第3話 開花宣言
ヒカリヨは、大きな円を描く外郭に囲まれた一般的な都市国家の形状をしている。〈花の戦団〉が位置するのは東門近く。女神の生まれ代わりと伝わる〈神花〉が咲く〈花園〉が都市の中心となっている。
シロガネ大聖堂や議会などの文化的建造物は西部に密集していた。
ハルトシたちが休憩に利用したシガラキ公園は、ヒカリヨの大通りから外れた北部に位置していた。〈花の戦団〉本部に帰るには遠回りしなければならない。
一同の左手には、外敵を通さないための外郭が建物の屋根越しにそびえ立っていた。
外郭はヒカリヨを一周するように囲んでおり、三つの正門からしか出入りができない。北門、東門、南西門から伸びる街道はそれぞれ他の都市国家に続いている。
ハルトシたちが歩く路地は大通りとは異なり、住居や集合住宅、近隣の住民が利用する食料店が多い。路地では子どもたちが走り回っており、自然と一同は笑みを誘われた。
かなり歩を進めた四人が東門の近くを通りがかったとき、人の大声や忙しなく行き交う足音がその耳朶を打った。不審そうにキヨラが音源の方角へと瞳を向ける。
「騒がしいようですが、何事かあったのでしょうか?」
「様子を見に行った方がいいと思うか?」
「看過するわけにはいきません」
「キヨラちゃんならそう言うと思った」
「私もー、同感ですー」
「よし、行ってみよう」
四人は声の聞こえた方向、東門へと走った。
東門には堅牢な鉄格子状の門扉が備えられており、まだ昼間であるため門扉は開かれていた。門の横手には警備兵の詰め所が設置され、普段は不審な通行人に兵士が目を光らせている。
東門を入ったところに警備兵が集まっている。兵士が騒々しく動いている姿を目にし、一同はその場に駆け寄る。
「どうかしましたか?」
「あなたは?」
振り返った兵士が問い返したので、ハルトシは後ろのキヨラたちが見えるように体を開く。〈花守〉というのは基本的に女性の印象が強いため、その姿を見せるのが手っ取り早い。
「〈花の戦団〉の〈花守〉です」
「これは、ご苦労様です。応援に来られたのですか?」
「いえ。近くを通りかかって騒ぎが聞こえたものですから」
「そうでしたか。実は、街道で〈喰禍〉が現れたそうでして。目撃者から話を聞いているところです」
「〈喰禍〉⁉」
ハルトシが驚愕の声を上げ、キヨラたちも顔を見合わせて無言のうちに意識を共有し合う。
カンパネルラと面会した翌日に、再び〈喰禍〉が現れたのである。これを偶然と捉えることなどできなかった。
四人の驚きを別の意味に理解した兵士が口を開く。
「このヒカリヨ近辺で〈喰禍〉が出没するのは珍しいですからね。ただ、幸運にも居合わせた〈花守〉の方がいまして、追い払ってくれたそうです」
「他にも〈花守〉が?」
「はい。今は見張りをしてくださっています。とにかく、こちらへ」
兵士に案内された四人は、目撃者らしい中年の男女の横を通り過ぎて東門を出る。広大な草原に街道が伸びる風景のなか、一つの影が佇立していた。
その人影が意外にも見知った人物であったので、クシズが喜色を浮かべて呼びかける。
「マリカちゃんー! どうしてここにいるのー?」
クシズの呼び声に振り向いたのは、金色の巻き毛と翡翠の瞳を有する少女、マリカだった。豪奢な衣服に施された金色の刺繍が陽光の下にあって眩しい。
「クシズ、とみんな……。応援に来てくれたの?」
「ううんー。ちょうど近くを通りかかったんだー」
マリカは四人へと歩み寄る。
「私も用事があってこの近くに来たとき悲鳴が聞こえたの。街道に十体くらいの甲蟲がいたから追い払ったんだけど……」
