第三十二話 完全無欠の生徒会長と怖い話
――夏休みの、ある日のこと。
『この話は、××年前、●●県▼▼町に住むY川ユウコさんの身に、実際に起こった出来事である……』
「………」
「………」
緑と鞘は、リビングのソファに腰掛け、テレビを見ていた。
現在、その画面には不気味でおどろおどろしい音楽と共に、陰鬱な雰囲気に包まれた映像が流れている。
そう――二人が観ているのは、夏の風物詩――『怖い話』である。
と言っても、昨今はテレビの規制の問題もあり、こういった心霊番組は全くなくなってしまった。
二人が観ているのは、ネット配信されている動画である。
中途半端な規制も遠慮も無い、全力で『恐怖』をテーマにして作られた番組を前に、緑も鞘も固唾を呑んだ表情になっている。
『窓から見えた、アパートの前で手を振る不気味な人影に恐怖を覚えたユウコさんは、急いでカーテンを閉めました。すると、その数分後――……ドンドンドンドンドン! と、彼女の部屋のドアが強い力でノックされたのです』
物語が佳境に突入すると、映像が盛り上がり、音楽も大きくなる。
「……おお、結構ビックリするな」
言いつつも、普段からホラー映画が大好きでよく観ている緑にとっては、まだ我慢出来るし、楽しめる範疇だ。
しかし――問題は。
「………」
隣の鞘は、緑の腕に自身の腕を絡め、肩に顔を埋め、完全に沈黙しながらテレビ画面をチラ見している。
そう、何を隠そう、鞘はホラーが苦手。
過去、二回ほど緑と一緒にホラー映画の鑑賞に挑戦し――そして、敗北してきた歴史がある。
今回、再びホラーを克服する! と意気込んで、緑と共にこの『怖い話』を見始めたのだが、案の定、この状態になってしまった。
『ドアをノックする音は一向に止まず、恐怖で気の動転したユウコさんは、慌てて電話を取り警察に掛けようとしました!』
テレビ画面の中、再現VTRの女優が、迫真の演技で携帯に110番を入力している。
そして、通話ボタンを押し、耳に当てると――。
『……そこで、さっきまでうるさかったノックの音が、ピタリと止み……受話器から、声が聞こえてきました……』
一瞬、画面の中の音響が無音になる。
そして、電話がアップになり、子どもの声が――。
『アソビニキタヨ』
瞬間、振り返った女優の前に、顔が焼けただれ、瞼も唇も無い子どもの顔のどアップ。
そして、絶叫が轟いた――。
「うお……」
緑も、思わずビクッと体を揺らす程、その子どもの特殊メイクというか、造形が良く出来ていた。
中々、怖い話だった。
「ふぅ……ん? 鞘?」
そこで、緑は自分の腕にしがみついている鞘が、顔面蒼白になって呆然としていることに気付く。
怖すぎて、意識を失いかけているようだ。
「鞘……大丈夫か?」
「……だ……だい……」
ダメなようである。
彼女にこれ以上のホラー映像は、無理だろう。
「夜も遅いし、そろそろ寝ようか?」
緑が言うと、鞘は震えながらコクリと頷いた。
―※―※―※―※―※―※―
何気に、夜中の0時手前くらいの時間である。
緑と鞘は、自室に戻り寝ることにした。
(……しかし)
ベッドに横になり、暗く静まり返った部屋の中。
緑は、先程観た映像を思い出す。
(……あの子どもの霊の話、中々怖かったな……というか、何気に連打されるノックの音も結構怖かった……)
ちょうど、そう考えていたところで。
コンコンと、緑の部屋の扉がノックされた。
思わず、緑は寝ていた体をビクッと仰け反らせる。
「だ、誰?」
「……お兄ちゃん」
ドアが開き、顔を覗かせたのは鞘だった。
パジャマ姿で、頭からタオルケットをかぶり、不安そうな顔をしている。
その顔を見て、少し安堵する緑。
「鞘か……どうした?」
「あの……その……さっきの番組の映像が、まだ頭から離れなくて……」
あたふたしながら、鞘は緑に縋り付くような視線を向ける。
