第31話『刹那、頑張ります!!』

 翌日、また放課後がやって来た。


 刹那は両肘を立て、手のひらの上に顎を乗せて物憂げな表情だ。

 蒼の言葉を咀嚼し、反芻し、自身に発破をかけ、今自分が一番後悔しそうなことは何だろうと考える。



「……うん」



 ズバリ、この友達の少なさだろう。

 刹那は本を読むのが好きだ。それに蒼や朱莉、霧矢もいる。


 そう自分を納得させようとしていたが、教室で戯れる少女たちを見て、羨ましくないことがあろうか。



「俺、小波 蒼!!」

「だーーーー!! 毎日毎日ホンッッットにしつこいわねアンタ!!」



 もはやFクラスの生徒の大多数が蒼の味方である。先生すら蒼がフラれる度に自身の青春を振り返るような表情をする。


 いつの間にか蒼のSクラスの友達たちも冷やかしにくるようになって、このイベントも随分賑やかになったものだ。そんないつものやり取りが終わり、教室が閑散としてくる。


 誰から話しかけようか。既に出来上がったコミュニティに首を突っ込むのは勇気が要る。

 刹那がそんな思案をしていると、教室の床に可愛らしい落し物を見つけた。


 いつもなら他人任せにしてしまうだろうが、あの後味の悪さは好きじゃない。

 刹那は立ち上がり、床にぺしゃんと横たわる水色のハンカチを手に取った。



(そうだ、これ女の子のっぽいし、この子と友達になってみよう)



 ハンカチを見回して手がかりを探す。可愛らしいハンカチだ。

 下の方に子供っぽい波が描かれ、その上を小さな船が遊覧している。


 あった、イニシャルだ。



『S.rui』

「えぇぇー……」



 まさかの人物の落し物に、思わず腑抜けた声が漏れた。

 早乙女 ルイ。

 クラスの中心にこそいるが、名門早乙女家でありながらFクラスで燻ぶっているせいか、周囲の評判はハッキリ言ってよくない。性格もきついと聞くし、セナやハヤト、ミミア以外と話しているのを見たことがない。


 気高いオーラを常に纏い、刹那としては一生関わりのないタイプだと思う。

 そして、刹那最大のライバルでもあった。



(でも、小波が好きな人なんだよね。もしかしたら、私が知らない一面もあるのかも)



 敵情視察ということにしておくのもいいかもしれない。


 乗りかかった船だし、友達を作る最大の機会かもしれないと思うと後悔は出来ない。

 刹那は強張った体を持ち上げてルイたちの後を追った。


 その獅子の如き威厳を纏った後姿は、それだけで格の違いを感じさせた。



「あ、あの!!」



 刹那の声に、ルイたちが立ち止まる。

 国民的アイドルのセナや、先日のイベントで琴音を下し底辺から一転して最強の称号を冠しているハヤト、そして早乙女家のルイ、彼等が刹那の声に反応して一様に動きを止めたことに、同い年ながら妙な感動を覚えた。



「さささ、さ、早乙女さん、ちょっとお話が……」

「……先行ってて」



 どもる刹那に気を遣ってくれたのか、ルイはすぐに他の面々を先へと促した。


 ルイが近づいてくる。胸がドキンと脈打った。



「火威さん、何か用?」

「あ、名前……」

「クラスメイトですもの、覚えていて当然でしょう」



 すごく出来た人だ。そう思う。

 それだけで、彼女への好感度は上がった。



「それで、何か用?」

「え、えっと……」

(大丈夫、頑張れ私!!)

