第2話 九番隊ツラン班名物、長距離援護射撃始動

「何だって?」


 ハルトシが訝しそうに問い返す。キヨラは上空に視線を馳せ、面を綻ばせた。


「シュギクさん! ここです」


 手を振るキヨラへと、一頭の蝶々が舞い降りる。伸ばしたキヨラの指先に、燐光を帯びた蝶が止まった。


「お久しぶりです。ハルトシに『同期』をお願いします」


 そう言ったキヨラの手から飛び立った蝶が、ハルトシの頭で羽を休める。


「私はハルトシたちを守ります。代わりに、ハルトシへ情報を共有してください」


 キヨラはその言葉を残し、〈高潔なる迅き者〉を発現して敵陣へと突っ込んでいった。


「この蝶々が何になるって……、うわ⁉」


 ハルトシは思わず声を上げる。ハルトシが今見ている景色に重なるように、もう一つの光景が脳内に映ったのだ。二重に見える視野に困惑の吐息を漏らした。


 もう一つの景色では、黒髪黒瞳の厚い眼鏡をかけた小柄な青年が見返している。かつてキヨラが所属していた九番隊のミチフユだった。


「ミチフユさん?」


『何だ、ハルトシさんですか。キヨラさんだと思って期待したのに』


 ミチフユにはハルトシの声が聞こえたのか、露骨に残念そうな表情を作る。ミチフユの声もハルトシに聞こえており、何とも不思議な状況だった。


「これは?」


『ウチのシュギクさんの加護ですよ。遠くにいる人物と蝶を通して、視覚や聴覚を共有できるのです。今、ハルトシさんはシュギクさんと感覚を同期していて、シュギクさんが見た光景と音を共有できています』


「はあ、何か凄いっすね」


『……分かっていないようですね。まあ、いい。こちらの状況を伝えます』


 面に侮蔑を刷きながらミチフユが口を開く。


『ヒカリヨ市内は恐慌に陥っています。マルカナ丘陵にあの巨大な喰禍、ガルガンチュアが現れたのですから当然でしょうが』


 平原に展開していた〈花の戦団〉も迎撃を試みているが、その巨体に攻撃が通用せず、ガルガンチュアが生み出した喰禍の大群に押されて後退を続けている。


 ほぼ残存の全戦力をガルガンチュアへの応戦に費やしているため、市民の避難は兵士が担当していた。しかし、混乱する市民を相手には誘導が迅速に行えず、避難状況は芳しくない。


 もしガルガンチュアがヒカリヨに到達すれば、その被害は甚大なものとなるだろう。


『私たちはヒカリヨの外壁から援護を行います。ツランさん』


『こっちの準備は万端。あとはミチフユフーが一声かけてくれれば、このあたしの指が喰禍どもの苦痛と絶叫の二重奏を爪弾くだけだって』


 ミチフユの言葉に応じたのは、黒髪を項で束ねた女性だった。眦が鋭い勝気な風貌をしており、その面貌を不敵な笑みで彩っている。


 その女性は路面に腰を下ろして大型のクロスボウを構えている。その大きさたるや、両手で持つこともできず、弩を路面に置いて自身も腰を下ろして構えるしかないほどだ。


 外壁には腰の高さほどまでの防壁が設けてあるのだが、弩を構えるには邪魔なので破壊してしまっている。見晴らしの良くなった外壁上で、その女性は弩の先端を遠方の喰禍に向けていた。


『よし。それでは、マキビさん。発破用の赤リンゴをお願いします』


『はーい。赤リンゴ、一個入りまーす』


 マキビ、流麗な金髪を有する幼い顔立ちの少女であり、スカートの裾にはヒラヒラした目立つ刺繍を施している。その腕には木の皮で編まれた木製の籠を提げており、そのなかには幾つものリンゴが詰められている。


