第35話 恐れていたこと


 それは肌寒くなり始めた十一月。

 このころになると兄さんの顔に生気はほとんどなくなっていた。

 毎日放課後の練習は続けていたけど、兄さんはずっと私に申し訳なさそうにしていた。

 それでも私は兄さんとの練習に毎日付き合った。

 兄さんは毎日練習をする前に


 「もし、嫌だったら本当に言ってくれてもいいんだぞ? 最近は夜遅くまで練習しているしな」


 と、私に言った。

 

「大丈夫、全然いやなんかじゃないよ。 だからお兄ちゃん、今日も練習頑張ろうね」


 兄さんの言葉に私は決まってこの言葉を決めた。

 兄さんは私との練習もつらそうにしていた。

 でも、私は兄さんとの練習を手伝わないわけにはいかなかったんだ。

 兄さんは試合の終わった後の公園で毎回泣きながら辛そうに、一人で練習をしていた。

 そんな兄さんの姿を私はずっと見ていた。

 だから私はおせっかいだとしても、私との練習が辛かったのだとしても私は兄さんとの練習を続けた。

 それが果たして正解だったのかは私にはわからない。

 でも、この時の私にはこんなことしかできなかったんだ。



 



 私が一番恐れていたことが起きてしまった。

 その年最後の大会の決勝戦のことだった。

 相手は以前、戦って惨敗してしまったチームだった。

 その試合でも兄さんはスタメンではなかった。

 私はもちろんその試合も見に行っていたが私はその試合はほとんど見ずに、ベンチにいた兄さんのことを見ていた。

 兄さんの出ない試合なんて面白くなかったからね。

 というわけでチームは前回の屈辱を無ぐうための戦いが始まったのだ。

 兄さん抜きで。

 試合は兄さんのチームリードで試合は進んでいった。

 兄さんはその試合をどんな気持ちで見ていたのだろうか? 

 兄さんの目には、もはや光は映っていなかった。

 試合は進んでいき、

 そして、試合には勝った………。

 試合が終わり、グラウンドを出てほかのチームメイトが接戦を制し、勝利の余韻を味わっている時私は見たのだ。

 今まで絶対に試合終わりの公園で意外に涙を流していなかった兄さんが


 一人、涙を流しているところを。


 その後兄さんは後輩に何かを言われすぐに涙をぬぐった。

 でも私は見ていたのだ。

 絶対に涙を流さなかった兄さんが、みんながいる………そして宿敵に勝利して優勝した勝利の美酒を味わっている時の兄さんの気持ちを。

 兄さんがいなくても………いや、いなかったときに勝つことが出来て、兄さんがいたときには惨敗した。

 これは兄さんの存在意義がないということの証明になってしまったのではないのだろうか?

 私はもちろんそんなことはないと今でも思っている。

 でも兄さんの立場になったらどうだろうか?

 こんな残酷な現実を受け入れることが出来るのだろうか?

 答えは否だ。

 そんなことはできるわけがなかった。

 それもまだ自我が完成していない小学六年生の少年にはなおのこと無理だったのだ。






    

 その後優勝トロフィーと一緒に六年生全員で記念撮影をすることになった。

 そこに行く前に兄さんは兄さんが一番仲が良かった浩介と何回か会話をしていたのをたまたま近くにいた時幸か不幸か私は聞いたのだ。

 兄さんが壊れてしまう言葉を。


「幸助、俺も一緒に写真を撮っててもいいのかな? 試合に出ていないのに」


 兄さんは、浩介にそんなことを聞いた。

 その時私はまずいと思った。

 その先の言葉を言ってしまうと兄さんは壊れてしまう。

 だから……

「浩介君! だめ! その先の言葉を言っちゃ、お兄ちゃんは………」


 “取り返しのつかないことになる“

 そう、言おうとしたが時すでに遅かった。

 浩介は兄さんの何とかつなっがっていた精神にとどめを刺してしまったのだ。

 

「そんなの当たり前じゃん。 だって俺たちは優勝した六年生だろ?」 


 その言葉を聞いた兄さんはどんどん絶望に表情が染まっていき


「ああ、ああ、あああああああああ! ああああああああああああああああ!」


 と、今までの我慢していたものすべてがあふれてしまったかのように絶叫した。

 周りにいた人の視線が一斉に兄さんに向く。

 まずい。

 兄さんがここで目立ってしまうのはだめだ。

 だから私は頭を抱えてうずくまってしまっている兄さんに駆け寄った。

 「ああ、俺なんかチームに必要なかったんだ。 位までの努力もすべてが無駄だったんだ………、そうだ、俺なんか別にいらない。 いや、いない方がいいんだ。 そうだ、消えてしまおうかな。 あああああああああ! もう限界だ。 嫌だ嫌だ嫌だ厭だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ! もう野球をするのが怖い! あああああああああ! あああああああああ!」


 兄さんがまるで呪詛を吐くかのように言葉を吐いては絶叫していた。

 周りの人たちは兄さんの豹変にみんな困惑していた。

 それは兄さんの一番仲が良かった浩介も例外ではなく、


 「ど、どうしたんだ総司? 俺何か変なこと言ったか?」

 「俺なんか必要なかったんだ。 嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ。

 辛い辛い、もう嫌だ! あああああああああ!」


 浩介君の言葉もまるで耳に入らず、兄さんは絶叫している。

 それはまるで精神異常者のようだった。

 私は何とかしてここからいなくならないと思い、お兄ちゃんの方を持ち何とかしてお兄ちゃんをたたせる。

 そして幸助に向かって


 「浩介君! お兄ちゃんは少し体調が悪いから早退するね! だから監督には兄さんの調子が悪くなったから帰ったって言っておいて」

 「え? そ、それはいいが総司は………」

 「わかったかって聞いているの!」

 「わ、わかった」


 その言葉を聞いて私は逃げ出すようにグラウンドを後にした。

 幸か不幸か今日の試合のグラウンドは家に近く家に帰ることにした。

 

 「お兄ちゃん! 大丈夫だよ、深雪がそばにいるから」


 そう、お兄ちゃんに言葉をかけながら私たちは家に帰った。

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