第一章「邂逅心門」
一章-Ⅰ
『――トーキョー大震災からちょうど10年目を迎える今日。かつての首都であるトーキョーで起きたこの災害は、未だかつて類を見ないほどの大厄災とも言うべき規模で発生し、その想定被害者数は……』
ぼくはPC画面に映るネット番組のチャンネルを、スマホのリモコンアプリで切り替えた。
『震災当時まだ12歳だったサイトーさんは、当時の様子をこう語っていました――……』
さらに別のチャンネルに切り替える。
『――ええ近年、トーキョーのみで確認されているこの無気力症候群に関してですが、専門家によると、原因は未だ特定できないが、発症者の多くがトーキョー大震災を経験しているため、おそらく震災によるショックの影響が何らかの形で症状を引き起こしているのではないかと――……』
専門家の意見、という名のサブリミナル刺激のおかげで、ぼくの耳はすでにタコだ。だからぼくは、情報の湯舟でのぼせる前にチャンネルボタンをタップした。茹蛸なんてのは勘弁だ。
『――被害を受けた地下鉄内には、このように、当時亡くなった方の名前を刻んだ慰霊碑があるのですが、追悼するために参列されたご遺族の中には、未だ行方不明のままの家族を一刻も早く見つけてほしいという思いから……こちらをご覧ください。このように、千羽鶴をですね、ご遺族の方々と、そして親交のあった友人らと一緒になって作っ――……』
とうとう、ぼくはパソコンの電源を切った。別に腹を立てたわけじゃないけど、ただ、毎年毎年同じような定型文を聞かされる当事者の身にもなってほしいとは思う。ああいうテンプレートは、しつこく繰り返されると嫌味にしか聞こえなくなってしまうんだ。
「まだ朝の8時前だけど、トーキョー行きの列車は混みそうだな。少し早めに出るか」
今日は月曜日だけど、有給休暇の届け出は先月のうちに会社の方に提出済みだったから、ぼくは特に慌てる必要がなかった。けど、チャンネルを切り替える刹那の時間でも、旧首都を訪問している人の多さは理解できたから、予定を変更してすぐに出発することにした。
旧首都に向かう時は、いつも同じ服を着ることにしている。白いワイシャツに黒のスーツ。高価な物は一切身に着けず、安物ばかりで身支度を整える。これは旧首都訪問時における鉄則と言ってもいい。
準備を始めてから30分後、ぼくは家の戸締りを済ませて自宅をあとにした。近頃はキーレスエントリーが流行っているのか、ここのアパートも静脈認証式の鍵を採用しており、ぼくはドアに備え付けられたパネルに手を当てて施錠した。ちなみに、ぼくの部屋は3階の一番端の角部屋だ。
ぼくが階段を使って下まで降りると、このアパートの大家であるミズタニさんが、駐輪場の掃き掃除をしていたので、ぼくは「おはようございます」と挨拶をした。今年で御年82歳だとかいう話だが、この人は本当に元気で、年齢を感じさせない活力が漲っている。
ぼくが声を出すと、ミズタニさんは作業を中断して、箒と塵取を持ったまま、ぼくの方に身体を向けた。
「ああ、どうもどうも。なに、今からトーキョーに向かうのかい? ずいぶん早いねえ」
「ええ。なんだか、ずいぶん混んでいるみたいなので、早めに行くことにしました」
「トーキョーかあ……。昔のトーキョーといえば、とにかく街全体が乾燥機みたいに目まぐるしくて、忙しなかったんだけどねえ。今はもうすっかり真逆だよ。こないだちょっと用事があって、シナガワの方に行ったんだけどさ。なんだか外国を歩いているみたいで、びっくりしちまった。噂には聞いてたけど、生で見ると凄いね」
「あははっ。そうかもしれませんね。『ニホンがトーキョーから孤立していく』なんて皮肉も飛び交うくらいですから」
