第44話前夜『暁の光』

 深夜三時から明るくなるまでのおよそ二時間弱をランニングに費やした。


 ランニングは未だに好きになれない。片耳に差したイヤホンから朱莉のオススメしてくれたセナの歌声が流れてこなければ、苦行中の苦行である。


 汗を濡れタオルで拭いながら校門へと向かう。丁度、野球部の集団が門扉の奥でストレッチをしていた。

 蒼の知り合いもぼちぼちいる。


 バラバラで気だるげに動く集団の頭の中は、眠い、ダルい、めんどくさい、今日も顧問にどやされるのかといった憂いを含んだものだった。

 ちなみに、聖雪は授業で肉体強化に費やす時間が異常に多いので、部活もそれなりに強いらしかった。


 しかし、そこに駆け足で一人の部員が寄ってくると、皆が軍隊のように一律に動きを止めた。


 この言葉の、せいである。



「おい!! あっちの広場で鳳条さんがライブの練習してるぞ!!」



 ギラリ。

 男たちの目が鋭い光を帯びた。


 強い覚悟の光だ――怒られてもいいからそこに赴かねばならぬという。



「行くぞ!! 村上が来るまでまだ時間ある!!」

「生ライブだおらぁぁぁぁ!!」



 村上とは、コーチのことだろうか。

 ここら一帯だけ、眠気を孕んだ朝から情熱の昼間のような雰囲気へと変貌していた。

 友人の数人が、蒼に気付く。



「おいナミ!! 鳳条さんのライブだ!! 共に行こうぞ!!」



 腕を引っつかまれ、半ば引きずられるように蒼は連行されていく。ナミとは、野球部の友人らが蒼を呼ぶときのニックネームだ。


 苦笑いを浮かべながらも、蒼はやぶさかではない。

 彼は文句を言いつつもずっとセカゲンのファンである。

 戦闘シーン、ストーリー、魅力は数多くあれど、最も大きく魅力の割合を占めているのはやはりキャラクターであり、セナの歌が生で聞けるというなら内心はウキウキだ。


 ルイはもちろんのこと、ミミアや琴音、ハヤトであっても話すことがあれば心は弾む。


 広場に着くと、他の部活の部員たちも、下級生上級生問わず黄色い歓声を上げるファンと化していた。


 少し盛り上がった場所で、セナは衆目を浴びている。野球部の面々が着席すると同時、彼らに向かって二十代くらいの男性が走ってきた。



「おいお前ら何してる!!」

「げッ!! コーチ!!」

「あ、いや、これはその!!」

「おわた……」



 戦々恐々といった面持ちの坊主頭たちに、村上コーチは叫ぶ。



「俺も呼べよッッ!!」



 野球部全員がずっこけた。なんとも古典的な様式美である。


 セナは本当に国民のアイドルなのだろう。引率するように堂々と着席したコーチに、友人が問う。



「い、いいんですかコーチ……」

「致し方ない。 監督には内緒にしとけよなお前ら」

「いや、でも監督ならもうあちらに……」

「え!? 監督なんでいるんですか!?」

「うむ。 ……む、娘がファンでな」



 初老の男性がファンと公言するのは憚られるのだろうか、などと蒼は思う。



「それに、こいつらはこうやって景気づけた方が練習に本気出してくれるだろ。お前ら、ここで使った時間分、集中してやれよ」

「「「「「はい!!!!!!!」」」」」



 前に野球部が尋常ならざる覇気で声出ししているのを見かけたが、あれもこういうイベントの後だったのだろうか。

 

 野球部のゴタゴタから離れると、テニス部も、バスケ部も、チア部も、似たようなことが起きていた。

 改めて老若男女から愛されるセナのアイドル力に脱帽しつつ、蒼は手ごろな場所を探す。


 何とも賑やかで楽しい場所だった。蒼が生きていた前世でも、彼が見逃していたこんな出来事があったのかもしれないと思うと、少し寂しい気持ちになる。



「んげ……!!」

「………………よう」



 直後、蒼は蛙のような声を出して顔面を引きつらせた。離れた場所でセナを見守るように立っている赤髪の少年と目が合ってしまったからだ。


 如月 ハヤト。

 主人公であり、超厄介な蒼のライバルだ。まぁ、向こうはそうは思っていないだろうが。


 恐らくセナに寝ているところを無理矢理連れてこられたのだろう、寝癖がちらほら見える。

 彼は薄く苦笑しながら緑の瞳で蒼を見ている。



「ちゃんと話すのはこの前のトーナメント以来だな」

「お、おう」

「……



 彼はもう一度同じ言葉を強めに繰り返した。

 ハヤトの言いたいことを察し、やべ、と蒼は思った。



「俺、勝ったよな?」

「えー、何が?」



 とぼけてみせるが、目は泳いでいた。


 彼が何を言いたいのかは分かる。先のトーナメントで、蒼はハヤトに勝負を吹っかけ、約束した。

 ハヤトが魔導王という称号を冠していることを知っている理由を、ハヤトが勝ったら話すと。


 結果的にハヤトが勝ったが、蒼はまだ一文字たりとてその理由を話していない。



「まだ教えてもらってねーぞ」

「…………はッ!!」



 蒼は妙に強がった声を出した。



「俺ぁお前に勝っちゃいねーけど、お前に負けてもないからな!! 話してやんねー!!」



 あのときの勝負は、冥花先生の干渉でちゃんとした決着がついていない、よって負けてもいないから話す道理はない、という言い分。


 自分でも苦しい言い訳だと思いつつ、逃げるように蒼はその場を走り去ることにした。



「おいこら! 話が違うぞ!」



 ハヤトの困ったような声が、蒼にはちょっと嬉しい。 


 話して彼が信じるかはさておき、とくに話さない理由もないのだが。

 蒼は、ハヤトに対する青臭い対抗心のまま、話すことを拒否したのだ。



(すげー子どもだな、俺)



 そう自分を咎める。

 ハヤトに対しては、どうにも意地悪な態度を取ってしまう。


 それにしても、もう六月だというのにハヤトから今までそれらしい言及一つなかったというのは、お人よしというか何というか。


 カセットテープから流れる音源を遠くで聞きながら、セナの歌を聞けなかったことを嘆きつつ蒼はその場を後にした。


 空はすっかり明るくなり始め、鳥のさえずりがどこからともなく聞こえてくる。


 観客たちの声援が、わずかに風に乗って耳に入っていた。 今日も今日とて、いい天気になりそうである。


 少しの間敷地内を走った後に、蒼は立ち止まる。 視線の先には、円形の第一闘技場があった。

 高い壁の上から、青白い閃光が見える。

 遠くで見る稲光のようにそれは何回か発光すると、遅れて焦げつくような匂いがやってきた。



「…………俺、やっぱ変態なのかな」



 蒼は頭を掻きながら一人ごちる。

 その光を数秒だけ見、灼けつく雷の匂いを嗅いだだけで――それが二年前に自分を救った光だと、すぐに気付いてしまったからだ。

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