第28話
「アル……大丈…夫……か?」
「……それは僕のセリフだよっ!?」
起きたばかりで、状況が飲み込めていなかったらしいアルシェードの目の焦点が合うと、急に上半身を起こして俺の肩を掴み、大声を出した。
今、近くで叫ばれると頭と傷に響いてキツい。
「あっ、ごめん」
それが顔に出ていたのか、申し訳なさそうにアルシェードが謝る。
それでパニックになっていた頭が多少は落ち着いたようで、寒さを気にも留めず心配そうに俺を見ていた彼女が身震いした。
「……寒い…何がどうなっているんだい?後頭部が何だか痛いし、君はボロボロで……」
フィンブルの風で吹き飛ばされた時に後頭部をぶつけたらしく、頭の後ろを擦っていた手が止まって、言葉も途切れる。
「思い出してきた。僕はハイアンの騎士と戦ってその後、フィンブルが暴走して…………ねぇ、あの後何があったんだい?」
気絶する前の状況を思い出したらしい。
アルシェードは動揺した様子で瞳を揺らしながら俺に問いかけてきた。
おそらく、もう想像はついているが信じたくないのだろう。彼女の顔は縋る様な表情を浮かべていた。
ここで嘘を言う事は出来る。しかし、それをやっても彼女には筒抜けであり、余計に傷つける事になるかもしれない。
巨狼と戦う時とは別種の覚悟を決めて、俺は口を開こうとしたが、疲労と痛みで上手く言葉を紡げない。
「……っ」
「いいよ、その反応だけで充分だよ。それよりもまずは回復魔法をかけてッ……!」
回復魔法をかけようと俺の手を取ったアルシェードが、驚愕に目を見開き絶句する。
それでも回復魔法の発動は止めなかったようで、全身が温かいものに包まれた。
心なしか若干痛みが引いたような気がした。
「ボロボロだとは思ってたけど、左腕の骨と肋骨には罅が入ってるし、全身に火傷と凍傷があるじゃないか!?ポーションはどうしたんだい!?」
魔道具が壊されたせいで若干薄暗くなっていたので、回復魔法を使った事で俺の状態を完全に把握したアルシェードが驚愕の声を上げる。
慌てた様子の彼女の言われて、ポーションの存在を思い出した。言われるまですっかり忘れていた。
「(確か……ポーションはズボンの左ポケットに……)」
ズボンの左ポケットに視線を向けるが、そこにはあるはずの小瓶の膨らみがなかった。
「そこだね、ちょっと失礼するよ」
俺の視線を辿って何処に仕舞ってあったのか悟ったアルシェードが、左ポケットに手を入れて探ると、出て来たのは粉々になったガラス片だった。
俺は少しがっかりしたのだが、彼女は逆に少し安心したように表情を緩める。
「ライの骨が折れてなかったのは、《守護》とこれのお陰だね。破片が突き刺さったところからポーションが体の中に入って、壊れかけたところから直したんだと思う……まだポーションの効果が残ってるなら、僕の分も使えば……!」
「(骨折を防いだって事は……結構高いポーションだったのか)」
ポーションが体内に入った事であの攻撃から骨折を防いだという事実に驚いて、最後の方は聞き取れなかったが、回復魔法の心地よい温かさもあって眠くなってきた。
「ちょっと待っててね。今、凍っちゃったポーションを解凍するから……」
アルシェードはポケットからポーションを取り出し、それを魔法の火で炙り始めた。
「(……それ、瓶が割れるんじゃないか?)」
ポーションの瓶が割れないか心配になりながら、その光景を見ていると、ヒュンッという風切り音が聞こえた。
「あぐっ……ッ…………!」
「えっ……?」
氷で出来た刀身が背中から脇腹を貫通した。
呆然とするアルシェードを横目に視界が傾いていく。
せめてもの意地で体の倒れる向きを変え、彼女を避けて床へ倒れる。
「《守護》ッ!」
アルシェードが《守護》を張るが、彼女のものでは長くは持たない。
