第22話 自室談話
「ふぉぉ……」
その後。シルヴィとエタンに案内されて中級・下級部員用の寮の部屋にやって来た俺は、感動に打ち震えていた。
部屋はまぁ広くはない。日本だと六畳間くらいの広さに、ベッド、造りつけのテーブル、クローゼット、ハンガーラック。テーブルの棚にはコップやらポットやら。豪華な設備があるわけでもないし、床がふかふかだったりもしていない。
ただし、ベッドはめっちゃふかふかで素晴らしい寝心地なのだ。今まで寝そべったどのベッドよりも、間違いなく寝心地がいい。
枕にうつぶせで顔をうずめる俺に、シルヴィが楽しそうな声で聞いてきた。
「どう、マコト、寝心地」
「すっげーいいっす……やわらけー……」
枕に顔を埋めたままで、感動しながら俺は返す。もう、このままずっとこうしていたい気持ちだ。
エタンがなんとも言えなさそうな声で俺へと声をかけてくる。
「良い睡眠は良い仕事に直結するからな。寝具には気を遣うように、という所長の判断だ」
「結構お金かけてるんだよね、どこの部屋も、ベッドだけは。だからめっちゃ寝れるんだけどさ」
俺が顔を上げると同時に、シルヴィが肩をすくめつつ言ってきた。
なるほど、別に俺の部屋だけ特別仕様とかそういうわけではなく、どこの部屋にもこんなベッドが備わっているらしい。としたら上級部員用の寮とか、どんなベッドが置かれているんだろう。
ともあれ、睡眠に関しては地球にいた頃よりも何倍もいいものが取れそうだ。
「助かるっす……前の家、床に布団直敷きだったんで……その布団もぺらっぺらだったし……」
「へぇー、大変だったね」
ベッドの上で姿勢を仰向けに変えながら俺がぼやく。返事をするシルヴィはどことなく他人事だ。
実際召喚される直前まで、俺は床に直に敷いていた布団で寝ていたのだ。使い古されたぺらっぺらの敷布団に、よれよれのタオルケット。毛布も掛け布団もぺらっぺらで、まさしくせんべい布団状態だったわけである。
と、何やら難しそうな表情をしながら、エタンがベッドの端に手をかけつつ口を開いた。
「……マコト、この際だから質問するが」
そう問いかけてくるエタンの表情は、いやに深刻そうというか、不安そうというか。雰囲気がいつもとずいぶん違う。
「ん?」
「なに、どうしたのエタン」
俺もシルヴィも首を傾げていると、エタンはベッドの端を撫でながら、うつむき加減に言ってきた。
「お前が召喚される前に暮らしていた、『ニホン』なる国の生活水準がどの程度のものかは知らないが。お前は随分、
彼の発言に、わずかに伏し目がちになる俺だ。同時にシルヴィがにわかに慌てだす。
「ちょっとエタン、そんな急に、失礼だよ」
確かに彼の言葉も分かる。こんな質問、気を悪くしない人がいないとも限らない。というよりも、ほとんどの人が気を悪くするだろう。だって、「お前はみっともない育ちをしてきた」と断言するのと変わらないのだから。
だが、俺は怒ったり悲しんだりはしなかった。薄ら笑いすら浮かべながら答える。
「……まぁ、そっすかね」
「えっ」
俺の、あまりにもあっさりとした答えに、信じられないと言いたげな目をしてシルヴィがこっちを見た。
彼も、俺がこんなにあっさり、素直に認めるとは思わなかったのだろう。ベッドからゆっくり起き上がった俺を、すがるような目をして見ながら言ってくる。
「うそ、なんでそんなにサラッと認めちゃうの」
シルヴィの問いかけに、俺は曖昧な笑みを返しながら視線を逸らす。そりゃそうだろう、こんなこと、自分の口から理由を説明したらみじめなんてもんじゃないのだ。
俺の心情をおもんばかってか、エタンが頭をぼりぼりと掻きながら口を開いた。
「シルヴィ、よく思い返してみろ。こいつとルノヴィノー山で逢った時のことを」
そう前置きしながら、エタンが視線を向けてくるのは俺の頭だ。先程シャワーを浴びたので、ここに来た当初のようなぼさぼさ頭ではない。しかしくせっ毛であるために、どうしたって髪の毛はあちこち跳ねていた。
そんな頭を見やりながら、彼は冷たい口調で言う。
「髪はぼさぼさ、薄手の半袖シャツに半ズボン、手にしているのは
あまりにも率直な言葉に、ますます視線を逸らす俺だ。正直、ここまで言われるとは予想外だが、否定するべきところは一つもない。
貧相。その言葉が間違いなく正しいのはその通りだ。俺だってそう思う。
続けてエタンは、俺に向けてあごをしゃくりながら口を開いた。
「それに、こいつはまともに就職した経験がなかった、と言っていた。その割には飢えた人間の身体つきをしていない。レオナールのように実家が太いならそういう事もあるだろうが、その場合はもっと身なりがいいはずだ。バランスがおかしい」
「うーん、そうか……」
エタンの発言に、ようやく納得がいった様子でシルヴィが唸った。
彼の言う通りだし、前々から俺はフリーターでちゃんとした職に就いたことが無いと話している。ここについては今更だ。
