ハイキング
桜の開花の数日後、生徒会長の開会宣言とともに三湖夜祭は幕を開けた。
初日の今日は、部活の紹介と一、二年生のクラス発表が体育館で行われた。
午後はクラス全員で行う、最後の発表練習と、模擬店の準備を急ピッチで進めていく。
結局、下校時間ギリギリまで残って、ようやく終わった。なんとか明後日にはオープン出来そうだ。
みんなと別れて、バスに乗り込んだ。会社員と学生の帰宅時間のピークを過ぎたバスは空いていて、座席はいくつか空いていた。
良かった。身体を座席に滑り込ませる。
この一ヶ月は毎日、弦バスの練習と模擬店の準備で校内に夜遅く残っていたから、くたくただった。
座席に体を預け、イヤホンから音楽を流して眼をつぶると、すぐに眠気がやってきた。
*
「今日が一、二年生のクラス発表で、明日は何をやるの?」
ママがわたしが作った肉じゃがを食べながら訊いた。
今日は珍しく残業もなく、ママが早めに帰ってきたから一緒にキッチンに立つ。
平日、ママと一緒に夕飯を食べることなんて月に一度あるか、ないかだ。
「この肉じゃが、ほんと美味しいわね」
こっちに来てから、仕事も忙しいせいか食べ盛りのわたしと同じくらいママはよく食べる。食べることは活力の源だからって、言いながら。以前より少しぽっちゃりしたせいか、ママは最近、洗面所にある体重計には近づこうともしない。
「明日はハイキング」
「ハイキング? どこで?」
「どこって学校のすぐ横はジャングルみたいなものじゃない。あそこにいくつかのハイキングコースがあるんだって」
ほら、とさっきまで見ていたしおりをママに見せる。
「ふーん、思ってたより凄い広さなのね。ママもいつか行ってみようかしら。気分転換とダイエットを兼ねて」
「それもいいかもね。最初は軽いコースから始めてみれば?」
「時間ができたらね。当分は無理そうだけど。明日はお弁当?」
「そうだけど自分で作っていくからいいよ」
最近は忙しいママに代わってよくキッチンに立つようになったから、料理の腕もだいぶ上達した。お弁当は最短で十五分で作れる。
「そう? そうしてくれると助かる」ママはにっこりした。
食べたお皿を手際よく食洗器に並べる。
明日の地獄のハイキングに備えて今日はさっさとベッドに入るつもりだ。
翌朝はいつもより一時間早く起きた。昨夜ドライヤーをかけずにベッドに入ったから、髪が東西南北のすべての方向にはねてる。こうなると寝ぐせを直すのも面倒だから、シャワーで全部濡らしてからいつもより高い位置でひとつに結んだ。これでよし。
天気もいいから、日焼け止めをたっぷり塗る。女子高生に日焼けは禁物。
お弁当はサンドイッチに大好きなイチゴを詰めた。
学校について、すぐにジャージに着替える。
日陰に入ると肌寒いこともあるから、念のため上着を一枚持って行く。
ホームルームの後、グラウンドに集合。点呼が終わるとすぐにグラウンド脇から、森へと続く小径を通ってクラス順に入っていく。
わざわざバスに乗って移動することもなく、学校から徒歩でハイキングコースに直接合流できるなんて、大自然に囲まれた森徳学園くらいかもしれない。
生い茂った葉が日陰を作り、肺いっぱいに息を吸い込むと、瑞々しい空気が肺を満たした。
歩く順番は背の順と一応決まっているけど、女子は好きな子同士でだんだんと固まり、男子は時々ふざけながら歩き、一時間もしないうちに列はばらばらにほどけてくる。もっともコースは一本道で迷うこともないし、そもそもみんなと交流しようという趣旨のもと行われてるイベントだから先生達もそのへんは寛容だ。
森の中はひんやりと涼しかった。
初夏の日差しを浴びて、より一層萌える緑が眼に眩しい。
森林浴をしながらブナやカエデなどの巨木が立ち並んでいる小径を通り抜け、しばらく進むと「二十キロコース」と立て看板が出てきた。ここからやっとスタート地点だ。
一時間くらい歩いたところで、小さな湖が見えてきた。これが直井くんが言っていた三つの湖のうちのひとつらしい。湖というより池のように小さいけど、水は信じられないほど澄んでいた。
日差しが薄い雲の上から優しく注いで、水面を照らし空の青さも、綿のような雲も鏡のようにそのままそっくり映し返していた。
最初はきれいな景色に目を奪われ、みんな、楽しくおしゃべりしながら歩いていたけど、二時間もすぎるとだんだん口数が少なくなっていった。足取りも出発した頃より重い。その中でも比較的元気なのは、運動部の生徒だ。わたしとはづきにいたっては、口を動かすくらいなら、その体力を足を動かすほうに使いたいといった感じ。
直井くんの言う通りだった。文化部にとってはまさに地獄。きれいに舗装されている道路とは違って、所々に緩いアップダウンもあり、かなりきつい。練習が厳しいと評判のバスケ部に所属している美咲は元気。
「ほら、はづきも冬桜も元気だして。もう少しで休憩のポイントだよ」
さっきから無言のわたしとはづきに、十五分おきに激励の言葉をかけてくれている。
「はーい・・・・・・」
「頑張りまーす・・・・・・」
わたしとはづきは力のない返事を繰り返すのがやっとだ。
そこから黙々と歩くと、暫くして国道にぶつかった。国道を渡ると食事処が何軒かあって、アイスクリームやお団子などのちょっとした甘味を売ってるあるお店や、土産屋もあった。
一般の観光客もそこそこいる。お店が並んだその向こうには、開けた場所がありそこでお昼休憩の予定だ。
渡辺先生の声が後ろから響く。
「今から一時間の休憩でーす」
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