 マキビは赤いリンゴをツランが構える弩の矢に突き刺した。鋭利な刃に貫かれたリンゴ果汁が滴って陽光を弾き返す。


『よし。シュギクさんはどうですか?』


『見えてる。いつでもいける、ミチフユフー


 ハルトシの視界が動き、ガルガンチュアを遠くに眺めた。一部分が破壊された石造りの外壁の隙間から、大きな弩がガルガンチュアへと向けられている。


 白い腕が伸ばされ、細い指がガルガンチュアの足元を指し示す。


『ツラン。あそこ、喰禍が密集してる。予測では一撃で十二体の岩魔を破壊可能』


『任せとき。……来た!』


 ツランが引き金を爪弾く。特大の矢は虚空を爆砕しながら直線的な軌道を描き、喰禍の集まる地点へと着弾。


 遠くからでも一目で分かる火炎が天へと噴き上がり、爆風に巻き上がった岩魔が影のように炎を取り巻いていた。爆発が起こった一角だけ空間ができ、その一撃で喰禍の足並みが乱れる。


『破壊したのは十体。二体の誤差だね。ツラン、少し右にずれてる』


『あんたの指が、風にそよぐ細枝みたいに震えていたんだよ』


『喧嘩しない。マキビさん、赤いリンゴを追加してください』


『はーい! 赤リンゴのお代わりでーす』


 ツランが弩の弦を引いて留め金に引っ掛けるが、肝心の矢を装填することはしない。そもそもツランは矢を所持していなかった。

 そのとき何もない空間から極太の矢が現れ、弩に番(つが)えられた状態になる。開花したツランの加護により、弦を引けば矢は自動で装填されるようだ。


 再びマキビがリンゴを矢に突き刺す。マキビの加護により、恐らくあのリンゴが爆発を引き起こすのだろうとハルトシは推測した。


『というわけで、ツラン班名物の長距離援護射撃でここから支援します』


「助かります! 喰禍の数が減れば俺たちも動きやすくなります」


 ハルトシが喜色を浮かべて応じると、キヨラが横に立つ気配があった。

ミチフユフーさん、聞こえますか?」


『キヨラさん! ええ、あなたの声を聞き逃すはずはありません』


「お願いです。私をずっと見ていてください」


 ミチフユは眼鏡を外して遠くガルガンチュアの方に視線を向ける。その仕草を目にして、ハルトシはミチフユの能力を思い出した。


 ミチフユの〈花守〉としての能力は、視線の合った人物に〈ハナビラ〉を付与するというものだ。そのため私生活では無駄に〈ハナビラ〉を与えないように、度の入っていない眼鏡をかけている。


 視線が合いさえすれば、どれだけ離れていても〈ハナビラ〉を対象に付与できる。ミチフユであれば、ヒカリヨの外壁からでもキヨラを開花させられるだろう。


『言われなくても、いつも見ていますよ』


「あー、すいません。キヨラはもう行っちゃいました」


 すでにキヨラは加護を発現して敵陣に斬り込んでいた。ミチフユは口の端を痙攣させ、遠くを見やっている。


 これ以上触れないのが優しさだろうと、ハルトシが話題を転じる。


「とにかくミチフユさん。お願いします」


『それじゃあ、同期を切る』


 シュギクが言葉を発すると、二重に映っていた視界が一つに戻っていく。


ミチフユフーってば、キヨラキーちゃんのことになると顔色が変わるよね。嫉妬嫉妬』


『本当にさ。こんな美女三人が横にいて不足だって言うんだから、たいしたものだよ』


 同期が切れる前にマキビとツランの小言が漏れ聞こえる。ミチフユも苦労していそうだ。

 感覚が元に戻ると、微かな違和感を払拭するようにハルトシは首を振った。


「ツラン班が援護してくれるみたいだね」


「ああ。これで俺たちの負担も減るはずさ」


 ウタカの声に応じてハルトシがそう言った直後、遠くで爆炎が上がった。続けざまに爆発が起こり、渦巻く炎と土煙が喰禍の死を彩る。


 如実に喰禍の数が減っていき、戦団が陣形を整え直して喰禍と対等に渡り始める。戦況に余力が出てきたことで、ハルトシが安堵の息を吐いた。


「これなら何とかなるかもしれない」

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