精神



(しかし、やっとじゃが、こやつの異能がわかり始めてきたぞ)


 カジノの奥へと続く廊下を進みながら、アスタは前を行くネビの背中を見つめる。

 渾神カイムや、他の人間達の話を聞く限り、ネビ・セルべロスという彼女が拾った男はそれなりに名を馳せた有名人らしい。

 そして、アスタ自体もネビに何かしら異常性があることは朧げながらに理解していたが、その正体に気づき始めていた。


(こやつの最大の特徴は、“集中力”、じゃな。それも極端なまでの)


 これまで無邪気にギャンブルを楽しんでいたようで、その実アスタはこれまで以上にネビのことを観察していた。

 欄外の彼岸ロストビーチで初めて会った時からその兆候はあったが、もはや明らか。

 ネビ・セルべロスは、異常に集中力が高い。

 それも、その極限といえるほどの集中状態を非常に長く持続できるようだった。


(それにそれだけじゃない。こやつの頭の中がどうなっているのかわからんが、精神力もバカみたいに強いようじゃ)


 先ほどまでのダーツの勝負。

 高速回転する的に対して、狙った箇所に矢を当て続ける神技。

 それに関しては、常人離れした動体視力を持つ加護持ちでならたしかに不可能ではないだろう。

 

 だが、それをあの状況下で、何度も成功させられる者が、何人いるだろうか。


 一度でも失敗をすれば、これまで稼いできた金額が一気にマイナスになる。

 明らかに相手は何かしらの手段を用いて、失敗が起こり得ない状態。

 そんな通常ならば、そもそも集中力を一度でも高めることすら困難であろう条件下で、ネビは一度も集中を絶やすことなく矢を放ち続けたということになる。


(……まさに異能、か。こやつの最も特異な点は、この精神性じゃな。何をどう生きてきてたらこんな頭の造りになるのか不思議で仕方ない)


 迷いなく前だけを見て進み続けるネビ。

 その姿にアスタはほんの僅かに身震いをする。

 もし、この男の狂気じみた執念が、何かしらのきっかけに自分に向いたら。


(これは取り扱い注意かもしれん。他に選択肢がなかったとはいえ、一番大きなギャンブルをしたのは、私じゃろうか)


 すぐ隣では渾神カイムが落ち着きなく、きょろきょろと周囲を窺っている。

 今ではカイムがネビを見ただけで怯えていた理由が少し分かる気がした。


「ね、ね、ネビ? もう戻らない? 絶対ここ普通の人がきちゃいけないところでしょ」


「問題ない。俺たちは普通じゃないからな」


「いやそれ悪い意味ででしょ。むしろ大問題なんだけど」


 ダウンライトで照らされた廊下の突き当たりには上階へと続いている階段があり、先ほどのカジノマスターの姿はない。

 一度だけ足を止めると、ネビは先の見通せない上を覗く。


「……匂うな」


「なにが? 美味しい匂いする?」


「女と金。どうやら揃ったらしい」


 ネビが再び歩き出す。

 なんか美味しい匂いするかな? とアスタにもカイムが小声で聞いてくるが、それを彼女は無視してネビの背中を追う。

 階段を上り切ると、そこには両開きの扉があり、僅かに隙間ができていてそこからは確かに、仄かにある匂いがした。


「……血の匂い、じゃな」


「うん? あ、ほんとだ。ちょっとするかも。てか血!?」


 生臭い、鉄の香り。

 カジノという娯楽施設では本来するはずのない匂いに、アスタは警戒を高める。

 ネビは特に何も言葉を発しないまま、その扉を開いた。



「……あぁん。久しぶりねぇ。ネビ・セルべロス。ちょっと我慢できなくて、少し自分でしちゃったわ」



 からん、からん、と床を転がるダーツの矢。

 香りを強める、血の匂い。

 扉の先には奥行きのある広間があり、その最奥のソファに上半身裸の大男が一人座っている。

 その足元には、もはや原型を留めないほど顔を腫らして、ぴくりとも動かない正装の男が一人。

 吐血のせいか、全身を赤く汚したその床に転がる男が、少し前までネビとダーツ勝負をしていたカジノマスターと呼ばれていた者だとアスタは遅れて気づいた。


「デカラビア。お前の加護を、貰いにきた」


「アハっ! 相変わらずせっかちな男! 前戯が下手くそなところ、変わらないわねぇ」


 大男は鮮やかなピンク色の乳首を発達した大胸筋の上でピクリと動かし、甲高い声で笑う。

 そして自らのスキンヘッドを丁寧に撫でながら、カイムとアスタの方に視線を送った。


「カイムちゃんも、久しぶり。やっとアタシに抱かれる気になったってわけ?」


「うぅ! 相変わらずキモすぎ! そんなわけないじゃん! ネビに脅されて無理やり連れてこられただけだから!」


「無理やり? あぁん。なんて興奮する、ヒ、ビ、キ」


 恍惚とした表情で、筋骨隆々の大男は盛り上がった上腕二頭筋をビクンビクンと動かした。

 舌なめずりをして、床に転がるカジノマスターの上に足を置いて、興奮を押し込むように力を入れる。


「それで、もう一人の可愛らしいガールはどちら様? アタシ、ロリでもなんでも女ならなんでもいけちゃうけど?」


「おい、ネビ。あの気色悪いハゲはなんじゃ? まさかあんな醜いやつが私と同じ神とか言わんよな?」


「“精神せいじんデカラビア”。六十六番目の神だ」


「私と同じ神? へぇ? あ、ちょっと、濡れてきたかもぉ!」


 グチョ、と何か固いものを踏み抜く音と共に、大男が立ち上がる。

 欲望に燃える瞳をギラつかせ、第六十六柱の神は不自然なほどに白く整った歯を剥き出しにする。


「でも残念、女と金、だけじゃ、もう物足りないの。あなたが堕ちてる間に、アタシ、もっと欲しいものができたのよ」


「……なるほどな。あと、一つか」


 第六十六柱、精神デカラビア。

 欲望の街の支配者は、口角を釣り上げると、指を鳴らす。



女と金とセックスアンドマネーアンド……暴力ヴァイオレンス!」



 瞬間、暗転。

 奪われる視界。

 突如感じる浮遊感。

 アスタの足元から、床の感覚が消えていた。


(なっ!?)


 その時、誰かがアスタの腕を取る。

 慣れた感触。

 不安は、秒でなくなった。



「安心して堕ちろ、アスタ。この試練に、俺は勝つ」


「無論じゃ。負けてもらっては困る」



 暗闇の中、アスタはどこかに落ちていく。

 しかし、光は見えなくとも、すぐ傍にあった。


 

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