「まったくだ。僕は大丈夫だったけど、親戚のせがれなんて『財布盗まれたんだぁっ!』ってえらい喚いてたよ。けどまあ、君は黒い服着ているし、見た目の雰囲気も何となく『遺族』って感じがするから、たぶん大丈夫なんじゃないかな。盗人にも、モラルってもんがあるんだろう?――」
確かに、今のトーキョーにかつてのニホンを投影するのは禁物だ。
ぼくが毎年同じ服を着用する理由だって、確かに半分は遺族として被災地を訪問するためだけど、もう半分は今のトーキョーの治安の悪さを警戒しているからだ。
震災直後のトーキョーはとにかく酷かった。
地下鉄内で救助を待っていたぼくは、地上に戻ったことを喜ぶよりも先に、目の前の景色に絶句した。
見渡す限りの瓦礫。耐震設計を施工したビルが、隣の耐震設計を怠ったビルに潰されていく超巨大ドミノ倒し。舞い上がったコンクリートダストが、夏の暑さに溶け込み、ざらついた感触が、鬱陶しいくらい喉と肌にまとわりついた。
そこら中で火災が発生していて、消防隊や救助隊の人たちが、怪我人を救助するために、ひっきりなしに動いている様子だった。その傍らには放置されたままの遺体が沢山転がっていて、近づくと異臭が漂い、ぼくは普段日常を暮らす人間が、状況一つでこんな異臭を放つということが、どうしても信じられなかった。
考えてみれば当然のことなのに、人が死ぬというリアルから縁遠い日々を過ごしてきたぼくにとって、目の前の物言わぬ亡骸というのは、非現実的な空間から現れたオブジェクトにしか見えなかったんだ。
ただ、それでもヨヨギの辺りの被害は軽かったように思う。実際に当時の光景を見たわけではないので、何とも言えないのだが、トーキョー湾沿に隣接していた地域なんて、津波の被害をもろに受けたせいで、もっと酷い状況だったらしい。
政府関係の施設も地震によって複数大打撃を受けてしまったから、まともに難民問題と向き合ってもらえたのは、震災から半年以上も過ぎてからだった。とはいえ、被災者の感情は『ようやく』ではなく、『今さら』と思う人が大半で、相次ぐ政治不信と、トーキョー難民による大規模デモがあとを絶たなかった。
そのデモの様子が、かつての学生運動と似ていたことから、『トーキョー難民闘争』と銘打たれてしまい、その手のお祭り騒ぎが大好なワイドショーによって、連日取り沙汰されることになった。
『まあ、ある意味今のトーキョーは、地震のせいでタイムスリップを起こしてしまったんですねえ……』などと、画面越しに映るコメンテーターたちは皆、如何にも気の毒そうな声を出しながら同情していたけれど、同情するくらいなら支援物資をどうにかしてくれ、とぼくは思ってしまった。
『戦後の焼け野原』とまではいかなくとも、確かに食べ物にはかなり困っていた。
ぼくら厄災世代のあるあるネタの一つに、『物腰の低い人間は物を盗み、高圧的な人間は物を奪う』というのがあって、まあ事実、ぼくも色々な人に生活必需品や食糧品等を盗奪されてきた。リュックサックから少しだけ目を離した隙に、ブツを丸ごと持ち逃げされてしまったことがあったけど、その時の絶望感ときたらもう何というか、空笑いするしかなかった。
ようやく暫定首都が『アイチ県・ミカワ市』に決定して、曲がりなりにも政治機能が復活し始めたのが、震災から二年後。復興支援の本格化はそれからさらに一年後だ。
昔に比べれば、瓦礫の撤去もだいぶ進んでいるみたいだけど、しばらくは『レゴブロックシティ』の体裁を取らざる得ないのが、今のトーキョーの現状だろう。
「――みたいですね。そのモラルっていうのがどういう理屈なのかは、ぼくも理解しかねますが」
「うん。まあとにかく気を付けて。いってらっしゃい」
「はい。ありがとうございます。いってきます」
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