母親の想い

「お、おじゃましま~す……」

「ごめんなさい。少し散らかっていて」

「あ、お構いなく……」

「今お茶を出すので、どこか適当な所で座って待ってて下さい」

「あ……お構いなく……」


 橘すみれの母親──橘優佳さんは、湊月を玄関に通して奥のリビングへと歩いて行った。


「なんか……流れで家にお邪魔しちゃったけど、良く考えたらめっちゃ緊張するな……」


 立ち話も何だからと軽い調子で玄関の敷居を跨いだ湊月だったが、考えてみれば志穂と夏音以外の女性の家は上がった事が無い為、目的があって来ているとは言え変な緊張を覚えてしまう。


 脱いだ靴を丁寧に揃えた後、恐る恐るといった様子で足を踏み出した。


 屋内は妙にガランとしており、散らかっているどころか一軒家の家庭としては物が少なすぎるのではとさえ感じる。 


 置いてあるインテリアも生活に必要な最低限のものがほとんどで、見たところ娯楽品と呼べる物はリビングにあるテレビだけであった。


 通された部屋に入った湊月は、置いてある物品の少なさに驚きながら近くにあった木製の椅子に腰掛ける。


「ビックリ……しましたよね?物が全然無くって」

「あ、いえ!……ま、まぁ、少しだけ」

「あはは……私がそこまで家にいる事が無くって。その……娘もほぼ自分の部屋にいて滅多に出てこないので……」


 むりやり口角を上げて、苦笑気味に愛想笑いをした優佳さん。


 湊月は、あまりにも気まずい空間に、何とも言えない表情のまま出されたお茶を喉に流し込む。


「そういえば、あなたのお名前をまだ聞いていませんでしたね。えっと、お伺いしても?」

「あ、はい!橘すみれさんと同じクラスの小野寺湊月って言います!遅くなってすみません!」

「いえいえ。タイミング的に聞けていなかっただけなので。それで……小野寺君は、どうしてウチの前に?」

「えっと……それは、娘さんをがっ──」


 そこまで言ったところで、自分がとてもデリケートな部分に口を突っ込もうとしているのを思い出し、ついその先を口走りそうだった舌を一旦しまった。


「えっとですね、何て言うのか……そのー、う~ん、え~っと……」


 しかし、一時的に言葉を飲み込んだからといって、それ以上に気の利いた言葉が出てくる程湊月の語彙力は豊富で無い。その為、結局は口をパクパクとさせるだけになってしまう。


「娘を、登校させる為……でしょうか」


 その様子を見ていた優佳さんは、戸惑っている湊月に対して悲しそうな、また少し申し訳なさそうな表情でそう尋ねた。


「えっと……えぇ、まぁ」

「です……よね。この前も、担任の先生がいらっしゃいましたし、そうなんじゃないかとは薄々感じていました」

「や、やっぱり迷惑でしたよね!急に知らん男が来て娘さんを学校に連れて行きたいなんて!」

「い、いや……そんな事は……」

「ごめんなさい!!今日は帰ります!社先生には、違う方法を考えてもらうのでッ──!!」


 優佳さんの表情を見て居ても立ってもいられなくなった湊月は、スクールバッグを手に取ると急いで玄関へ向かおうとする。


 そもそも、各々の家庭にはそれぞれの事情がある。なのに、それを見ず知らずの他人が勝手に踏み荒らすような真似をすれば、誰だって不快になるだろう。それが大切な愛娘の事ともなれば尚更であり、分かってはいた事だけどあまりにも無粋だった。


──最低だ、俺。自分の都合で人様の事情に土足で踏む入ろうとした。


 自身への嫌悪感が凄まじく、もうまともに優佳さんの顔が見れない。


「後日、改めてしっかりと謝罪に伺います!!本当にすみませんでした!」


 リビングを出る際、優佳さんの顔を見ない──いや、見れないまま深々と頭を下げる。そして、そのまま踵を返して廊下に出ようとしたその時、


「──待ってッ!!」


 湊月の左腕が勢い良く掴まれた。


「な、何ですか!?」

「お、お願い……だから……ちょっと、待って……」


 その手はとても華奢で、引き留める力も左程強くは無い。だが、優佳さんの何かに縋るような表情に、湊月は急ぐ足を止めるしかなかった。


「えっと……」

「違うの……違うんです!迷惑とか全く思ってないですから……」


 ほんの少し息を荒くしながら、必死にそう言った優佳さん。そのまま続けて口を開く。


「このままじゃ、娘は退学になってしまうんです!!」

「それは……PTAのやつで?」

「はい。一年生の頃からずっと通学していないすみれは、元々卒業が危うい状況ではあったんです。それで、最近いらっしゃった担任の方から、PTAの総意で不登校生徒を順に処置していくという話が出ている事を教えて頂き……」

「……はい」

「どうしても、娘には高校を卒業してほしいんです!!高校を途中で退学した後の人生の厳しさを知っている私としては、娘に同じ境遇を経験してほしくなくて!」


 若干瞳に涙を溜めながら、自身に言い聞かせるように言う優佳さん。


「でも、僕が言ったところであんまり効果無いと思うんですけど……」

「それでもッ!それでも、私にとっては最後の希望なんです!それに、担任の方がとっておきの人材を連れてくると……」

「あー……え~っと、それは……」


──翔馬の事、だよなぁ……


 口には出さなかったが、湊月の頭には翔馬の顔が浮かんでくる。


 そもそもが難しい案件だが、湊月よりも遥かに翔馬の方が可能性はあったはずだ。他人との打ち解け方も距離の詰め方も、圧倒的に翔馬の方が上手い。


「本当にお願いします!!娘の……娘の事をお願いできないでしょうか!」


 そう言って、優佳さんは深々と頭を下げた。ポタっと、数滴の雫が木製の床に反射する音が部屋に響く。その姿をよく見れば、華奢な肩が小刻みに震えていた。


 もちろん、湊月だって力になりたいのは山々だ。しかし、正直なところ、二年間不登校という選択肢を取っていた橘すみれが、今更湊月に説得されたところで登校する可能性は僅かにも無いだろう。


 だが、目の前で頭を下げている優佳さんを前に、断れる程の無情さを湊月は持ち合わせていなかった。いや、それはもしかしたら、無い希望を少しでも抱かせてしまう点において非情とも言えるのかもしれないが。


「……わか、りました。出来る事は頑張ってみます。ただ、これだけは了承して下さい。あまり、期待は出来ないと思います」


 湊月の言葉に、無言で頷いた優佳さん。


 それを確認した湊月は、軽く深呼吸すると、


「では……すみれさんの部屋まで案内してもらっても良いでしょうか?」


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