第44話『メインヒロインからの相談 その1』

 六月になった。

 蒼はいつもの喫茶店で眠気覚ましにコーヒーを嗜んでいた。


 聖雪に入学したからと言って、彼は日々の訓練を怠らない。中学までと違い、聖雪は授業内の戦闘技能訓練の割合が非常に高いので、昼間から研鑽できる。


 それを加味して睡眠時間は以前よりやや増えた。本当はそれでも睡眠時間を削ろうかと思ったのだが、刹那と朱莉、霧矢に本気で制止されたので止めた。


 今でも夜が明けるずっと前からグラウンドで稽古に励んでいるし(そして朝になればルイに登校を誘いに寮へ戻っている)、ルイに帰りを断られたら大抵の放課後は冥花先生や他の教師に稽古をつけてもらっている。


 どちらかというと、問題なのは一気に難易度が上がった勉学の方であった。


 さて、セカゲンの原作第一巻もじきに終わる頃である。


 結局振り回されまくったハヤトの学校生活。美少女たちとの波乱に満ちた日々は怒涛に流れ、やがて最後の戦いに行きつく。


 蒼の決意の行く先は近い。


 窓際の席で日々少しづつ強くなっていく陽射しを見ながら、蒼は午後に控えたルイとのデート(もちろんデートと言い張っているのは蒼だけだが)に思いを馳せていた。



「小波くん」



 コーヒーに口をつけようと思った矢先、透き通った水流のような声が蒼の横から聞こえてくる。


 見上げると、学校に舞い降りた天使兼世界に愛された美少女琴音が、その優しいルビーの瞳を蒼に向けている。



「白峰さん。よく来るの?」

「いいえ。今日は、少し小波くんにお話をと思いまして」



 メインヒロイン直々に何の用だろうか。 


 ともあれ向かいに琴音を促し、蒼は居住まいを正す。


 周囲の視線は琴音に釘付けであった。店長のカップを拭く手が止まっている。


 彼女の神々しさがあると、なおさら蒼の地味さが目立つようで、あまり心地の良い空間ではない。

 事実、何だあの少年は、どういう関係だと探るような視線が痛い。

 こんな嫉妬交じりの尖った視線をしょっちゅう浴びているハヤトに少し同情する。

 とはいえ、モブを自認する蒼にメインヒロインから声が掛かったという事実には、少し浮かれてしまう。



「失礼しますね」



 この世を統べる神が一本一本丁寧織り込んだような銀髪は陽射しを受け入れて一緒に光っているように見える。

 ウェイトレスがおっかなびっくり注文を取りに来、琴音は柔和な笑顔でコーヒーを頼む。常に見られる立場の人間に安らぎの時間はあるのだろうか。


 ハヤトを思い出し、いや、あるのだろう、と蒼は思い直す。



「話っていうのは?」

「ええ、小波くんは聖雪で優秀な成績を収めている、もしくはその見込みのある生徒をFND奥多摩支部の訓練生として受け入れる制度を知っていますか?」

「まぁ、話くらいは知ってるかな」



 確か、琴音とハヤトはそれに引き抜かれているはずだ。


 これに引き抜かれた時点で、FNDへの就職は確定と言ってもいい。まぁ、それまで死ななければの話だが。



「実は、その件について、奥多摩支部から直々に小波くんを引き抜きたいとの打診がありまして。もちろん、訓練生といっても実際に『トウカツ』との戦いに駆り出されることもある危険な制度ですし、返答の期限はまだまだありますので、ゆっくり考えていただいて」

「なるほど。とりあえず、来週くらいには返事します」



 ルイのことしか考えていなかったが、ある程度実力を認めてもらえているのは嬉しい限りだ。


 蒼はコーヒーを口に運び、直視しがたい琴音の姿から逃げるようにメニュー表を眺める。

 気まずい。琴音も何もしゃべらない。


 昼前のわずかな賑やかさがジャズの手前に聞こえてくる。

 店員を呼ぶ声に、店員が声を張って近づいていく。ボックス席から聞こえる中学生たちの駄弁る声は平和そのもの。


 時代遅れのおじさんが後輩に偉そうに高弁を垂れる内容もよく聞こえる。

 古いタイプのレジがチーンと腑抜けた音を鳴らし、人が帰り、また別の客がやってくる。


 結局、コーヒーが運ばれる前に話し終えてしまった。


 この程度の話、何故学校で話してくれなかったのかと思う。何か別に話すことでもあるのだろうかと琴音を見やると、どうやらそのようだ。


 晶榮玲瓏な彼女に似合わず、少し気恥ずかしそうにもじもじとしていた。ここは蒼から聞くしかあるまい。


 コーヒーが琴音の前に置かれたのを合図に、蒼は尋ねた。



「他に何か?」

「え? は、はい。 その……ちょっと、相談がありまして……」



 メインキャラたちではなく、蒼に相談とは何事か。 周囲に聞こえないように、琴音は少し身を乗り出し、小声で言う。

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