「一人だと、怖くて……」
「………」
「い……一緒に、寝てもいい?」
「一緒に……」
そう言う鞘は、涙を浮かべてブルブルと震えている。
(……怖い話を観て、一人じゃ寝られなくなるなんて……)
まるで、小学生の子どものようだ。
しかし、度重なり、彼女のホラーに対する耐性の無さを見てきた緑にとっては、鞘が本当に怖がっているということがわかる。
だから、見捨てるわけにもいかない。
「ああ、いいよ」
「ありがとう……」
言うや否や、鞘はサッと緑の部屋に入り、そしてベッドの中に飛び込む。
「あ、俺は床で寝るよ」
そう言って、ベッドを出ようとする緑だが。
「ま、待って!」
鞘が、緑の腕を掴む。
「い、一緒に、くっついて寝ちゃ、ダメ?」
「………」
目前、あうあう……と、目を泳がせながら懇願する鞘は、やはり小学生くらいの女の子に見えた。
普段の凜々しい姿が、完全に消え去っている。
「わかった、いいよ」
そんな彼女を見て、緑は嘆息混じりに了承した。
「あ、ありがとう……お、おねしょはしないように気を付けるから……」
「そこまで心配はしてないよ」
ベッドの中、緑は鞘に背中を向けるような姿勢を取る。
その背中に、鞘はグッと体を寄せる。
そして、腕も脚も、緑の体に絡めてきた。
まるで、抱き枕のように。
「ああ……安心する……」
緑の背筋に顔を埋め、そう漏らす鞘。
吐息が、背中に当たる。
「相当怖かったんだな」
「うん……お兄ちゃんは、凄いね、全然怖くなかったの?」
「いや、実は俺も怖かったよ」
緑がそう言うと、「そうだったんだ……」と、鞘が呟く。
そして、緑に絡み付けた腕と脚の力を、ギュッと強めた。
「鞘?」
「なんだか、不思議な感じがする……」
背中に顔を埋めたままの、鞘の囁き声が聞こえてくる。
「もしお兄ちゃんが、怖くなかったって言ったら、凄く頼りになるって思うだけだけど……お兄ちゃんも怖かったって言われると、同じ気持ちなんだって……そう思ったら、もっとくっ付きたくなっちゃった……」
「鞘……」
緑は、そこで体をぐるりと回す。
「お、お兄ちゃん?」
そして、背中を向けていた鞘に向き合い、鞘の体に腕を回す。
「……暖かい」
鞘は安堵したように目を瞑り、ゆっくりと寝息を立て始める。
緑も同様に、少しずつまどろみの中に落ちていった――。
―※―※―※―※―※―※―
「……ん」
鳥の鳴き声が聞こえる。
雀の、ちゅんちゅんという可愛らしい鳴き声。
(……朝か)
と、眠りから覚め始めた頭で思考する緑。
「……ん?」
そこで、違和感に気付く。
雀の鳴き声だと思っていた音が、微妙に違うことに。
その音が、窓の外では無く、自身の腕の中から聞こえてくることに。
緑は、目を開ける。
「……鞘?」
「ん……ん……」
音の正体は、鞘が緑の胸に吸い付いている音だった。
寝間着の前がいつの間にか開いてしまっており、そこから覗く緑の胸板に、鞘が唇を這わせていた。
「……ん、にゃ」
彼女も、寝ぼけていたのだろう。
緑に呼ばれ、目を開ける。
「………あ」
そして、自分が何をしているのか気付き――。
「お、おおおは、おはようお兄ちゃん!」
慌てて飛び起き、ベッドの上で正座した。
「わ、私、寝ぼけて、お兄ちゃんが寝ているのをいいことになんて破廉恥を!」
「鞘……」
昨夜は小学生だったのに、朝起きたら今度は赤ちゃんになっていた。
瞬く間に幼児退行を起こし、そして今はパニックになっている彼女を前に、驚いていいのか笑っていいのか、リアクションに困り苦笑するしかない緑だった。
―※―※―※―※―※―※―※―※―※―※―※―※―※―※―※―※―※―※―
ここまでお読みいただき、誠にありがとうございます。
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