それは彼女も理解しているようで、俺の首元に手を伸ばしてネックレスへ魔力を注いで《守護》を追加で展開する。
「は、早くポーションを!いや、駄目だ。間に合わないっ!と、兎に角、回復魔法かけないと……ッ!嫌だ、嫌だ、いやだ、いやだっ!」
動揺したアルシェードの手からポーションの瓶が滑り落ちる。
彼女は半ば発狂している様子で俺に回復魔法をかけてくる。
握りしめられた手から注ぎ込まれる力は確かに俺の身体を癒しているが、それよりも生命力と呼べるものが失われていく方が早い。
氷に貫かれて冷たいはずの傷が熱い。
アルシェードの温もりと傷の熱が、未だに俺が生きている事を知らせてくれていた。
「(何だ……?)」
ただでさえ暗い視界に影がかかり、更に暗くなる。
目だけを動かして見えたのは、見覚えのある形をした氷の塊。
「(主を巻き込もうが…お構いなしか……怒り心頭って感じだな)」
トニトスによって砕かれたはずの巨狼が前脚を振り上げながら俺達を見下ろしいる。
フィンブルをアルシェードの手から引き剥がしたにも関わらず、周囲を囲む冷気の渦が消えていない事には気付いていた。
俺がその事実から意図的に目を逸らしていただけの話だ。
結局、俺の賭けは全て成功した訳ではなく、半分成功して半分失敗していたという事だ。
「(……幸運の女神はクソったれだ。主人公じゃない俺じゃあ、半分成功させるのが精一杯って言いたいのかよ)」
どう足掻いても、俺は死ぬだろう。
だが、このままでは終われない。
この位置関係で奴が前脚を振り下ろせば、確実にアルシェードを巻き込む形になってしまう。
大切な相手を巻き込んで死ぬ。
それだけは避けたかった。
幸い、一度完全に破壊されたからか巨狼の動きは遅い。
「………に……げ……ろ…………!」
回復魔法で得た気力と体力を総動員して口を動かす。
出来る事ならアルシェードの手を振り払い、突き飛ばして無理やりにでも距離を取らせたかったところだが、今の俺にそれをするだけの力は残っていない。
「いやだいやだいやだいやだ!」
しかし、駄々っ子の様にアルシェードは首を横に振り、俺の言葉を聞き入れない。
「ふざっ……け…るなッ!」
俺はその瞬間は憶えていないが一度目の人生で死んで、これが二度目の人生だ。
こんなに早く死んでしまうのは親不孝かもしれないが、死んだ母さんも分かってくれる。
信頼出来る相手を失いたくない気持ちは分かるが、彼女には俺より自分を優先して欲しかった。
単純な計算の上でも二人で死ぬより、一人が死んでもう一人が生き残る方が理にかなっている。
ましてや、俺とは違って彼女には家族がまだいるのだ。
だからこそ、叱咤しようが何をしようが、彼女には俺から離れて貰う。
「……おれ…を……あるじ……ごろしに…………する…つもりか……!」
「そ、それは……」
もう少しで巨狼が前脚を振り上げ終わる。
アルシェードの声が揺れた。後、一押しだ。
「…………い、け!!」
「……っ、君の忠義は忘れないよ……ッ!」
瞳から涙を流し、ぎこちなく笑みを浮かべたアルシェードが俺から手を放して離れていく。
去り際、彼女の頬を伝って落ちた雫が俺の頬を濡らした。
「……ふぅ」
奴は既に振り下ろす体制に入っていた。
一度目の最後は憶えていない。
ならば、二度目の、この胸を張られる死に様は記憶に焼き付けようと、重い瞼を持ち上げ、霞む視界で奴の姿を捉える。
透き通る身体を持った巨狼の姿は、悔しいがとても神秘的で美しかった。
『ウオォォォン!』
勝利の雄叫びと共に巨狼の脚が振り下ろされる――
「……遅くなって、すまぬな。よく、頑張った」
――事はなかった。
崩れ行く氷塊と目の前に現れた人影を見たのを最後に、俺の意識は深い闇の中へ沈んで行った。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます