第28話 欠席


お気に入りの音楽が流れる。イントロの部分でスマホに手を伸ばし、音楽を止めた。

布団から起き上がり、ベッドのすぐ脇の黄色いカーテンを開ける。雲に隠されて太陽は見えない。でもどんよりとした空ではなくて、今にも雲の切れ目からひょいと太陽が顔を出しそうな薄曇りだ。



 ひどい低血圧でいつもならぐずぐずと布団の中から出られないのに、今日はすぐに眼が覚めた。朝から気持ちが、妙にそわそわしてるせいだ。というか、昨日からずっとそんな感じ。



 理由は分かってる。黒い傘の持ち主のせいだ。洗面所で洗顔し、いつもより時間をかけて髪を結ぶ。玄関に行き、一晩乾かしておいた黒い傘を、折り目通りに丁寧にたたむ。



 家の中はママの姿はなかった。今日はいつもより早く出勤したみたいで、テーブルの上にお弁当とメモが置いてあった。

『先に出ます。夕方も遅くなると思うから適当に食べてね』

冷蔵庫を開けると、わたしの好きなポテトサラダとピーマンの肉詰めがある。



 今日は天気予報をちゃんと確認した。降水確率は10パーセント。自分の傘は持っていく必要はなし。

彼の傘を持って家を出たものの、歩きながらどうやって返そうかなぁと考えを巡らせた。偶然を装うなんてできないし、誰かに頼んで返してもらうのも失礼だし、やっぱり普通に会って返すしかないか。まだ昨日のお礼も言えてないし。

 


 バス停に着いた時に、ドアの鍵をかけたかどうか急に不安になる。かけた記憶はない。時間を確認した。二つ後のバスに乗ってもぎりぎり間に合う。

まったく・・・・・・彼のことを考えていたせいだ。自分の不注意にうんざりしながら、身を翻しマンションに向かって走った。

 

結局、ホームルーム五分前に教室に入った。もうほとんどの生徒が登校していた。

朝一番でAクラスに行く勇気はなくて、とりあえず机の横のフックに傘をかけておく。家に戻ったのは無駄足になった。記憶は全くないけど、無意識にかけたらしい。


「今日は遅かったね。休みかと思った」

席に着くと、課題をしていた直井くんが話しかけてきた。


「鍵をかけ忘れたような気がして、一度戻ったの」


「そっか。いつものバスに乗ってなかったから」


「がっかりした?」


「それはもう、想像以上に」芝居がかった返事に、思わず笑った。


 イケメンで優しくて、その上直井くんと話すと楽しい。

この授業が終わったら返しに行こう、と思うのだけどいざ休み時間になると、やっぱりもう少し後でもいいかと尻込みしてしまう。

机の横にかけてあるだけなのに、授業中もなんとなく気になって揺らしてみたりする。


「それ、吉野の傘?」 

三時間目が終わった休み時間に、直井くんに訊かれた。


「違うよ。昨日昇降口で雨がやむの待ってた時、貸してもらったの。いつ返しに行こうかなって思ってて」

少しの間を置いてから、意味ありげに首をほんの少しだけ傾げた。


「なに?」


「借りたものをいつ返しに行こうかなんて、そんなに深刻に考えないものだけど。ただの友達か知り合いならね」ズバリと指摘してくる。


「なんだか今日は、ずっとその傘のこと気にしてるみたいだね」

わたしの眼を見て探るように訊いてくる。


「え? そう?」わたしは笑ってごまかす。


「あまり親しくない人だから」


「言い訳するところが余計に怪しいな」


「もう!」



 からかわれてることに気づいて、わざと怒った顔をすると直井くんが笑った。

結局、いつ行こうかと迷ってる間に午前中はあっという間に過ぎていった。

今日返さなければ、ますます返しにくくなるのは分かっていたから、昼休みに行くことに決めた。



 お礼を言って返すだけだし、何も難しいことじゃない。直井くんの言うとおり、ただの友達か知り合いならば。美咲は恒例のお昼寝タイムで爆睡中だったから、はづきについて来てもらった。

教室移動する時でもこっちの方に来ることはほとんどないし、Aクラスってだけで同じ学校なのにアウェーな感じがする。


「いるかな? 高下くん」


 滅多にくることのないAクラスに、興味津々といった感じのはづきの半歩後ろをついていく。教室の後ろのドアから、そっと覗いてみた。

昼休みということもあって生徒はまばらだ。信じられないことに机でひとり勉強してる人も何人かいた。教室を見回しても彼はいない。


「あれ、高下くんいないみたい・・・・・・」横にいるはづきが呟く。


「誰かに用ですか?」


教室に入ろうとした、見るからに真面目そうな眼鏡男子に話しかけられた。


「あ、あの高下くんいますか?」


「彼なら、今日休んでます」

 予想してなかった答えだった。昨日はなんともなかったのに。それとも濡れたせいで、本当に風邪でもひいちゃったのかな。



どうしようか一瞬迷ったけど、眼鏡男子の怪訝そうな表情に気がつき、慌てて言った。


「・・・・・・あ、じゃあこの傘、彼に返しておいてもらえますか?」


「分かりました。返しておきます」


頼んだのはわたしなのに、彼の方が礼儀正しく頭をさげた。


「あの、」教室の中に入っていっていこうとする背中に呼びかけた。


「今日はなんで休んでいるのか知ってますか?」


「さあ、理由は聞いてないですけど」男子生徒は首を傾げた。


「そうですか。じゃ、傘お願いします」わたしは傘を渡し、お礼を言ってAクラスを後にした。


なんか午前中ずっと緊張して損した。肩透かしを喰らった気分。


「冬ちゃん、会えなくて残念だったね」はづきがわたしの肩をぽんと叩いた。


「むしろ良かったかも。あの人に会うのなんだか緊張するし、朝から気が重かったんだよね」



 嘘ではない。でもこれで彼に会う口実がもうなくなったんだと思ったら、傘を他の人にお願いしてしまったことを後悔している自分もいた。

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