04-10:「そりゃ大変だ、早く何とかしないと」

 余りのことにアリシアは持っていたティーカップを取り落としてしまった。


 床は踝まで沈み込みそうな絨毯。割れることも無く音も立てずにカップは落ちたが、豪華な絨毯には染みが広がっていった。


 すぐさまメイドがティーカップを片付け始めたが、アリシアはそんな事にはまったく気付かぬように、ただ怒りで身体を震わせていた。


「あらら、ギルも困ったものだね。まったく。我々にひと言の相談も無く」


 ブランデーを傾けていたロイドは事の重大さを理解できていないようだ。傍らに立つアンドリューから侮蔑の目を向けられているのにも気付かない。


「未だに前皇帝陛下を慕い、その治世を懐かしむ人々がいるのは知っております。しかし彼等もまた無益な争いを続けているのも事実です。私とヘルムート陛下のお孫さんとの婚姻を良い機会として、是非とも一つになって銀河系社会の平和に尽力して下されば……」


 ロンバルディ邸は夜。夕食を終えた後、お茶や酒を傾けながら、今後の計画を相談していたところに、当のギルが会見を行ったというニュースが飛び込んできたのだ。


「この馬鹿が! 何を言ってるのか自分で分かってるの!!」


 アリシアは悲鳴のような怒声を、ディスプレイに映るギルへ投げかけた。


「前皇帝派の皆さんも仲良くしましょうだろう? 良い事じゃないか。まぁ事前に相談してくれなかったのは……」


 そう言うロイドだが、今度はアリシアからも侮蔑の眼差しを向けられる事になった。


「兄上も前皇帝派には、過激な主張を持つ連中も少ないと分かっているでしょう!!」


「そりゃあ……」


 言いかけたロイドだがすぐに名前が出てこない。そこに弟のアンドリューが言葉を掛けた。


「例えば神聖派などは過激な思想と行動で知られていますね。過去に何度もテロ事件を起こしています」


「おお、そうだそうだ。神聖派だったな。ど忘れしてしまったよ。よく知っていたな、アンドリュー」


 照れ隠しにそう言うロイドに、アンドリューは無表情のまま答えた。


「いえ、たまたま耳に挟んだのを覚えていただけです」


 それでロイドは納得したようだ。アリシアの方へ向き直って続けた。


「神聖派だったかな。確かに過激な連中だけど、帝国学園宇宙船にいるギルをどうにかできるわけでもあるまい」


「神聖派はその過激な主張故に、前皇帝派の中でもそれほど支持は高くないと聞きましたが」


 そう言うアンドリューをじろりと睨んでから、一旦、視線を逸らしてアリシアは答えた。


「シュトラウス王朝の血筋は神から与えられた神聖なもの。それ故に下々が触れてはいけないと主張しておりますからね。譲位後のヘルムートがそれを否定してを止めるように命じても、譲ろうとはしなかったのですから当然ですわね」


「どんな過激な主張をしてるか知らんが、旧特権派のように広く支持されていないのなら気にする程でも無かろう」


 のんびりとした兄とは対照的にアリシアは苛立ちを隠せない。末弟のアンドリューも落ち着き払ってみせてるが、事態の危うさには気付いているようだ。


「今まで前皇帝派は内輪もめを繰り返して、なかなか統一される気配が見えなかったのです。しかしギルフォードがその切っ掛けを作ってしまった……」


 アリシアが何か言いたいのか分からずぽかんとするロイドに、アンドリューが解説してやった。


「復位や独立、利権の追求などで利害の一致が見えなかった前皇帝派に明確な目的と旗印が出来たのですよ。兄上。噂に過ぎなかったヘルムート陛下の孫娘の確保と、本人や周囲の同意を得ずに彼女を婚姻しようとするギルフォード殿下の排除。それだけは兄上や姉上も避けたかったのでしょう?」


 兄、姉を立ててみせるアンドリューだが、アリシアは息子ギルよりも若い末弟に、不愉快な視線を向けるだけだ。しかし長兄はそんな空気に気付く前にまず狼狽えた。


「そりゃ大変だ、早く何とかしないと。ええと、まずどうしようか。アリシア」


「とにかくギルフォードに連絡して、何を考えてるのかそれを確認しましょう。兄上。そもそも記者会見自体、誰かの入れ知恵かも知れませんわ。自慢ではありませんが、こんな事を思いつく程、頭の回転が良い子ではありません」


「ははは、酷い言い様だな。アリシア」


「笑っている場合ではありません。兄上。すぐにウィルハム宇宙港へ連絡しましょう」


 そんな事を言いながらロイド、アリシアの兄妹は部屋を出て行ってしまった。嘆息するアンドリューの背後では、メイドたちがテーブルの片付けを始めていた。その中から執事のバーニーが、すっとアンドリューの背後に近寄って来ると声を潜めて言った。


「おお、これはしまった。ロイドさま、アリシアさまへの報告を忘れておりました」


 わざとらしい口調だ。アンドリューは素知らぬふりを続けながらも聞き続ける。


「帝国学園宇宙船ヴィクトリー校にはもう一人、皇位継承者がいるという情報を掴んでいたんでした。何でもシュライデン家のミロという皇子のようですな。ナーブ辺境空域で偽辺境伯を倒した英雄ミロと同じ名ですが、はてさて。同一人物かどうか……」


 アンドリューはバーニーに一瞥をくれた。老執事は年若い貴族の視線に笑みを返して付け加えた。


「ロイドさまもアリシアさまも、ロンバルディ家を継ぐにはいささか頼りないですなあ」


 そして我に返ったような振りをして、今度は大きな声で言った。


「おっと、これは失礼しました。アンドリュー坊ちゃま。今のは年寄りのひとり言でございます。出来れば聞かなかったことに……」


「いや、何を言ってるのかよく聞いてなかったよ。バーニー。孫がどうとかだったか?」


「おやおや、これはお恥ずかしい。孫が来年ハイスクールを卒業するもので。うっかり口に出してしまったようでございます」


「そうか。その時までに何か良いプレゼントを用意しておくよ」


 アンドリューと執事のバーニーは視線と笑みを交わし合った。

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