第6話

 ここでの勤務も残すところ二日となった水曜日。昼飯を摂りに休憩所へ向かうと、厨房のカウンターはシャッターが下りていた。その代わりテーブルの上には配膳済みの定食が並べられていて、イカレ野郎の羽田が腕組をしながらシャッターの前に立っている。

 休憩所へやって来た従業員達が一通り空いている席に座ると、羽田は咳払いをして突然バカでかい声でこんなことを言い始めた。


「今日はみなさんへの日頃の感謝を込めまして、年に一度の特例食の日になります! 日頃みなさんにお届けをお手伝い頂いているこの素晴らしい命を、おいしく味わって頂きましょう!」


 そういうことか。ここで出荷している魚を使ったメニューがどうやら今日の昼飯になっているようだった。白飯に味噌汁、サラダとここで出荷している魚肉のフライが並んだ何てことはない普通の定食だった。

 いつも通り誰も口を開かない食事が始まり、俺も一口魚のフライに箸をつけてみた。すると、口の中になんともいえない芳ばしい香りが広がり、やや甘味を感じる脂が口の中で溶けて行く。魚の肉というよりも、食感は白身魚で味は牛に近いような、今まで味わったことのないような強烈な旨味を感じた。

 あまりの旨さに自然と箸が伸び、魚と白飯を交互にがっついてしまう。

 周りの連中もさぞがっついているだろうと思って横目で覗いてみると、異様な光景に思わず箸が止まった。


 従業員達は皆、声を殺したように泣きながら定食を口にしていたのだ。

 よほど我慢しているのだろうか、時々ぐっ、ぐっ、という押し殺した声があちこちから聞こえて来る。

 羽田はその様子を見て満足気に微笑んでいるが、こんな旨い物を食って何故泣くのかが俺には分からなかった。

 誰よりも早く食い終わり、お盆をカウンターの横に置かれた空のワゴンに載せて席へ戻ると、何処からか小さな声で「この、人でなし」と聞こえて来た。誰か俺のことを言ったんだろうか? そう思った矢先、羽田が怒鳴り声を上げた。


「今、変なことを言ったのは誰ですか!? ええ!?」


 その声に、誰も反応を見せないでいると羽田は睨みを利かせながら休憩所内を歩き回り始めた。一人一人の顔を覗き込んでいる。


「正直に言いなさいよ! 誰が人でなしですか! あんた達が今まで散々やって来たこと、行って来たこと、振り返って考えてみて御覧なさいよ!」


 羽田が苛立ちを隠しもせずに従業員の顔を覗き込んで回っていると、一人の従業員が立ち上がった。俺のすぐ向かいの席に座る、やたら痩せこけた三十くらいの男だった。


「あんたか、文句を言ったのは!?」

「……はい、私が言いました」

「せっかくの特例食に箸もつけないで、どういうつもりなんだ。ええ!?」

「嫌だからです」

「嫌だとぉ? いいか、あんたには否定する権利なんかないんだよ! そんなこと最初から分かってるだろうが!」

「私は……もう、何もわかりません」

「相澤、金子! 連れて行きなさい」


 羽田に指示を受けた相澤と金子という大柄の事務所の職員は文句を言った痩せ男の両脇を抱え、そのまま休憩所を出て行った。


 あの男はきっとこの後、相澤が言っていたように「教育」されるのだろうか。この職場の連中はもしかしたら、俺のように他に行き場のないクズの集まりなのかもしれない。厳しい管理下で教育され、囚人のように扱われ、同じ毎日を繰り返す。そうなると、ここはさながら日帰り刑務所みたいなもんだ。あと二日で解放されることを思えば、俺はまだマシな身分だと思えたし、俺みたいな奴の為にこいつらは存在しているのかもしれないとも思えた。

 いずれにせよ口も利かなければ何の関わりも持たない奴らのことだ。

 こいつらが泣こうが喚こうが、生きようが死のうが、俺にとってはどうでもいい。

 今はあと二日耐え、ここを出て大我を捜すことが何よりも先決なのだ。


 作業を終えて外へ出ると、吉村の銀色のバンが駐車場の隅に停まっているのが見えた。近寄って中を覗いてみると吉村の姿はなかったが、すぐに建物の中から吉村と相澤が揃って出て来るのが見えた。

