第77話『ニアミス その2』

 その少し前、聖雪の校舎の屋上に、如月 ハヤトはいた。


 学校の屋上とは、彼にとっていつもは憩いの場だ。 誰にも邪魔されないし、生徒たちの訓練や部活に励む声がBGMには丁度いい。

 ただ、強いて文句を言うなら今日は暑すぎた。


 そんな彼は今、上半身に纏った服を脱ぎ捨て、濡れたタオルで流れる汗を拭っていた。


 服を着直すと、そのまま横になった。


 彼の真下のドアが開く音がする。

 彼の一人の居場所を濁したその人影は、手すりの側に行って休息を取る。


 ハヤトの鼻が焦げ臭さを感じ取った。 仰向けに空を見上げながら咎めるように言った。



「アンタ、小波にバラしただろ。 俺のこと」



 その人物、羽搏 冥花は驚くことなくタバコをふかし続ける。



「あなたがどこか遠くの世界から来たことを? それを彼に言って私に何の得があるのやら」



 冥花は、この世界で数少ないハヤトの事情を知っている人間の一人だった。



「アイツ、ズルイ奴だぜ。 俺が勝ったら知ってる理由を話すとか言って、全然話しやしない。 俺が勝ったのにだぞ。 『俺はお前に勝ってないけど、負けてないからやなこった』だとさ。 本気じゃなかったのかもしれねぇけど、そりゃあねぇだろ」

「あなた、嫌われてるんですよ」

「俺だってそれだけまっすぐ言われたら傷つくぞ」



 冥花は苦笑いする。

 ハヤトは体を起こし、飛び降りて冥花の側に並んだ。


 彼女が口にしようとしていたタバコを摘み、取り上げる。



「アンタに煙の臭いは似合わねぇよ」

「やめさせたいなら、学生という身分で好き勝手に色んなことに首を突っ込む自分を諌めてからにしてください」



 タバコを地面に落とし、踏み潰す。

 気をつけるよ、とてきとうな相槌を返し、言った。



「アンタ知ってるんだろう。 あの小波って男が何者なのか。 アイツ、普通ぶってるがどうにも普通じゃない」

「ええ、知っていますよ。 ただ、誰にも言わないと約束したので。 それに……」



 冥花は今一度懐からタバコを一本取り出した。

 ハヤトはすかさずそれを没収する。


 咎めるような視線が向けられるが、「続けてくれ」とハヤトが言うと、彼女は仕方なく続きを喋る。



「彼は、一途な恋心を持った……ただの、優しい少年ですから」



 ハヤトは横目で冥花の表情を窺う。

 お母さんと呼び間違えられることが頻繁にあるらしいが、今の彼女は、まさに母親のような優しい顔をしていた。


 これ以上詮索はしまい、ハヤトはそう思った。



「……その優しい人間に嫌われてるってのは、何かこう、くるな」

「ふっ、冗談ですよ。 安心しなさい。 彼は人を簡単に嫌うような人間ではないですから。 あなたみたいな人間でもね」

「分かった、俺を嫌いなのはアンタだろ」



 ハヤトは空を見上げる。 風が気持ちいいが日差しは強かった。



「それにしても、殊勝な心がけですね。 あなたが真昼間から鍛錬に勤しむとは。 私の臭いよりも、自分の汗臭さを心配しては」



 ハヤトは顔をしかめて自分の体を嗅いでみる。 嘘です、そんな言葉を少ししてから置いてくる冥花を非難がましく見つめるが、彼女は気にせず続けた。



「それで、どういう風の吹き回しなんです? 歴代最低成績で、授業態度も、訓練への姿勢も悲惨なあなたが、こんなところでいそいそと訓練に励んでいるのは」



 未だに体内に篭る熱を逃がすようにため息を吐く。


 校舎の屋上からだと、昼間でありながら堂々とした威容を放ち、天高く伸びるイヴェルシャスカの槍がよく見える。


 この世界の因縁は、全てあの無機質な槍から生まれ出でたのだ。

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