コンサート①

日曜日に予定が入ったのは幸いだった。

あの渡り廊下でのことをまだ引きずっていたから。

落ち込むほどのことではないはずのに、あの時の彼を思い出すたび、ちくりと胸が痛んだ。

 


 招待されたコンサートに手ぶらで行くのもねと、花屋で待ち合わせをして、作ってもらった花束を手にバスに乗り込む。座席は空きがなく、バスの前の方へ行き手すりにつかまる。


「今日はどれくらいの人が来るんだろう」

ブザーが鳴ってドアが閉まる。


「市民会館は千五百人も入れる所だよ。さすがに全部の席は埋まらないだろうな」

 美咲が小声で言った。


「吹部はみんな行くって言ってたよ」


「ま、直井はもてるから、女子はそこそこ来るだろうけど。前にテレビに出てる歌手のコンサートに、母親の付き添いで行ったことあるけど、会場はガラガラでびっくりしたもん。そこそこ有名でもそんな感じなんだから。ましてやクラシックだしね」


「お客さんが少なくても、クラスメイトが行けば喜んでくれるよね」

わたしは明るく言った。


「こうして花束も用意したし」

 大きくはないけれど直井くんをイメージした黄色のデイジーの花束。


「そだね」


 十五分ほどでバスを降りて、会場まで徒歩で十分くらい。ここからは道が狭くバスが市民会館まで入れないため、歩いていくしかない。

バスから一緒に降りた同じくらいの年齢の子達も、同じ方向に向かっていく。


「きっとあの子達もコンサートに行くんだよ」美咲にそっと言った。

 

 市民会館へ向かう小さな路地を曲がるたびに、人数もだんだん増えていく。

会場に到着すると、すでに長い行列ができていた。ここからだと列が長すぎて先頭が見えない。美咲と顔を見合わせて驚く。


「これ、まさかみんなチェロコンサートに来たとか言わないよね?」

 美咲が眼を丸くして言う。


「お客さんの心配をする必要はなかったみたいね」わたしは呆然として言う。


とりあえず列の一番後ろに並ぶ。前にいる二人組も高校生くらいだ。

美咲とおしゃべりしながら待っている間にも、人は増えて列はみるみるうちに長くなっていく。


「直井ってそんなに凄いヤツだったのか・・・・・・?」美咲は首をひねる。


「そういえば吹奏楽部の部長もそんなようなこと言ってた。学校でなんか聞ける演奏じゃないって」

 

 クラシックコンサートの客層は品のあるおばさま達って感じがするけど、周りを見回すと若い子達の方が圧倒的に多い。それもほぼ全員女子。まるで人気の男性アイドルのコンサート会場みたいだ。



 吹部ならともかく、高校生がお金を出してまでチェロの演奏を聴こうとするとは考えにくい。だとするときっとお目当ては直井くんかもしれないな。

「これって、本当にチェロが聞きたくて来てるの? それとも・・・・・・直井が目的なわけ?」

 

美咲もわたしと同じことを考えていて笑った。

開場の時間になり、列がぞろぞろと前に動き始める。


「ちなみに私達の席って決まってる?」


「そのはずだよ、ちょっと待って」わたしは鞄からチケットを取り出す。


招待チケットの赤いハンコが押してあって、席番号が印字されてある。


「一階のKの二十五と二十六」

 

直井くんからもらったチケットは、真ん中の通路をはさんだ一番前の席。遮るものが 何もなくてステージがよく見える。


「特等席だ」美咲の嬉しそうな声。

 

近くの席には同じクラスの生徒や吹奏楽部、他の学年の森徳の生徒もいる。

開演十分前。周りを見渡すと、後ろの方や二階席までびっしりと人で埋め尽くされている。ガラガラどころか空席のひとつも見つからない感じだ。


「一体、あいつは何者なのよ?」美咲はぶつくさ呟く。

 


 ブーッ。会場内に開演を知らせるブザーが響き渡り、照明が落ちる。

それまでがやがやしてた会場がざわざわになり、ひそひそになって開場は静寂に包まれる。



 心がときめく、わたしの好きな瞬間だ。

金色と朱の刺繍で鶴をあしらった緞帳が、するすると音もなく上がっていく。

薄暗いステージ中央に半円を描くように椅子に座った三人のチェリスト。右端に直井くんがいた。長身で端正な横顔。いつも見ているから、シルエットでも一目で直井くんだと分かる。

 


 緞帳が上がりきったと思ったら、ステージにスポットライトが当たり突然演奏が始まった。知らない曲だったけど、テンポがよくて聴いてるだけで楽しくなるなような曲だ。誰かが手を叩き始め、全体に広がり会場は手拍子で盛り上がる。途中からピアノの音も加わって、もっと聴いていたいような衝動を残したまま曲が終わった。割れんばかりの拍手が沸き起こる。

 


 拍手の中、直井くんがおもむろに立ち上がり、ステージの中央に立った。みんな一斉に腕を伸ばし、スマホを直井くんに向ける。森徳の緑色のブレザーを脱ぎ、黒い燕尾服に身を包んだ直井くんは凄く大人っぽくて、わたしの隣の席の男の子には見えなかった。


「みなさん、こんにちは。今日はお忙しい中、僕たちのコンサートにお越しいただきありがとうございます」


これだけの人数の前でも緊張する様子もなく、いつもの笑みを浮かべて、深々と頭を下げた。


「ここでのチェロコンサートは今年で五回目になるそうです。去年から僕も声をかけてもらって、今日が二回目になります。見ての通りまだ若輩者ですが、尊敬できる大先輩達と一緒にこの舞台に立てることが光栄です。この日のために練習を重ねてきました。短い時間ですが、みなさんも楽しい時間を過ごして頂けたら嬉しいです」

 


 また頭を下げた直井くんに、再び大歓声と拍手。女の子達の黄色い声も飛ぶ。

途中に直井くんのソロもあったり、曲と曲の間の軽快なトークも面白く、二時間はあっという間に過ぎていく。

最後はアンコールにスタンディングオベーション。

コンサートは大盛況のうちに終了した。 


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