「怪我は無いー?」
「うん。私は無事」
マリカは四人と向き直って立ち止まった。
「逃げた甲蟲はこの先の森に逃げて行ったわ」
「森と言っても、歩いて三時間はかかります。マリカさん、ここから見えもしないのに、よく分かりましたね」
キヨラの指摘を聞いてマリカが圭角のある視線を返す。
「クシズからこの先の森で〈喰禍〉が出現したと聞いたから、そう思っただけ」
「そうだよー。マリカちゃんには任務のことを簡単に話してあるものー」
「そうでしたか。マリカさん、失礼しました。」
キヨラは軽く頭を下げたが、マリカは応えなかった。
険悪になりかける空気を嫌うようにウタカが言う。
「逃げていった甲蟲がまた人を襲うかもしれないね。どうする?」
キヨラが息巻いて腰の小太刀の柄に手を置いた。
「無論、見逃すことはできません。そうですよね、ハルトシ?」
「ああ。追いかけよう」
先陣を切るキヨラにウタカが続いていった。クシズは走り出しながら振り向く。
「マリカちゃんは街の人を守っていてー」
「分かった。クシズも気をつけて」
マリカに心配されたことが嬉しいのか、クシズは顔を綻ばせると二人の後を追って行く。
ハルトシも三人に続いて駆け出したが、踵を返したマリカの表情がどこか冷めていたように見えた。
「いました! 甲蟲です!」
四人が街道を走っていると、森の方へと進む甲蟲たちの姿があった。
キヨラも仲間を置いて突出するほどの無謀さは無く、遅れがちになるハルトシとクシズに合わせて走るうちに日が暮れかけてきている。
甲蟲たちを見失うことはなく彼我の距離は固定したまま、ハルトシたちの追走は続いている。
「キヨラちゃん、気付いた? あの甲蟲、ウタカたちの速さに合わせて走っているみたい」
「はい。まるで私たちを誘い込んでいるような」
「そうだよね。だけど、下級〈喰禍〉にそんな知恵があるはず無いのにな」
ウタカが首を傾げたが、今は甲蟲を追いかけることしかできない。
四人が森に辿り着いたときには、すでに太陽は地平に半分その身を沈めていた。天空は濃紺色に塗り潰され、西の片隅に茜色の残滓が漂っている。
森の手前で停止した甲蟲に合わせてキヨラたちも立ち止まる。
「ここまで私たちを誘き出したかったようですね」
キヨラは呼吸を弾ませているが鍛えているだけあって余裕のある面持ちだ。キヨラに遅れずついてきたウタカは、さすがに息切れしている。
「ウタカたち……を、疲れさせるのが……目的かな?」
「ですが、この程度の疲労など問題になりません。さあ、クシズさん、ハルトシ、戦いです!」
キヨラは後ろを振り返った。
その瞳に映ったのは、疲労困憊のようで座り込んでいるクシズとハルトシだった。その弱々しい姿にキヨラの膝が折れる。
「キヨラちゃんもズッコケが上手くなったなあ」
息を整えたウタカの声を背に浴びつつ、キヨラが背筋を正す。
「クシズさん、敵が目の前にいるのですよ!」
「そんなことー、言ったってー、もう動けないよー……」
「まったくもう。ま、あの数ならば私一人でも十分ですが」
キヨラは甲蟲の群れに向き直り、腰の小太刀を抜き放った。
「さあ、観念しなさ……」
キヨラがその宣告を言い終える前に、驚きがその言葉を途切れさせた。
急に甲蟲たちの前方の空間が揺らめいたのだ。それは〈喰禍〉が出現する前兆でもある。
空間が揺らめいてその背景が不鮮明になったのも数秒、揺れる空間が内側から弾けて衝撃波が同心円状に放たれた。
空間が元に戻ったとき、そこには新たな〈喰禍〉が出現していた。
