大人は縛られながら生きている
「え!?俺が!?無理ですって!!」
放課後。帰りのホームルームを終えた教師達が続々と戻ってくる華逢文理学園の職員室で、湊月の叫び声が部屋全体に響き渡る。
「ちょ、湊月!声がデカいって!」
「あ、ごめん……」
何人かの教師に訝し気な視線を向けらている事に気が付き、湊月は俯きがちに押し黙った。
「でも本当に無理だって!コミュ力なら絶対翔馬が行くべきだろ!」
「いーや?これに関しては確実に湊月が適任だと思うね。むしろ湊月以外じゃ考えられない!」
「なんでそんな信頼されてるの!?先生だって元々翔馬に頼むつもりだったんですよね!?」
「う~ん。でもまぁ、多田がそこまで言うなら小野寺に任せても……」
「何でそうなるんですか!?あーもう!翔馬に連れてこられただけなのにどうしてこうなった!?」
「付いてきたお前が悪い!」
「ッ!お前なぁ……」
湊月は全力で恨みを込めた視線を送るが、対する翔馬は気にせずケロッとしながら笑っている。
「……ていうか、そういうのって普通担任の先生が家に訪問するもんじゃないんですか?生徒の、それも見知らぬクラスメートが来たところで警戒されるだけだと思うんですけど……?」
「そりゃもちろん僕だって何度か行ったさ。でも、話すどころか生徒と対面すらできなかったんだよ。だから、多田のノリの軽さとテキトウさでどうにかならないかな~と思ってね」
「ん?先生それ俺の事褒めてます?それとも貶してます?いや、貶してますよね?」
「そうですよ!翔馬の八方美人さとテキトウ具合がそういうのに関しては絶対適任ですよ!」
「え、何で俺こんなに貶されてるの?思わぬ飛び火過ぎない?」
「でも多田が、『俺は部活とか色々忙しいのでその相談を受ける事はできません。その代わりに、めちゃくちゃ適任がいるので連れてきます!』って言うからさ。だから頼まれてくれないか?この通り!」
「や、やめて下さいよ先生!周囲の大人の視線が痛いですって!」
手の平を合わせながら頭を下げる担任に対して、動揺しながらあたふたとする湊月。
「いや!やめない!小野寺が頼まれてくれるまでやめない!!」
「子供のワガママか!大人としてのプライドは無いんですか!?」
「そんなものは教員免許を取ったその日に捨ててきたわ!僕は生徒に対して大人っていう立場から圧力をかけて自分の思い通りにさせる教師が一番嫌いだからな!」
「めっちゃ良い事言ってるけど、一緒に人としての尊厳も捨てる必要は無かったでしょ!」
「もし頼まれてくれないならここで土下座するからな!職員室で教師に土下座させるなんて学校問題になりかねないかもな~?」
「新手の脅しじゃないですか!!生徒に社会的な圧力かけてくるの止めて下さい!!」
「あーやばい!僕の手と膝が段々床に近付いていって……」
「分かった!分かりましたから!ですから背中を丸めて土下座の体制を着々と作るの止めて!?」
担任が何の気兼ねもなく土下座の姿勢を作ろうとしたところを慌てて止めに入った湊月は、半ば強制的にその頼みとやらを承諾させられてしまう。
湊月からの渋々な了承を獲得した担任の男は、満足気に椅子へと座り直して安堵の溜息を吐いた。
「ふぅ……良かったー!そうかそうか快く引き受けてくれるか!」
「ほら先生言ったでしょ?湊月なら絶対即決でやってくれるって!」
「そうだな!いやぁ~これで肩の荷が一つ降りた気分だよ」
「いやどこが快くなんですか……立場を使って生徒を脅すなんて卑怯ですよ!」
「まぁそう言うなって。もちろんお礼はするさ」
「お礼……ですか?」
「あぁ!小野寺って遅刻のし過ぎで、あと一回遅れたら生徒指導入るよな?」
「あー……そういえば前にそんな事を言われたような……」
「今年から、遅刻の生徒指導はあの強面体育教師が対応する事になってるんだよ。聞いた話によると、以前までの反省文は引き続きで、それに加えて一か月の間早朝から校門に立たされて登校してくる生徒達に挨拶しなきゃいけないらしいぞ。それすらもサボったら保護者を呼んで三者面談な」
「はぁ!?遅刻位で処罰重すぎませんか!?」
「僕だってそう思うけど、これはPTAも強く賛同していてどうする事もできんからな」
「あと一回で毎朝の挨拶……?そんな……」
突然突き付けられた事実に愕然とする湊月。確かにこの頃毎朝校門に立ってる生徒がいるなとは思っていたが、まさか遅刻者への罰だったとは。
「そこでだ!無事不登校の生徒を連れてくる事に成功した暁には、今年のお前の遅刻数をゼロに書き換えてやろう!どうだ?悪くない提案だろ?」
「……教師がそんな事して大丈夫なんですか?」
「普通にダメだろ、当たり前だ。もしバレたら、僕が校長と二者面談になる」
「えぇ……じゃあ何でそんな交換条件を?」
「不登校児を登校させろってPTAが圧力をかけてきたからな。正直、学校にどうしても行きたくない生徒を無理矢理登校させる事には全く賛成できないが、PTAが怖すぎてどうにかするしかないわけよ。校長より全然PTAの方が怖い」
「先生情けなさすぎません?」
「大人になるとな、色々見えない鎖に繋がれながら生きなくちゃいけないんだよ。だからこそ、お前達は今を大切にしろ?」
「良い話風に纏めてますけど、要はPTAが怖いから俺を物で釣ってでも不登校生徒を登校させたいって事ですよね?」
「おぉ。話が早くて助かるよ」
「はぁ……もう。約束ですよ?先生の首が飛んででも俺の遅刻改竄してくださいね?」
「おう!任せろ!」
「信用できないなぁ……」
懐疑心が残るものの一端話は纏まり、そそくさと職員室を後にする湊月と翔馬。
湊月を巻き込んだ張本人である翔馬は、部活があるからと駆け足で下駄箱へと向かう。
そして、一人残された湊月は、無駄に長い廊下の奥を見つめながら重苦しい溜息を吐き肩を落とした。
「あーあ……何でこんな事になったんだか……」
そう言って、事の発端である帰りのホームルーム終わり──今となっては殴り倒しでも引き留めたい自分の行動を思い出す。
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