第20話 余計なことは聞かない

 昼休み、わたしは給食を食べた後、遊梨ゆうりに車椅子を押してもらって、三階の空き教室に行った。代田だいだくんは、わたしたちの前を、アルミ板を持って歩いている。こころなしか、ちょっと早歩き。


 わたしたちは、エレベーターに乗って、三階でおりると空き教室を目指す。

 ほどなく、空き教室から羽音のようなプロペラ音が聞こえてくる。

 わたしは、教室に入ると、その部屋のあるじにあいさつをした。


「こんにちは、アリアちゃん」


 アリアちゃんは、返事をしない。ドローンの操作に熱中しているからだ。

 アリアちゃんが操作するドローンは、きれいに椅子の下の中心をくぐりぬけると、そのままドローンを自分の足元に停止させる。そして、わたしたちの方にふりむいた。


「こんにちは!」


 遊梨ゆうりが、やたらとおおきな声であいさつをする。ふりむいたアリアちゃんは、おとろいて、びくっと肩をこわばらせる。


「だれ? この子! めちゃくちゃ美少女じゃん!」


 遊梨ゆうりは目を輝かせた。その言葉にアリアちゃんは頬をあからめ、いっそう体をこわばらせる。


「一年生の蟻戸ありど有亜ありあくんだよ」

「蟻戸……くん? え! もしかして、男の子なの?」


 わたしは、アリアちゃんの震えがさらに大きくなったのを見逃さなかった。


「うん。わたしたちは、アリアちゃんって呼んでいるの」

「へー、そうなんだ。めっちゃカワイイ。よろしくね、アリアちゃん!」


 遊梨ゆうりは笑顔でつづけた。


「その制服すっごく似合っている、そのピンクのヘアピンも可愛い! いいなぁ、アタシ、ピンクって絶望的に似合わないんだよね。ほら、ガサツオーラが全身からあふれているでしょ?」


 そう言うと遊梨ゆうりは得意げに胸をはった。アリアちゃんはテレテレしながらはにかんでいる。


 ちょっとうれしそう。


 完全に、遊梨ゆうりのペースに巻き込まれてしまっている……でも、これが遊梨ゆうりのいいところだと思う。余計なことは聞かない。アリアちゃんが、なんで女の子の格好をしているのかなんて、絶対に聞かない。


 わたしもこの遊梨ゆうりの性格にずいぶんと助けられた。知らない学校に、それも車椅子で転校したら、どんな目で見られるんだろう……そんなことばっかり気にしていた。

 でも、遊梨ゆうりがいてくれて本当に助かった。遊梨ゆうりは誰にでも平等。フラットなんだ。フラットすぎて、先生にはよく言葉づかいをおこられているけれど。


「で、これがドローン? いがいとちっちゃ!」

「……もっと小さいのもあるよ……」

「これ、アタシでも飛ばせるモノかね?」

「……うん、コツをつかめば……」


 遊梨ゆうりはそのまま、アリアちゃんにドローンのことを質問し始めた。アリアちゃんは、タジタジしながら、小さい声で答えている。

 アリアちゃんが遊梨ゆうりと話しているあいだに、代田だいだくんは、車椅子のアームレストに、アルミ板をとりつけてくれた。右のコントローラーがある場所は、上手にくりぬかれてある。


「手、のっけてみろよ」


 代田だいだくんに言われるまま、わたしは、右腕で左腕をつかんで、アルミ板の上にのせる。


「プロポをにぎってみて?」


 代田だいだくんは、アルミ板のうえに、プロボを置いてくれた。わたしは、右手でプロポを持ってうかせると、動かない左の指の上に乗せる。そして、唯一動く左親指を、スティックにそっとあてがった。


 すごい! 


 まっすぐプロポを持てている。これなら、操作中にずれていくこともなさそう。


「どう?」

「うん。持ちやすいと思う」

「良かった。改良して欲しかったら、いつでも言ってくれ」

「ありがとう……」

「じゃ、早速レースやってみるか」

「うん」


 わたしがプロポから目線をあげると、こっちをじーっとニヨニヨとみつめている遊梨ゆうりと目があった。アリアちゃんもこっちを見つめている……気まずい。


「じゃ、いつもの、机と椅子をくぐるチェックポイント式で」


 ふたりの視線に気がついていない代田だいだくんは、ドローンをわたしの車椅子の前に置いてくれる。何気ないやさしさに、わたしはいつもうれしくなる。でも今はそれ以上にはずかしい。そして遊梨ゆうりのニヨニヨ笑顔がさらにパワーアップしている。

 となりにいるアリアちゃんは、ほほが赤くなっている。


(わたしもあんな感じになっているのかな……)


「それじゃあ磐田、スタートの合図をやってくれない」


 状況を全く理解していない代田だいだくんは、ニヨニヨしている遊梨ゆうりに審判をたのんでいる。


「はいはーい、二人の門出をいわえばいいんだね」

「ちょ……やめてよ!」


 いくらなんでもやりすぎだ! わたしは遊梨ゆうりにマジギレしようとしたら、代田だいだくんは、


「あぁ。天才ドローンレーサー、斑鳩露花、誕生の瞬間だ!」


 って、ワケのわかんないことを言った。天才ドローンレーサー? それって、買いかぶりじゃないのかな……だってわたし、部員の中で一番ヘタッピだもの。アリアちゃんのまちがいじゃないのかな?


「え? 露花ってそんなに上手なの?」


 わたしをからかっていた遊梨ゆうりが驚いてたずねた。


「あぁ。間違いない。試合をやってみればわかるよ」


 え? え? めちゃくちゃハードル上がっていない?

 わたし、代田だいだくんに練習で勝ったことないよ。最近は、アリアちゃんにも負けちゃうよ?


「そうなんだ、露花、がんばれー。勝ったらアイスをおごってしんぜよう!」


 遊梨ゆうりは無責任な約束をした。これ、絶対本気にしてない! でも、わたしだってそうだ。


 アルミのプレートを置いただけで代田だいだくんに勝てるなら苦労しない。わたしはなんだか、へんなプレッシャーをかけられて、こころがざわざわした。


「ちょ、ちょっとまって、集中するから!」


 ひさびさにアレをやってみよう。


 わたしは、けっこう動く右手で、親指しか動かない左手をつかんだ。そして、胸の高さまで持っていくと、つかんだ左手を手放す。

 力なく落下する左手の親指が、心臓に「トン!」と突き刺さる。そして左手の親指にありったけの力をこめて、「くいっ」って上にあげる。左手がほんの少しだけ上を向く。


 気持ちが落ち着いていく。中学新記録の四メートルを飛び越えることができた無敵のルーティーン。左の親指はこれだけ動けば十分だ。これだけ動けば十二分にプロポを操作することができる。


 わたしは、左手を右手でつかんで胸の前にもってくる。そして、右手でプロボをつかんで左手の動かない上に乗せる。左手の親指は、ちょうど左スティックのところに収まった。


 「いつでもいいよ!」


 わたしが答えると、


「ルールはわかんないけど……よーい! スタート!」


 遊梨ゆうりのいいかげんな合図で、三台のドローンは一斉に、羽音をならして浮き上がった。

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