それは出来損ないの泥人形のような怪物だった。体長は大人よりも一回りは小さく、頭部とその下がほぼ同じ比率の二等身で酷く不均衡だ。
体表が緑色の岩のようで頑丈そうな出で立ちをしており、顔に当たる部位には丸い紅玉が二つ嵌まり目のようになっている。その手には歪な形の棍棒を持っていた。
低級に位置づけられる突撃型喰禍、〈
「くッ、増援ですか」
「キヨラちゃん、岩魔だけじゃないよ。あれを見て」
ウタカが指差す先には一際大きい〈喰禍〉が佇立している。
「あれは……」
「見た目は二足で立つ馬に似ていて、全身を黒い毛並みが覆っている。面長の頭部には、側面と正面に計三つの赤い瞳。両手足が太く、その手には槍のような武器を所持している。間違いないよ、駆逐型喰禍〈
「ヒカリヨ周辺に魔騎馬が出るなんて、信じられません……」
キヨラがその面に愁眉を刻む。
魔騎馬は中級の〈喰禍〉に認定されており、〈花守〉にとっても脅威となる能力を有している。甲蟲や岩魔とは一線を画す強敵であった。
「ウソー! 魔騎馬までいるのー? 話が違うー、逃げましょーよー!」
先ほどまでの疲労がどこへ消えたのか、立ち上がったクシズが泣き叫ぶ。
「そういうわけにはいきません! ハルトシ、開花させてください!」
さすがにハルトシも、休んでいる場合ではないと判じてキヨラへ駆け寄る。
それと同時に魔騎馬が槍を一振りし、それを合図としたように岩魔が突撃を開始した。
「早く!」
そう言うとキヨラがハルトシに向けて右手を差し出した。ハルトシは躊躇うことなくキヨラの手の甲に接吻する。
女性の〈花守〉に固有の能力があるように、男性〈花守〉が〈ハナビラ〉を他者に分け与える方法にも個人差がある。
ハルトシが〈ハナビラ〉を対象の人物に与えるために必要な条件は、接吻であった。
キヨラの手にハルトシの唇が振れた瞬間、ハルトシの身体から舞い上がった〈ハナビラ〉がキヨラの肉体へ吸い込まれていく。
突進してくる〈喰禍〉の一団に向き直ったキヨラの身体は淡く発光していた。小太刀の切っ先が赤い光で延長され、衣服に走った幾筋もの線には脈動するように光が走っている。
キヨラの異様な姿を目にして惑乱したように岩魔が動きを止めた。
開花とは、体内に〈ハナビラ〉を満たした〈花守〉が全力で能力を行使できる状態である。〈花守〉の能力の根源は〈ハナビラ〉であるため、その能力は一気に向上する。
女性〈花守〉は、必ず〈種子〉と呼ばれる自身の能力の核となる物体を所有している。キヨラであれば小太刀、クシズの日傘、ウタカは髪飾りが種子だった。
〈ハナビラ〉は万物の根源であるため、人間の体内にも存在している。常に身に着けているモノが〈花守〉由来の〈ハナビラ〉を浴び続けることで、その物体は〈花守〉の半身とも言うべき種子へと成長する。
収集した〈ハナビラ〉を高密度にすれば物体をも創造できる。〈花守〉の意思に応じた種子が指向性を持たせ、〈ハナビラ〉を具象化させるのだ。
小太刀の刀身が赤い光で延長されているのも、その衣服に深紅の線が走っているのも、それらは種子を媒介にして〈ハナビラ〉が形状を変化させたものだ。
「私が時間を稼いでいる間にクシズさんとウタカさんも早く」
そう言ったキヨラの姿が霞んだ。次の瞬間、岩魔たちの眼前へと転移したキヨラが両手の小太刀を揮う。
その一撃で二体の岩魔が瞬時に塵となって消え去った。黒塵に包まれたキヨラの瞳が、次の獲物を狙って光彩を放つ。
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