第24話

「これはこれは帰蝶様!ご無事で御座いましたか」


息を切らせながら走ってきた木下藤吉郎が頭を下げる。


「おお猿か。丁度良い、そなたに頼みたいことがあるのじゃ」


帰蝶が木下藤吉郎の傍まで降りてくる。


(こんな傍で帰蝶様を見たのは初めてだ。年は少しいっているが、それがまた妖艶で美しい・・・)


思わず戦も忘れて妄想に浸る猿は、帰蝶の次の言葉を聞いてようやく正気に戻った。


「もうこの戦は仕舞いじゃ。だが織田家の血筋を残さねばならぬ」


「まだ負けたと決まった訳では・・・」


「慰めなど言っている場合ではない。はやく殿の妹である犬姫と市姫を連れてこの城から出るのじゃ」


その時、一人の侍が美しい二人の姫を連れてきた。その顔に木下藤吉郎は覚えがあった。


「帰蝶様お連れしました。あとご指図通り、奇妙丸様始めご子息は先に脱出しました・・・」


その二人のうちの一人の姫は艶やかで美しい黒髪をしている。そして顔の表情は城は混乱の極みに達しているが、まるでそれを感じさせぬ余裕な表情を見せていた。


(この方は犬姫様だな。凄く落ち着いていられている。さすがは信長様の妹君、お血筋だな・・・)


木下藤吉郎が落ち着いている犬姫に深く感心していると、突然怒っているかのような若い女の声が飛んできた。


「ちょっと私、こんな男と一緒なんて嫌だからね」


その声は犬姫の隣に立っている少女から発したものだった。その少女はこの世で見た事も無いかのような明るい金色の髪をしていて、それをまた二つに束ねている。つまり現代風に言うとツインテールと言われるものだ。


(こっちは市姫様。しかし相変わらず口が悪いな。だがその美貌はまさに三国一の美しさだ・・・)


「これ、市。そんな事を言ってはいけませんよ」


「だってお姉さま、こんな男について行くぐらいなら、ここで兄上を待っていた方がずっといいよ!!」


姉である犬姫が市姫をたしなめるが、まだ収まりがつかぬようだ。まったくとんだじゃじゃ馬だなと木下藤吉郎は思うしかなかった。


「あっ、猿・・・じゃないたしか木下と言ったな。市はこんな性格だが悪気は無い、許して欲しい」


「いえいえ、帰蝶様はお気になさらずに。全然気にしてはおりませぬ」(早く死ねこの市とかいうゴミ女!!)


言っている言葉と正反対の事を思いながら、木下藤吉郎は耐える。これがサラリーマン世界・・・じゃないこの戦国乱世を生き抜く方法だと信じているからだ。


「もうその辺で良かろう。早く二人は猿とともにこの城から出るのじゃ」


「ところで帰蝶様、どこに行けば宜しいでしょうか。あとなぜこの猿にお任せになるのですか?」


「政秀寺に向かえば良い。こうなった時に駆け込む手筈になっている。あとそなたに何故任せるかというと、剣の腕もなく目立たないからじゃ」


「うっ、きついお言葉」


猿は自分の胸を押さえた。気にしているからだ。


「誤解するでない、褒めておるのだ。下手に剣の腕があるとそれに頼り、荒っぽい事をして目立ってしまう。その点お主なら無駄な戦いなどせず知恵才覚で切り抜けるであろう」


その時ひときわ喚声の声が大きくなり、一人の侍が駆けつける。その侍は傷だらけで矢も刺さっている。血が痛々しい。


「もう北畠勢はすぐそこまで来ております!!」


「さてもう時間が無い。犬姫、市姫。猿とともにこの城から出るのじゃ」


「そんな・・・私は兄上が帰るまでここから動きません」


市姫はまだ頑張っている。それはなにか子供の駄々っ子のようにも見える。この恐怖から少しでも逃げたいという思いなのかもしれない。


「いい加減になさい!!落城した城にいる女がどんな目にあうか分からぬ年ではあるまい。義理の姉からの最後の頼みを聞いてほしい」


「では、義姉様も一緒に・・・」


「私はここに残る。私は信長様の妻じゃ、ここから離れるわけには・・・それにもう本家にも帰れぬ身・・・」


帰蝶の父は美濃の大名であった斉藤道三である。ここでなぜ過去形の「であった」というのも、道三は信長と仲が良かったがそれを良く思わない帰蝶の兄、義龍が父である道三を殺し国を奪ったからだ。それから織田家とは絶縁状態に近いのである。


「もはやこれまで・・・猿、二人を頼みますぞ」


「ははっ・・・身命を賭してお守りします。ささっお二人とも行きますぞ」


「ああっ義姉上、どうがご無事で・・・」


猿は二人の手を引っ張るように引き、帰蝶から離れていった。犬姫は最後に別れの言葉を言っただけで静かであったが、市姫はまだギャアギャア言っている。しかしそれももう少しだけであろう。どうせ疲れたら黙りこむ、所詮お嬢様だからだ。


(ふふふっははは・・・まさかこんな展開になるとは。棚ボタのようなものだ。これで出世できるぞ・・・)


猿・・・木下藤吉郎は妖しい笑みを浮かべたが二人の姫は気づくことは無かった・・・

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