第15夜 放課後水族館
廊下で振り向いた時にそれを感じた。予感ではない。むしろ、前にこれを見たことがあるはずだという、既視感。
今、自分が歩いているのは旧校舎の廊下だ。その機能性や、解体する予算がないとかで、なにがしかの理由をつけて残されている、そして今もなお使われている、古い方の校舎。使われているとは言っても、実験室や、小規模の部活動の部室がある程度。新しく明るく清潔で、リノリウムの床のある「新校舎」と区別するために、「旧校舎」と呼ばれているだけの建物だ。
その旧校舎の廊下。廊下の、奥へと続く暗がり。
その暗がりを、何かで見たことがあると思った。その暗さを、その闇の深さを、知っていると思った。自分は確かに、これを前に体験したことがあって、それを思い出そうとしていた。
これは、なんだろう。
底知れなくて、それでいて、恐怖ではなく好奇心をかきたてるもの。この先には何があるのだろうと知りたくなってしまうような、得体の知れない暗いもの――
あ、と自分は小さな声を出した。
水族館。それも、現代的な回遊式の大きな水族館ではない。ただ整然と小さな水槽だけが並ぶ、ほんの少し昔の、薄暗い通路だけがずっと続くような水族館。展示を見終わって外に出たら、陽光の眩しさに目をすがめてしまうような、そんな水族館を想起させる暗がり。
その水族館の中に、自分はいる。そう思える暗さだった。
ひたり、と窓硝子に手を這わせる。ここが水族館なら、この窓硝子はきっと水槽の硝子だ。この窓の向こうや、締め切られた教室の扉の向こうには、無数の魚たちが泳いでいるのだ。それこそ、熱帯の魚から、寒帯の魚まで。アザラシ、ペンギン、ラッコ、アシカ、探せばセイウチだってイルカだって泳いでいるのかもしれない。
つぅ、と指で硝子をなぞる。魚の形を、描いてみる。
ほら、この魚は、ひれが大きくて派手な色だからきっと熱帯の魚。これは、細長くて胸びれが小さいから、きっとウナギやウツボの仲間。こちらには小さな魚たちの群れ。それを水底から見上げる甲殻類。それから――
こつん、と指にぶつかるものがある。おや、と思ってそちらを見ると、魚がいた。自分が描いたものそっくりそのままの、ひれが大きくて、派手な色で、優雅に泳ぐ熱帯魚が。
不思議に思ってその魚を目で追った。すると、硝子から、別の魚が、するりと形を得て、泳ぎ出す。甲殻類も、小魚の群れも、大きな鮫も、全てが実体をもって、廊下を泳ぎ出す。
楽しくなって、自分は硝子をなぞり続ける。なぞって、描いて、魚を作っていく。次々と、魚たちは、実体を得て、廊下を縦横無尽に泳ぎ出す。ほら、あっという間にここは水族館だ。
なんて楽しいんだろう。
なんて素敵なんだろう。
自分は、時間を忘れて、窓硝子に魚を描き続けた。
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