私が生まれた後
私は2001年3月28日に鹿児島の病院で生まれた。
その当時、鹿児島の病院では桜島と桜が満開で見えていたようだった。
私の名前を決める時、父が「桜島も見えるし、桜も満開だし、世界中の人にも呼んでもらいやすいように"桜"と名付けよう」と言い出し、私の名前は桜となった。
私は小さい頃の記憶はほとんどなく、あまり覚えていないのだが、かすかに母が父の事でいつも泣いていた事は今でも覚えている。
そして私が4歳になり、2005年3月25日に弟が帝王切開で生まれた。
母によるとその時の私は弟のオムツを取りにナースセンターに行き「弟のオムツをください」と言ったそうだった。
そして帝王切開した母のお腹を閉める作業を間近で見ていたらしく、「私も看護師さんになりたい」と発言していたようだった。
その後は部分部分しか知らないが私は保育園を1度転園した事があると聞かされたのだ。
最初の保育園では当時私が好きな人がいたらしいのだが、弟の誕生で近くの保育園に転園したとの事。
保育園時代の私は人見知りはしなかったけどあまり喋らず、母が「今日は何を食べたの」と聞いても「分かんない」の一言だったそうだ。
家でもいつもあまり喋らず一人遊びをずっとしていたそうであまり手がかからなかったそうなのだが、ある日母がいつものようにご飯を作っていたら私が見えなくなり、探していたら押し入れに隠れて油性のクレヨンで顔に落書きをしていたようだった。
これにはビックリした母は急いでお風呂場で落としたそうなのだが油性のため中々落ちず、結局次の日、保育園の先生に「お風呂場で落としたんですが取れなかったんです。」と説明し落としてもらったことがあったと。
保育園でも私は一人遊びをしていたらしく、高学年になるまでずっと一人遊びしていたので母が心配していたのだが、周りの子達が話しかけ仲良くなったので安心したのだとか。
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