第27話

『ガァアアア!』


 狭さを嫌ったのか、巨狼がその脚で本棚たちを薙ぎ倒していく。


 床に放り出されたり、無惨にも破れた本の中には貴重な文献もあるだろうに、奴はお構いなしに暴れ回る。


 その暴力の嵐を見据えて、隙を探す。


「(今!)」


 巨狼が後ろを向いたタイミングで、床を踏み砕くつもりで蹴る。


 魔力で強化された脚力はあっという間に奴と俺の距離を縮める。


 あと少しで後ろ足の間を潜れるという所で、今まで動いていなかったはずの尻尾が真横に現れる。


「…うぉおおッ……!」


 見えない障壁が数瞬の拮抗の後、砕け散る。


 稼がれた僅かな時間で脚を魔力で更に強化し、俺は前へ跳んだ。


 背中の直ぐ後ろで、尻尾が風切り音を伴って通り過ぎた。


「よしっ」


 床で転がってつき過ぎた勢いを殺してから立ち上がり、再び走り出す。


「(こいつに腹の下を攻撃する手立てはないはずだ。後はあの白い渦さえ突破すれば……!)」


 視界の端に何かが映る。


「ああ、くそっ!狼を出せるんだったら当然それも出せるよな!」


 空中に形作られていく氷の剣が俺へと照準を定めていた。


 フィンブルにある三つの武器スキルはそれぞれ、風の冬、剣の冬、狼の冬に因んだものだ。


 今まで発動されていた武器スキルは、冷気の渦を生み出す風の冬、氷の巨狼を造り出す狼の冬の二つ。


 そして、解放されるのは風、剣、狼の順番だ。


 つまり、第二武器スキルであり、氷の剣を作り出し操る剣の冬が発動出来ない訳がない。


 幸い、そのどれもがアルシェードの武術練度と意志を無視して発動されているので、その本来の性能を発揮出来ていない。


 しかし、それが俺にとって脅威である事には変わりない。


 ネックレスを意識して魔力を流し、再び《守護》を張り直す。


 張り直された不可視の障壁に氷の剣が次々と突き刺さる。


「いけぇええッ!」


 障壁に入ったヒビをネックレスに魔力を注ぐ事で無理矢理直しながら、足を必死に前へと動かす。


「(あと…少し……!)」


 視界が白一色に染まるが、主従の間にある僅かな繋がりでアルシェードのいる方向は分かっていた。


 障壁に刺さった剣付近のヒビから入った冷気は気にならない。


「見え…かはッ!」


 白い冷気の層を突破し、床に倒れているアルシェードの姿を見て気が緩んだ隙を突くように、左から凄まじい衝撃が襲い、俺は宙を舞った。


 横へ流れる視界に一瞬映ったのは、左前脚を振り抜いた体制の巨狼の姿だった。


 混乱する頭で辛うじて破られた《守護》を再展開する。


「……クッソ」


 《守護》の再展開が間に合い、最悪の事態は回避出来たが、数台の本棚にぶつかって押し倒しながら止まったので大分距離が離れてしまった。


「……くっ!」


 衝撃で頭が揺れて足元がふらつくが、直ぐにその場から右に飛び退いて本棚の陰へと移る。


 一瞬の後、先程まで俺がいた場所に追撃の氷剣が突き刺さる。


 どうやら、俺はフィンブルから完全に脅威として認識されたらしい。


「(さて、どうやって近づくか)」


「チッ!」


 嫌な予感がして更に右に動くと、数瞬後に本棚から数本の氷の刃先が姿を現し、そのまま貫通していく。


「どうやって……ん?」


 氷剣に蹂躙された場所に目を向けると、照明の魔道具には必ず氷剣が刺さっていた。


「そうか、魔力か!」


 目を持たないフィンブルが周囲の状況を把握する方法はおそらく二つある。


 一つは主であるアルシェードの指示だろうが、彼女は今気絶しているのでこの方法は執れない。


 もう一つは、魔力による周囲の感知だ。実際、ウィルディア戦記において、魔力の扱いに長けた登場人物達は同時に感知にも長けており、見えない場所の状況も把握してみせた。


 魔力に慣れ親しんでいる最上位の魔剣であるフィンブルが、同じ事を出来ない訳がない。


「(試してみるか)」


 《照明》を棚の上に生み出してその場を離れると、先程と同じ様に氷剣たちによって蹂躙され、《照明》の光の玉もその内の一本に貫かれて消えた。


「これならやりようがあるか?」


 魔力量が多いと狙われやすいのか、俺を目掛けて発射された本数の方が多いが、光の玉も狙われたという事は、魔法もある程度優先して攻撃されるのだろう。


