第26話 近づく距離②
「冬に桜っていう名前は珍しいね」
「冬生まれなんだけど、生まれた病院のすぐ前の通りに桜が咲いていたからって」
桜という漢字が使われる女の子の名前は多い。冬の桜より、凛桜とか真桜とかもう少し可愛い名前の方が良かったな、なんて小学生の頃はよく思ってたっけ。
「その名前、君に合ってる」
それってどういう意味で・・・・・・訊こうと思ったら、ザァーッと雨音が急に激しくなって、彼は外に顔を向けた。
「これじゃ、傘をさしても濡れそうだ」
わたしも彼から外に視線を移す。
なんだか不思議。少し前まで、高下蓮の存在なんて全く知らずに生きてきたのに、今はこうして隣に並んで一緒に雨の音を聞いている。
どんなに長生きしても、出会わない人もいる。というか、この国の人口から考えると人生で出会う人なんてほんのひと握りだ。出会いは誰が決めるのだろう。やっぱり神様? 運命?
そんなとりとめのないことを考えてると、彼は尋ねた。
「吉野さんは転校生なんだよね?」
保健室に運んでくれた時も思ったけど、彼の話すスピードは普通の人よりゆっくりだ。外見が貢献するところが大きいのは間違いないけれど、落ち着いた物言いが優雅で大人びて見える要因の一つなのかもしれない。
あせると早口になり、そそっかしい性格のわたしは、大人っぽいとはまず言われない言葉だ。
「あ、うん。Bクラスです」
いきなり自分のことを訊かれて驚き、ちぐはぐな返答をする。
「わたしが転校生だってこと、どうして知ってるの?」
「あの日ぶつかった時、見たことない子だなと思った。一度見た顔は絶対に忘れないから、この学校の生徒は分かる。それに同じクラスのやつが言ってた。かわいい転校生が来たって」
彼は肩をすくめた。そんなの誰が聞いても社交辞令だって分かるのに、かわいいと言われて急に恥ずかしくなる。
「ここに来る前は、どこに住んでたの?」
「北倉市ってところ」
「じゃそこの高校に?」
「そう、県立の高校」
「で、一年通って転校」
「うん。母親の仕事の都合で、突然引っ越すことになって」
「それは大変だったね」
意外なことに気遣いがある言葉が返ってきて、思わず彼の方を見上げた。
「オレも何回か経験してるから、引っ越しの大変さは理解できるよ」
わたしの視線に気が付いた彼が言った。
美咲が冷淡だと言っていたけれど、こうして話してみると話す口調も柔らかく、彼にまつわる噂とは合致しない。
「中学では何の部活に入ってたの?」 わたしへの質問は続いた。
「吹奏楽部。コントラバスっていう楽器をやってたの。本当はクラリネットみたいな吹く楽器に興味があったのだけど、コントラバスの音を初めて聴いた時、わたしも弾いてみたいって思って」
何をこんなにひとりでしゃべってるんだろう。わたしの中学時代の話なんて興味あるのだろうかと疑問に思ったけど、彼はわたしの話にじっと耳を傾けてくれていた。
時折うつ彼の相槌は、どこか温かい。
「音楽が好きなんだね」
──あなたは?
あなたは何が好きなの?
何が得意なの?
どこに住んでるの?
休みの日は何をしているの?
ぶつかった時に、なんであんな眼をしていたの?
本当のあなたは……どんな人なの?
わたしからも訊きたいことはたくさんあるのに、ただの一つも言葉にできなかった。
二人とも外の方を向いたまま、暫く雨の音に聞き入っていた。
どれくらいの時間が経ったのだろう。空がいくらか明るくなり小雨になってきた。ちょっとほっとしたような、残念なような。
「ようやく帰れそうだね」
「うん」
「傘は持ってる?」
「今日は忘れちゃった」
彼はリュックから黒い折りたたみ傘を取り出し、わたしの眼の前に差し出した。
「使って」
「でも・・・・・・」
「オレはどうせ使わないから」
「ありがとう」
わたしが受け取ると、彼はそれじゃ、と言って昇降口を飛び出していった。彼の足が速いからのかそれとも長いからなのか、その大きな背中はあっという間に小さくなる。わたしは軽い脱力感を覚えながら、彼の後姿を見送った。
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