どの立場で言ってるんだか

「ここが、私の娘……橘すみれの部屋です」


 優佳さんに案内されて二階へ上った湊月は、廊下の突き当りに位置する部屋の扉の前で立ち止まった。


「すみれさんは部屋の中に?」

「えぇ。平日の昼間に時々外に出ているらしいのですが、私を含めて人がいる時は基本部屋から出てきません」

「……なるほど」


 どうやら、全く外に出ないという訳では無いらしい。ただ、優佳さんの口振り的に、どこに何しに行ってるかは分かっていないのだろう。


「では……ノックしてみます」


 そう言い、湊月は神妙な面持ちのまま一度深呼吸する。


 そして、優佳さんが無言のまま頷いたのを横目に、何故だかいつもより重たく感じる右手をドアの前に据え置いた。


 拳で軽く二、三度叩いてみる。木に物が当たる空虚な音が響くものの、中からの返事等は一切無い。


「……えっと~、あの……同じクラスの、小野寺湊月です。橘すみれさんは、中にいますか?」


 纏まらない思考でおずおずと言葉を繋いでいった湊月は、緊張なども相まって若干震えた声音でそう問いかけてみる。


 しかし勿論の事、中にいるであろう橘すみれからは、依然として何らかの返事が返ってくる事は無い。まぁそれはそうだろう。むしろ、これでコミュニケーションが取れるようなら、優佳さんは必死になって湊月を止めたりはしなかっただろうし。


 この時点である程度は挫けている湊月のメンタルだったが、優佳さんの──子を想う母親の表情を見た後だからなのか、もう少し粘ってみようという気持ちと共に再度一方通行な会話を続けてみる。


「えっとー、その……俺の友達で、すみれさんのクラスメートでもある多田翔馬って奴がいるんですよ。そいつめっちゃ変な奴で、クラスメート全員と友達になりたいとか言ってて。クラスの皆も、すみれさんとお話ししたいーって言ってるし、一回だけでも学校に来てみませんか?俺もその……すみれさんと話してみたいですし……」


 実際に他のクラスメートがそのような事を思っているのかは分からないし、何なら橘すみれの存在が頭から抜けている人がほとんどだろう。しかし、まずは学校に対する忌避感を取り除くのが先決だと考えた湊月は、続けて言葉を並べる。


「俺自身、学校ってあんまり好きじゃないんですけど、行ってみたら意外と楽しかったりするんですよね。あ、そうそう!もう少しで華文祭があるし、きっとすぐクラスの人達と馴染めますよ!何だかんだ優しい人達だし。……それに、何よりも貴方のお母さんが、とってもすみれさんの事心配してます。初対面の俺と話せないのは当たり前だと思うけど……その……お母さんとは、少し話す時間を作って貰えたらなって思います」


 湊月はそう言いながら、喉の奥に何か取れない物が詰まっているような感覚に陥いる。こんな事を平気な顔で言ってる自分に対しての嫌悪感なのか、それともあの日から縛り付いて取れない罪悪感からなのかは分からないが。


──母親と話す時間、ね。俺はどの立場でこんな偉そうな事を言ってるんだか。


 この無粋な口出しは、勿論紛れもなく本心だ。ただ、それは自分自身に対しても言える事であり、橘すみれに伝えたかった事なのか、自分自身に言い聞かせていたのかは分からなかった。


「母親と話す時間……か」


 橘すみれに対して一方通行な会話を終え、自分に嫌気が差しながら小声でボソッとそのような事を呟いていると、唐突に目の前のドアからガタンという音が聞こえた。それは、肉声ではなくとも間違いなく部屋の内側にいる者──橘すみれからの反応であった。


 恐らくは、部屋の中にある何かをドアに向けて軽く投げつけたのだろう。どこの部分が琴線きんせんに触れたのか分からないが、確かなのは今これ以上彼女に向けて何か言うのは逆効果だという事だ。


「……お節介な事言って、すみません」 


 ドアに対して俯きがちにそう言い残し、湊月は不安気な表情を浮かべている優佳さんの方へと向き直る。


「……力になれなくて、ごめんなさい」


 そのまま、ゆっくりと頭を下げた。


「頭を上げてください。小野寺君が謝る事じゃないです。むしろ、謝らなきゃいけないのは私の方ですから。むりやり引き留めてしまってごめんなさい」


 湊月に続いて、優佳さんも深々と頭を下げる。


 そして、先に頭を上げた湊月の頭部が、未だに下げている優佳さんの頭部へとぶつかった。


「あ!ごめんなさい!!大丈夫ですか!?」

「あ、いえいえお気になさらず!」

「でも、頭がそれなりの勢いでゴツンって……」

「あはは……二人とも頭下げているっていうおかしな光景でしたからね。でも本当に大丈夫なのでお気になさらず!」


 優佳さんは笑いながら大丈夫だと言っているが、ぶつけた箇所に視線を向けるとじんわり赤くなっている。肌が白い分、その赤みが余計際立っていた。


「いや……当たった部分が結構赤くなっちゃってますけど……」

「え~っと、あ、ほんとだ。ちょっとだけ腫れちゃってますね」

「腫れてるんですか!?ほんとにごめんなさい!!」

「まぁでも、これくらいの事は日常茶飯事だったんで、気にするほどの事じゃないです!」

「でも……!」


 一貫として気にしていない様子を貫く優佳さんだったが、それでも湊月の心の中には申し訳なさが残ってしまう。前に夏音から、『女の人は顔も命なんだよみっつん!』と言われたのを思い出し、波打つ動悸が更に早くなった。


「えとえと……その……医療費は働いて全額払います!!なので、高校を卒業するまでは待ってもらえませんか!!」

「そんな大袈裟な。病院に行かなくてもこれくらいならすぐ治りますよ?小野寺君も、タンコブできたくらいじゃ病院に行かないでしょ?」


 気が動転している湊月を宥めるように言う優佳さん。

 

「それはまぁ……そうですが……それは俺が男だからで……」


 しかし、罪悪感と焦りで胸がいっぱいになっている湊月はどうしても落ち着けない。そんな様子を見兼ねた優佳さんは、「あ!それじゃあ……」と一つの提案を持ち出した。


「最近私、死ぬ程仕事が忙しくて人と雑談とかしてなかったんですよ。だから、お茶菓子でも食べながら、少しお話しませんか?」

「え……そんな事で良いんですか?もっとこう、内臓を売ってこいとかそういうのじゃなくて……」


 意味不明な事をきょとんとした表情で言う湊月に、優佳さんはクスっと笑いながら、


「もう、私を何だと思ってるんですか?とりあえず、一階に行きましょうか」

「え、えぇ……分かりまし、た?」

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