見た目が貧相で、まともな職に就いた経験がなく、しかし食事はしっかり摂れてやせ衰えている様子はない。そりゃ、バランスが悪いなんてものじゃないだろう。
「でも、ほんとになんで? 別に適切な教育を受けられなかったわけじゃないんでしょ?」
しかしシルヴィは、まだ完全に疑問が解消したというわけではないらしい。身を乗り出して質問してくる彼に、俺は小さく息を吐きながら微笑んだ。
「ん-……そっすね、説明が難しいっすけど」
そうしてゆっくり、頭の中を整理しながら口を開く。静かに俺の言葉を待つ彼らに、俺は素直に答えていった。
「俺、学校出る時に就職活動に失敗して、ずっと短期の仕事しながら食いつないでたんっす。収入があるかは仕事の入り方次第、入ったら稼げるけどその分忙しい。でも住んでるアパートの部屋代や水道光熱費、スマホの通信料は払わないといけない……まぁ、
俺の発言に、二人は神妙な面持ちになっていた。
通っていた専門学校を卒業するまでは概ね順調だったのだ。世界的な不況のあおりを受けて就職の口が激減、就職活動をやっても当然不採用続きで、結局どこにも採用されることなく卒業の時を迎えてしまった。結果としてどこの会社に雇われることもなく、俺は社会に放り出されてしまったのである。
実家に帰ることももちろん考えたが、間の悪いことにそのタイミングで父親がリストラ。母親も病気をしてしまって、とてもじゃないが実家を頼ることは出来なかった。学生時代から入居していた単身者用アパートに、まだ住み続けることが出来たのをいいことに、俺はそこからバイト生活だ。
「だからまぁ、削れるお金は極限まで削って、生きてたわけっす。風呂はシャワーで湯をかぶるだけ、服はファストファッションで最低限……食事もスーパーの半額総菜やら、安いパスタの乾麺やら。歩いていける距離にあったんで、飢えることはなかったっすけどね」
話しているうちにだんだんと空しくなって、苦笑しながら俺は言葉を切る。我ながら、なかなか悲惨な生活を送っていたものだと思う。
長期のバイトもたまにやってはいたが、悲しいことに一年続けばいい方、というありさまだ。召喚された日は短期のバイトがおしまいになって、さて次はどこで食いつなごうか、という段階で、こうなったわけである。
俺の話を聞いていたエタンが、深くため息を吐きながら言う。
「……なるほど。ところどころ理解できない単語はあったが、概ね把握は出来た。つまり、腹を満たせてはいただけで、お前は充分に
「そう……っすね、つまり」
容赦のないエタンの言葉に、もう一度視線を逸らしながら俺は返す。
貧困層。こうして言葉で突きつけられるとダメージが大きいが、貧困に苦しんでいたのは紛れもない事実だ。
と、身を乗り出したまま話を聞いていたシルヴィが、俺の手に手を重ねながら口を開く。
「じゃあさ、マコト。あっちの世界でそんなに暮らすの大変だったら、こっちにいればいいじゃん。仕事も、綺麗なベッドも、美味しいご飯もお酒もあるよ」
その発言に俺は目を見開いた。
確かにその通りだ。別に、地球での生活に未練があるわけじゃない。娯楽はないし情報も入ってこないけれど、暮らしぶりはイーウィーヤに来てから格段に良くなった。心残りがあるとしたら住んでいたアパートの家賃を滞納してしまっているくらいだが、部屋を事故物件にしてしまうよりは何倍もマシだろう。
シルヴィの言う通りだ。こっちで暮らし続けた方がきっと、いろいろと状況がいい。しかし、俺は素直に疑問を口にした。
「俺も、そう出来たらいいな、って思うんっすよね……でも、いいんっすか?」
「問題はないだろう」
俺の言葉に、すぐさまエタンが言葉をかけてきた。腕を組みつつ、胸を張りながら彼はきっぱりと言う。
「モンデューの国内にいるならともかく、そこから放り出されてガリに来たんだ。お前を召喚した術式など、俺たちに調べようもない」
「だよね。モンデューに派遣されて調べてこい、って言われたら別だけど」
エタンの言葉にシルヴィもうなずく。
確かに俺を召喚してきたのはモンデュー王国の国王やらその部下やらで、そもそも俺はそこから放り出されてきた身だ。一緒に召喚されていた二人がどうなっているのか分からないが、まぁきっと、どうにかやっているんだろう。きっと。
考えたところでしょうがない、こうして仕事を得られて寝床も確保できたのだ。手放すには惜しい。
「そっすね……あざまっす」
二人に礼を言うと、二人ともがにっこり笑ってうなずいてきた。そのままエタンが俺の肩をぽんと叩く。
「さあ、そろそろ寝よう、お前も疲れただろう」
「うん、おやすみマコト。また明日、よろしくね」
シルヴィも俺のベッドから離れ、部屋を出ていくようだ。見れば時計は夜の23時間際、確かにそろそろ寝た方がいいだろう。
「うっす、あざまっす……おやすみなさい」
二人に返事をして、俺は部屋の電気を落とす。天井の灯りが音もなくふっと消えたことを確認して、俺はベッドに再び横たわった。
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