世界の死角-Blind spots in the world-

篝 帆桜

プロローグ

 あの時、ぼく以外の何もかもが、瓦礫の下敷きになった。


 クッションの硬さがほど良い座席とか、ぼくが握っていた三角形の吊革とか、よく分からない地上波のドラマの宣伝とか、自動ドアの向こう側にあったトンネルの壁とか――


 座って駄弁っていたぼくの家族とか、周りにいた赤の他人とか。


 そういう日常の風景が、次の瞬間にはもう、物と人の区別ができないくらい、ごちゃ混ぜになってしまったんだ。




             2025年。6月11日。




 多分、このニホンに住んでいれば、誰もがいつか来るものだと覚悟し、同時にそんなことすぐに起こりやしないと高を括っていたであろう【首都直下型地震】が、その日の午後16時05分に発生した。


 最大震度7。マグニチュードは9.3。震源はトーキョー湾の北西部だったという話だけど、大災害をもろに受けた当事者にしてみれば、地震のへその所在なんて、正直どうでもいい情報でしかなかった。


 なんてことはない。その日はちょうどぼくの誕生日で、15歳になったぼくを祝うために、家族揃って外食することになっていたんだ。


 父さんは、少し値段が高めのレストランの予約を、わざわざぼくのために取ってくれていたみたいで、そのお店は自宅からだと、けっこう遠い所にあったから、ぼくたち家族は地下鉄に乗っていたんだ。


 あの凄まじい揺れを感じた時、ぼくは『死ぬ』って確信した。


 だって、言葉じゃとても、その怖さを表現できないくらいの揺れだったんだから。もうあれは、地球に隕石でも降ったんじゃないかってくらい恐ろしかったよ。まあ、実際に隕石が降ったら、もっと凄いんだろうけどさ。


 ぼくは、その時の衝撃で頭を打ちつけてしまって、気絶してしまったんだ。


 何分後に意識が戻ったのかは分からない。ひょっとしたら一時間以上経っていたのかもしれないけど、とにかく今でもハッキリと覚えているのは、ぼくが瓦礫の中に奇跡的に生じた空洞で横たわっていたということと、瓦礫の下敷きになった母さんの上半身が、ぼくのすぐ目の前で、うつ伏せになって倒れていた、ということくらいだ。


 母さんは意識がほとんどなかった。


 上の空で紡ぐ言葉を、ぼくは聞き耳を立てて一切漏らさず聞いた。そして、父さんと妹が、完全に瓦礫の下敷きになってしまったのだと悟った。


 母さんの呼吸音が次第に弱くなっていくにつれ、ぼくはなんだか、天使が母さんの肉体から、魂を連れて行こうとしているのではないか、などという場違いなことを連想してしまった。多分、母に迫る死のインパクトは、ぼくにそんな妄想をさせるくらい濃厚だったのだろうと、今さらながらに思う。


 間違いなく母さんは死ぬ。けれど、ぼくはそれに抗う意思が湧かなかった。


 決して、悲しくなかったわけじゃない。でも天災っていうのは本当に突然襲って来るもので、それまでの日常にいきなり割り込んで来たかと思えば、身の回りの当たり前を、一瞬の内に、何もかも、全て、綺麗さっぱり奪っていくものなんだ。


 あまりにも唐突すぎたのだ。だからぼくは、身内の死期をちゃんと受け入れて、『死ぬんだ』ってことに『納得』する手順すら踏めぬまま、いきなり目の前に『これから死ぬ人』を用意されてしまったんだ。


 無茶苦茶だった。見えるもの全てが。現実と夢の境界線を見失うほどに。


 もし仮に、自然が行う破壊活動をも〝テロ〟と表現していいのであれば、地震ってのはまさに、天才テロリストの一人だと思うよ。


 ぼくは人が能動的に悲しめることを忘れていた。呆然自失だった。そしてその時ふと、母さんの手がぼくの膝に触れたんだ。もう最後の気力すら振り絞れないような弱々しさで、母さんは顔を上げた。そしてぼくの目を見据えてこう言い残したんだ。


『あなたは、生きて。生きてっ……!』


 空気を吐き出すような、かすれた声だったけど、ぼくはちゃんと聞き届けた。

 結論から言えば、それは母さんがぼくに残した遺言になってしまった。

 なぜなら、その言葉を吐き切った直後、母さんは上から降ってきた崩落物に呑まれて消えてしまったからだ。


 つい先ほどまでは、確かにぼくの正面には人間がいたはずなのに、次の瞬間にはもう、ただの物体に置き換えられてしまったんだ。


 もうあれは、人が『死んだ』というよりも、人が『消滅』したとしか思えなかった。

 僕の家族は、母さんは、父さんは、妹は――本当に死んでしまったのだろうか。


 確かにあの震災から数か月後、ぼくは瓦礫の下から掘り出された遺体という『結果』を認識したことによって、家族の『死』を理解することができた。だけど、死に至る過程の観測を省かれたせいか、理屈では分かっていても、未だに心が反応できずにいる。ぼくは今日に至っても尚、家族の死に関して実感を持てないままなんだ。



 震災から半年後、ぼくは【シコク地方・コウチ県】に住んでいた母方の祖父母に引き取られる形となって高校卒業までを過ごし、その後はデザイン関係の専門学校に通うために【キョート府】で数年を過ごした。


 専門学校も無事に卒業できたぼくは、有り難いことに同世代が直面していた『就職難』とは無縁のままデザイン関係の会社への内定が決まり、今は暫定首都として機能している【アイチ県・ミカワ市】で一人暮らしをしている。


 首都を崩壊させた直下型地震は、後に【トーキョー大震災】と名付けられ、その当時まだ子供だった被災者たちは、いつしか【厄災世代】と呼ばれるようになった。


 ずいぶんと酷い仇名を付けられたものだと最初は思っていたけど、被害を被らなかった他の道府県の人にしてみれば、トーキョー難民で溢れかえった当時の首都を生き抜いた厄災世代というのは、『苦境の中で育ってきた猛者』というイメージを抱いてしまうようで、今となっては妙なブランド力を発揮している有様だ。


 とはいえ、当時の首都の風景は、『壊れたレゴブロック』と揶揄されるほど酷かったから、そういうイメージを膨らませたくなる気持ちというのも、他県から旧首都を見渡すことができるようになった今なら、なんとなく分かるような気もしなくはない――。



 あれから10年の歳月が過ぎた。


 今日の日付は、2035年6月11日。


 気付けば、ぼくはいつの間にか25歳で、人生の四半世紀を生き抜いたのだという事実を、ぼくは実感も持てぬまま脳に納得させ続けていた。

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