選択できる自由

「あー……マジでどうしよ。いや、どうしようも無いんだけどさ……」


 全く知らない家の門前で立ち尽くし、肩を落としながら独り言をぼやく湊月。


 社先生に教えて貰った橘家の住所をスマホに打ち込み、地図アプリの指示通り歩いたら到着したこの家は、まず間違いなく橘すみれが住んでいる家なのだろう。


 目的地の前まで来たのは良いが、そこから中々行動を起こせないまま独り言を呟くというのを、大体十分程続けていた。


「そもそも、マジで知らん奴が家に来たところで怖いだけだろ絶対……」


 溜息交じりに言う。


「てか、学校に来たくないって生徒を無理に登校させる必要って、本当に無いと思うんだけどなぁ……」


 もちろん大抵の人の常識的に、学校にはしっかり行った方が良いとされているし、学校としても不登校がいない方が世間様からの評価が高くなるのは火を見るより明らかだろう。


 だが、湊月から言わせれば、学校に行く事というのは人生を豊かにする一つの手段でしかなく、誰かに強制されるものではないのだ。


 学校で学を育み、他人とのより良いコミュニケーションの方法を模索する。これは確かに豊かな人生を送る為には大切だ。学歴があれば将来の選択肢が大幅に増えるし、コミュニケーション能力があれば上手に世渡りをしていく事が可能だったりもする。


 しかし、それだけが生き方の全てでは無いのもまた事実。


 多種多様な人間がいる中で、各々の向き不向きというのは確実に存在する。才能とも言い換えられるのかもしれない。


 自分にはどう頑張っても不可能な事を、他の人はいとも簡単にやってのけてしまって、悔しさや若干の妬みを心に感じた経験というのはないだろうか。その代表例が、運動神経だったり地頭じあたまの良さだったりするわけだが。


 こういった違いを互いに理解し、そして補い合うのが人間という種族の強さであり、最近流行りの多様性なのだと思う。わざわざ改めて言われなくても、大体の人が長所と短所という言葉で括り無意識的に理解している事だろう。


 湊月の目線からすれば、学校に行かないという選択肢も多様性の一つであり、人の向き不向きという枠からはみ出ていないのだ。


 無理に世間が敷いた『一般的』のレールに乗っかる必要もないし、少しずつ自分の頑張れる範囲から頑張っていけば良いと思っている。何故なら、人によって出来る事が様々なように、頑張れる量や量も全然違うから──


「……ッ!」


 そんな事を考えていると、ふと頭の中にフラッシュバックされる最期に父と会った日の光景と、悲しそうに笑う彼の表情。


 そう。いつだって一番最悪なのは、無理矢理世間のレールを走ろうとした結果、心と体からの危険信号に気付かず壊れてしまう事なのだから。


「あ、あの~」

「…………」

「うちの前で何を……?」

「あー!何であの時!!」

「ひっ!」


 後悔に打ちのめされて唐突に声を出した湊月。


 その横で、軽い悲鳴のような女性の声が聞こえた。


「ん?」

「だ、誰ですか……?」 

「えっと……?」

「ここ、私の家の前なんですが……?ていうかその制服って……」


 湊月は、声が聞こえた方へと視線を向ける。


 すると、そこにはブロンドの長髪をした若い女性が、おずおずとこちらを伺うように立っていた。


「ごめんなさい!ちょっと考え事を……」

「あ、いえいえ!それよりその制服って、私立華峰文理学園のものじゃ……?」


 湊月の着用していた制服を指差して、そう尋ねる女性。


「そうですが……あ!違いますよ!悪い事を企んでたとかじゃないですから!」

「あはは、大丈夫ですよ。それは疑ってませんから」


 女性は、微小を浮かべながら手の平を横に振った。


「えっと……華文をご存知なんですか?」

「え、えぇ……まぁ。娘が通って──在籍していますので」

「あ、そうだったんですね!……ん?てか今さっき、ここ私の家の前って……」

「はい。私の家の前で間違いないです」

「それで……娘さんが華文の生徒さん……?」

「えぇ……」


 二人の間に妙な沈黙が降りてくる。


 そして、玄関の傍らに掛かっている表札に書かれた『橘』という苗字と、その女性の顔を交互に見た湊月は、


「あの、もしかして……」

「何でしょうか?」

「橘すみれさん……のお母様ですか?」


 その言葉を聞いてほんの少し沈黙した女性は、何か意を決したように唇を結んだ後、ゆっくり口を開いた。


「はい。橘すみれは、私の娘です」


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