 俺は隠れていた棚に収納されている本を対象にし、十数個の《照明》を設置した。


 空気を切る音が聞こえた瞬間に、俺は棚の陰から飛び出し、一つ前の列の棚の陰に移る。


 数本障壁に刺さっていたが、作戦は成功と言えるだろう。


「次!」


 巨狼との距離が近づくたびに、俺を狙う剣の数が増えていく。


 その後、《守護》を六回張り直す事になったが、巨狼まで残り四列の位置まで近づく事が出来た。


「(時間はないけど、どうすれば……)」


 だが、ここからが問題だった。

 飛んで来る氷の剣を何とかする案はある。


 それは、身体強化に使う以外のありったけの魔力をトニトスに注ぎ込んで突貫するというものだった。


 あの程度の強度ならば、トニトスの電撃で破壊出来ない事はないだろう。


 加えて、トニトスにありったけの魔力を注ぎ込めば、その場で最も大きい魔力を持っているのはトニトスという事になる。


 フィンブルからの攻撃は全て正確だった。

 あれならトニトスに隠れた俺に誤って当たるという事もないだろう。


 問題があるのはその後、巨狼に近付いてからの話だ。


 前脚による攻撃か、頭部での噛み付きかは分からないが、どちらもトニトスを狙って放たれたとしても、俺の進路を妨害する事になる。


「……残るは、大博打か」


 まともな方法が駄目なら、後に残るのは確証のない方法博打だけだ。


「まあ、アルの手からフィンブルを剥ぎ取るのも実質博打だったし、変わらないか」


 俺の知っている実績は主人公の行動によるものガッツリ主人公補正ありだし、何処まで当てに出来るかは分からないというのが、本当のところだ。


 使うのはトニトスの第一武器スキルだ。


 武器スキルというは、武器が使使ものだ。


 つまり、詠唱と銘を知っていれば、不安定な状態暴走するかもしれないが使える可能性はある。


「(幸運の女神様、頼みます)」


 前世ではゲームのガチャやドロップで何度恨んだり、唾を吐いたりしたか憶えていないが、今は敬虔な信徒に成れる自信がある。


「ふぅ……はぁああああッ!」


 祈りを済ませてトニトスを構え、巨狼への突撃を開始する。


 ありったけの魔力を込めたトニトスは穂先の幾何学的な模様から黄色い輝きを放ち、ゴーレム戦とは比べ物にならない程強力な電撃を発生させる。


 フィンブルの氷剣は俺の狙い通り、トニトスを狙って飛び、電撃に砕かれている。


『アオォォォンッ!!』


「(来た!)」


 巨狼が動きを見せ、それに合わせて詠唱を口にする。


「吠え、貫け――《■■トニトス》!あああああああッ!」


 トニトスの銘を呼んだ瞬間、穂先からの電撃の威力が上がり、最早雷撃と呼べるものに変化する。


 しかし、案の定コントロールが効かない。


 雷撃の余波は容易く《守護》を破り、雷属性への耐性がある俺の肌を焼いていく。


 全身に走る痛みを堪え、トニトスを全力で前脚を振り上げる巨狼に向かって投擲した。


 暴走する雷を纏ったトニトスは一条の雷光へと変わり、巨狼に迫る。


『ガァアッ!?』


 雷光はその進路を遮る様に振り下ろされた巨狼の前脚を容易く、砕いて氷塊へと変る。


 勢いのままに突き進む雷光によって、巨狼は首から後ろの身体を全て破壊され、頭部は床に落下し、轟音を響かせた。


「ハァ、ハァ……アル、シェード…………」


 崩れ落ちそうになる脚を気合で動かし、巨狼の残骸の脇を通り冷気の渦へと向かう。


 巨狼が斃れても飛んで来る氷剣を、なけなしの魔力を使って張り直した《守護》で防ぐ。


 障壁内に入ってきた冷気を《火》を使って相殺する魔力がない。



 吐く息が白く濁り、手足が凍える。



 朦朧とする意識を傷の痛みが何とか繋ぎ止めていた。



 白い冷気の層を突破する頃には視界も霞み始めていた。


 霞む視界と震える脚で何とかアルシェードの近くに辿り着き、半ば崩れ落ちるように座り込んだ。


 最後の気力を振り絞り、アルシェードの手からフィンブルを引き剝がし、放り捨てる。


「……クエスト…クリア」


「……うっ……ライ…………?」


 目を覚ましたアルシェードが目を見開く、俺は安心させる為に笑いたかったが、痛みで上手く笑えているか心配だった。


「アル……大丈…夫……か?」


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