「これ、早乙女さんのだよね!?」



 そう言って、刹那はルイの胸元に、力強く握りしめたせいでしおれたハンカチを押し付けた。

 ルイは切れ長の宝石のような青い瞳をわずかに開き、それを受け取る。



「まぁ。ありがとう、落としてたのね」



 わずかな気まずい間が訪れる。

 この間を引き延ばしてはいけない。思い切って、笑顔でこう言ってみる。



「そのハンカチ、可愛いね! どこで買ったの?」



 結果。予期せぬ沈黙を招いた。


 何か地雷でも踏んだだろうか。慌ててルイの顔色を窺うと、彼女は瞬きを繰り返して、刹那の顔を見つめていた。



「……火威さん、私が怖くないの?」

「え?」

「皆言っているでしょう。私は性格がキツくて近寄りがたいって。それは間違ってないけれど……ほら、そのせいで誰も私に話しかけてくれないわ。それに私は……早乙女家の落ちこぼれだし」



 ルイの目は、少し淋しそうに見えた。

 なるほど。刹那の中で何かがすとんと落ちる。


 小波 蒼が、彼女のことを好きな理由の一端を、刹那は見た気がした。

 緊張が、ほぐれた。今は、彼女と友達になりたいと切に思う。



「正直、少し怖かったけど、それはただの噂だったって今は思うよ。ごめんね」

「……ありがとう」



 ルイは微笑みを見せる。その優美でたおやかな笑みに、刹那は心臓の鼓動を止められたような気がした。

 何て……何て、美しいのだろうと。

 高貴なる荘厳さの中へと分け入れば、そこにあるのは花のように柔らかな少女の温もりだった。



「あ、あのね」



 親しみが向くままに自然と、言葉が喉から出て舌に乗っていた。



「よかったら、私と、と、と、友達に、なってくれないかな? 早乙女さんのこと、もっと知りたいな……って」



 顔に熱が込み上げる。それでも、頑張ってルイの目を見て言った。


 彼女はまた瞬きを繰り返す。そして、またその女神のような笑みを見せてくれた。



「嬉しいわ。私にも火威さんのこと教えてね」



 ルイは手を差し伸べる。顔に込み上げた熱を心地よく感じる。


 刹那はがっつくようにルイの手を両手で取った。細く、仄かに柔く、滑らかで、それでいて苦労してきたものの手だ。


 この学校に来て、初めてクラスでの友達だ。何だか、視界が明るくなったような気がする。


 蒼に感謝しなければ、そう思った矢先、刹那はもう一つの大事な用件を思い出した。



「そ、それと! もう一つ話があって」

「何?」

「小波 蒼の、ことなんだけど」

「ああ…………アイツね」



 この世で一番彼のフルネームを聞かされただろうルイは、ノイローゼ気味に顔を曇らせた。その様子に、心の中でクスリと笑ってしまう。



「あのね、私、小波の友達なんだけどね。アイツ、結構いい奴で、自分もしっかりしてるし、強いし、それに……早乙女さんのこと、本気で好きなんだと思う! 早乙女さんにその気はないのは分かってるけど、一回だけでもいいから、小波と一緒に帰ってあげてくれないかな? いい奴なのは、私が保証するから!」



 手を取ったまま力説する刹那。


 何故、そんなことを言ってしまうのだろうという思いが、なくはなかった。

 刹那にとってルイは最大のライバルであり、彼女が蒼をあしらい続けていればいつかは刹那にチャンスが巡ってくるかもしれない。


 だが、自分がそうしている理由は何となく分かっていた。


 蒼に持つ恋情、そしてそれと同等の彼への尊敬と憧れ。その尊敬と憧れの部分が、必死に努力してきた蒼に報われて欲しい、と祈っているのだ。

 間近で見てきた彼の努力は、刹那にそう思わせるには十分すぎるほどだった。



「……分かったわよ。一応、お礼を言わなきゃいけないこともあるしね」



 しっかり考え込んだあと、ルイはそう言った。



「ホントッ!?」

「ええ。火威さんは、友達思いなのね」

「え、えへへ……」

「それと、そろそろ手を離してくれる?」

「へっ? あ!! ごめん!!」



 慌てて手を離し、照れ笑いを浮かべる刹那。ルイの手は少しずつ赤らんでいた。

 ルイも笑う。



「せっかくだし、一緒に帰りましょ」

「う、うん!! ぜひ!!」



 二人は並んで校舎を後にする。見上げた夕空は、何だかやけに色鮮やかに見えた。

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