になって貰おうか」


 視界の大半が金色に埋め尽くされ、アルシェードの甘い香りが鼻を擽る。


 驚いて反応が遅れたが、退けようとして俺はハタと気付いて動きを止めた。


 俺が退かそうとすれば間違いなくアルシェードは抵抗するだろうし、そうなれば彼女がこの狭い馬車の何処かに体をぶつける事になるかもしれない。


 そう考えると迂闊に動けなくなってしまった。


 彼女の事だから、これも織り込み済みなのだろう。だが、無抵抗という訳にもいかない。


「ちょ、何のためにオルトさんがお前の隣に座ってたと思ってるんだよ」


「大丈夫だよ、だって……万が一の時は君が守ってくれるでしょ?」


「うっ、それは……そうだけど」


 半分だけ顔を背後の俺に向けて流し目でそう言われると、自身のプライド相まって否定し辛い。

 俺は言葉に詰まりながらもつい肯定してしまった。


「なら、大丈夫だよね?」


「……ああ」


 覆水盆に返らずとはこの事だろう。アルシェードに念を押されてされてしまえば、頷くしかない。


「そうだ、オルト、御者に少し遠回りの道でなるべくゆっくりと屋敷に向かうように言ってくれるかい?」


「承知いたしました。……御者殿、少し遠回りの道で出来るだけゆっくりと屋敷に向かうように、との事だ」


「了解しました」


「オルトさんっ!?」


 追撃を掛けるようにアルシェードがオルトに指示を出すと、オルトは一二もなく了承して御者席側についている覗き窓の戸をずらして、御者に指示を出す。


 思わず声を上げれば、オルトから微笑ましいものを見る様な視線を向けられた。


「ビビア殿、アルシェ様の邪魔をしてはいけませぬから、こちらへ席を移っては如何かな?」


「なるほど、確かにその通りでございますね。では、失礼致します」


「二人共、気が利くね」


「(ビビア、お前もか)」


 オルトに続いてビビアも俺を裏切り、彼の提案で元はアルシェードが座っていた位置に腰掛ける。


 完全に孤立無援の状態だが、それでも一縷の望みをかけてオルトに必死で目配せすると、彼がそれに気付いて笑顔で頷いた。


 ほっと胸を撫で下ろしているとオルトが口を開いた。


「心配する事はない。この距離などは私にとっては誤差の様なものだ。攻撃に気付いてからアルシェ様を庇えないなら、正直に言って誰かを守りながら戦える相手ではない。心配するだけ無駄だ」


「なるほどね。だってさ、ライ」


「(違う!そうじゃない!)」


 言っている事は正しいのだろうが、俺が言って欲しかったのは正反対の言葉だった。


 オルトの発言は護衛としては問題発言の類いだと思うのだが、アルシェードは俺から下りる理由がなくなったと考えたようで、上機嫌になる。


「ライ、馬車が跳ねたりした時の振動で落ちたら大変だから、僕のお腹に腕を回して掴んでいて欲しいな」


「はいはい、お嬢様了解ですよ」


「うむ、苦しゅうない……もうちょっと強くして」


「こんな感じか?」


「そうそう、良い感じだよ」


 アルシェードの要望通りに回した腕に力を少し込めて引き寄せれば、彼女と密着する形になって彼女の柔らかさや体温が伝わり少し緊張するが、前よりは動揺しなくなっていた。


 誠に遺憾であるがハニートラップ対策の訓練の成果と言っても良いだろう。


 まあ、単に毎朝抱きつかれているので慣れただけかもしれないが。


「……前みたいに大きく動揺しなくなったね。それは良い事なんだけど……ちょっとからかい甲斐がなくなって面白くないかな。痛し痒しって感じだよ」


「痛し痒しじゃないだろ。そんな事を面白がるなよ」


「えぇー」


 不満そうな声を上げながら、アルシェードは後ろに体重をかけて自分の体を俺の体に擦り付ける。


 彼女の髪が俺の顔を擽り、俺は堪らず腕に力を更に込めて彼女が動けないように固定した。


「こら、くすぐったいぞ」


「いいじゃないか、このくらい。普段抱きついて寝ている事に比べれば些細な事だよ」


「些細かどうかはさておいて、くすぐったいって言ってるだろ」


「じゃあ、こうして僕を自主的に抱きしめている事だね。そうすれば動けないからさ。はぁ、落ち着く……」


 アルシェードの動きは止める事が出来たが、丸め込まれたというか、上手い事誘導されたような気がする。


 彼女は完全に俺に体重を預けてリラックスしているし、結果的に彼女に利する事になっている。


 手の平で踊らされていたような気分だ。


「僕としては、このままからかい易いライも面白いし、可愛いから良いと思うけどね」


 急に振り返ったアルシェードにそう言われて、心臓が跳ねる。


「……急にどうした」


「さあ、言わないといけない気がしたんだよ」


 これも女の勘というヤツなのだろうか?最早、心を読んでいるとしか思えないタイミングだった。


 しかも時間を経るにつれて精度が上がるような気がしてならない。


 少しだけ遠い目をしていると、アルシェードが何を思い出したかのように手をポンと叩いた。


「そうそう、ついでに言っておくけどライの槍の師匠決まったってさ」


「そっちの方が重要だったよな?」


「ふふっ、そうかもしれないね」


 アルシェードの顔は笑っており、明らかに俺の反応を楽しんでいる様子だった。


 彼女の一言で簡単に心を乱されてしまうが……俺が彼女に勝てる日は来るんだろうか?

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