 軽く頭を下げると相澤は引き返して行き、吉村が手を上げながらこっちへやって来た。


「上原君、お疲れ様」

「あの、上野です」

「あー……悪いね。どう、子供見つかった?」

「いえ、まだ何も」


 吉村は客先の駐車場にも関わらず、辺りに人の気配がないことを確かめると煙草に火を点けた。


「そうかぁ……心配だわなぁ……。この前は色々言っちゃってさぁ、すまなかったね……」

「いえ。吉村さんの言う通り、戻った所でどうにも出来ないっすから。それに、もう離婚してるし、今は元嫁に新しい男もいるんで」

「へぇー……それじゃあ立ち入る隙がないね……家族なんて、形があってないようなもんだからね」

「まぁ、そうですね。今日はどうしたんですか?」

「君が脱走してないかどうか、見に来たんだよ」

「ちょっと、いくらなんでも逃げないっすよ」

「冗談だよ。まぁ……あと少し、後悔のないように頑張って……」

「後悔なら最初からしてますから、大丈夫です」

「そりゃあ……まぁ、とにかく頑張って……じゃあね」


 吉村は何かを言い掛けたが、運転席に座るとさっさと行ってしまった。俺の軽口に付き合ってる暇なんかないのかもしれないし、咄嗟に思いついたことをすぐに忘れてしまったようにも見えた。


 飯を食い終わった後に元嫁に連絡を取ったものの、息子の大我は発見されないままだった。倉庫で聞いた声をふと思い出し、まさかという想いが再び脳裏を過ぎる。あと二日で勤務が終われば百万円を手にして山を下りれることを思えば、ここで全てを棒に振るような真似は出来ない。

 しかし、そのまさかという想いは時間が経つにつれて焦燥へと変わって行く。

 ホテルへ帰っていつもと変わらず頭の中の想いを潰す為に酒を飲み続けていると、部屋の電話が鳴った。夜の十時も過ぎているというのに、一体誰だろうと思いながら電話を取ると、例のフロントの子供の声が聞こえて来る。


「お客様の、大事な落し物があります。大至急お届けに上がります」

「落し物って何だよ、財布もスマホもちゃんとあるんだけど」


 そう訪ねたが、電話は少しの間も置かずに切れた。

 インターフォンが鳴ってドアを開けると、配膳用のワゴンが扉の前に停まっていた。ワゴンに乗せられた小さな青色のワッペンを見た瞬間、俺は絶望の穴倉に突き落とされたような気分になった。

 小さなワッペンには「らいおんぐみ さかしま たいが」と書かれていたのだ。その小さなワッペンを握り締めながら、俺は叫び狂った。

 

 一階に下りて声しか聞いていないフロントのクソガキを捜してみたが、受付にその姿はなかった。おそらく一階に厨房や従業員の待機室があるはずだと思い、俺は一度外へ出て建物の裏手に回ってみた。すると、すりガラスで出来た勝手口があるのを見つけた。明かりは点いていなかったが、この中にあのふざけたガキがいるに違いないと思いドアノブを回すと扉が開いた。


 扉の向こうには物ひとつ置かれていない、十二畳ほどの空間が広がっていた。中へ足を踏み入れてみると、その部屋には窓も無ければ他の部屋に通じるようなドアすら無かった。つまり、出入り出来るのはこの勝手口だけになる。

 そうなると、あれだけ美味い料理や酒は一体何処から運ばれて来るのだろうか。あまりにも不気味なホテルの造りに、今更ながら俺は気味が悪くなった。

 内心ゾッとしたが握り締めていたワッペンを見て、俺はあの倉庫へ向かってみることにした。あの中で大我が俺を待っているかもしれない。そう思うと、身体はもう勝手に走り出していた。


続く(次回が最終回となります)

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