第二十六話 完全無欠の生徒会長とゲリラ豪雨
一学期も終了し、緑と鞘の生活は夏休みに突入した。
しかし、鞘は多忙の身。
部活に生徒会活動にと、夏休みを享受する学生の身でありながら大忙しだ。
(……わかってたことだけど、鞘は大変だな)
毎日家を出て、学校へと向かう鞘の姿を見て、緑は常々思っていた。
一日家で、アニメや海外ドラマやホラー映画を観て過ごしている緑としては、まるで住む世界が違うように思える。
(……たまには、労ってやりたいな)
そんな風に思っていた、ある日。
鞘も予定が無く、二人揃って家で過ごしていた日のこと。
「鞘、今日は俺が昼食を作るよ」
日々頑張っている鞘のために、緑がランチを作ってご馳走しようと提案したのだ。
鞘はその提案を受け、凄く嬉しそうに目を輝かせていた。
というわけで、二人一緒に買い物に向かう事になった。
向かったのは、近くのスーパーである。
しかし、鞘が着ているのは、あの日緑と一緒に買った白のワンピース。
艶やかな黒髪と、汚れ一つ無い純白の衣服がもたらすコントラストは、夏の空を背景にすれば神秘的なほどよく似合う。
鞘は、この服を着て緑と一緒に出掛けるのが好きなようだ。
「何気に、パスタを作るのは初めてだな」
「うん、そうだね」
買い込んだ材料は、アスパラにほうれん草、それにベーコン。
今日のランチは、アスパラとベーコンのクリームパスタを作るつもりだ。
「ベーコンは厚めに切って、贅沢に使うかな。自分で言うのもなんだけど、このパスタは俺も結構好きな料理で、味にはかなり自信があるんだ」
「そうなんだ。凄く、楽しみ」
珍しく、緑は自分の料理に関して自慢げに語る。
鞘は、そんな緑の言葉に期待を膨らませるように、コクコクと頷いて返す。
楽しげな雰囲気に満ちた、和やかな時間――。
しかし……そこで、異変が起きる。
「ん?」
空が、暗くなりつつある。
文字通り、雲行きが怪しくなってきた。
「なんだか、雨が降りそう――」
緑がそう呟くと同時、鼻先に水滴が落ちてくる。
まさか、嘘だろ――と思った時には、滝のような雨が天から降り注いできていた。
「うわぁ!」
「きゃっ!」
ゲリラ豪雨だ。
あまりの勢いと、体を打つ冷たい感触に、緑と鞘は驚く。
「天気予報じゃ、雨のことなんて言ってなかったのに!」
緑のそんな叫びも、ザァザァと土砂崩れのように荒れ狂う雨音に掻き消される。
この時期の天気は崩れやすいとは言うが、本当にいきなりだ。
そして、何より、寒い――。
この夏場なのに、身震いがして鳥肌が立つ。
水を勢いよく浴びせられると、こんなに体が冷えるのか。
「鞘、走れるか!?」
「う、うん!」
二人は急ぎ、家に向かって駆け出した。
―※―※―※―※―※―※―
そして――なんとか、二人は自宅へと辿り着いた。
しかし――。
「ハクシュン!」
びしょ濡れである。
緑は思わず、大声でくしゃみをする。
「……くちゅん」
鞘も同じようだ。
玄関先にて、二人は揃って服に染み込んだ水を搾り落とす。
髪の先から、つま先まで、水浸しである。
「大丈夫か、鞘。びしょ濡れだぞ」
「私は平気。それより、お兄ちゃんは大丈夫?」
「俺も平気だ。それに食材も、ほとんど包装されてるから無事――」
そこで、緑の目に鞘の姿が映り込む。
白地のワンピースが雨で濡れ、鞘の体に張り付いている。
肩やお腹など、その下の肌色の皮膚が透けて見えてしまっている。
胸回りに至っては、服の下のピンク色が目立つ。
彼女の下着――ブラの色だ。
(……おっと――)
緑は慌てて視線を外す。
危うく、彼女の腰の下の方まで視界に入ってしまいそうになった。
流石に、それは失礼だろう。
「ちょっと待ってろ、鞘」
そこで、緑が玄関の扉を開ける。
靴を脱ぎ、靴下も脱ぎ、できるだけ床を濡らさぬよう急いで浴室へと走り、バスタオルを持ってくる。
「ほら」
「あ……ありがとう」
緑と鞘は、バスタオルで体を拭く。
しかし、水分を吸った服は冷たく、そして冷めた体は依然凍えている。
このままでは、風邪を引いてしまいそうだ。
「昼飯の前に、一回風呂に入るか」
冷えた体を温めよう――そう、緑は提案した。
「うん、その方が良いかもしれない。じゃあ、先にお兄――」
「いや、鞘が先に入れ」
鞘の言葉を制し、緑は言う。
「あ、でも……」
「鞘の方が薄着だし、髪に染み込んだ水分も多い。俺よりも体が冷えてしまってるはずだ」
何より、先程一瞬、鞘の姿を見た時に、緑は彼女の体が細かく震えていることに気付いた。
言うが早いか、緑はバスタオルを被ったままリビングの方に向かう。
「俺は、とりあえず着替えて待ってるから。出たら交代してくれ」
有無を言わさず、緑は鞘を浴室へと向かわせた。
―※―※―※―※―※―※―
「大丈夫かな……鞘」
リビングにて、緑は鞘が出てくるのを待っていた。
ああ言って風呂場に向かわせたものの、震えて少し顔色も悪かった鞘を、一人にして良かったのかちょっと不安になってきた。
(……いや、だからと言って一緒に入るわけにはいかないけど)
緑がそう思った、その時。
廊下の向こう――浴室の方から、何かが落ちるような音がした。
「……何だ?」
嫌な予感がし、鞘は浴室へと向かう。
「鞘、大丈夫か?」
脱衣所の扉の外から尋ねるが、声は返ってこない。
「……開けるぞ?」
一言挟み、緑はドアを開ける。
すると脱衣所の中、床に膝をつき、壁に寄り掛かっている鞘の姿があった。
「鞘!」
なんとかバスタオルを体に巻いているが、ほとんど羽織っているに等しく、解けて落ちそうになっている。
かなりきわどい格好だ。
いや、それよりも――。
どこかフラフラとして、苦しげな表情をしている鞘。
緑は鞘に駆け寄り、額に手を当てる。
若干、熱っぽい。
風邪……というほどでは無いが、急に体が冷えて体調が崩れてしまったのだろう。
日頃の疲れも溜まっていたはずだ。
特にここ最近は、大会前でバレー部の活動がピークに達していた印象があった。
「鞘、大丈夫か?」
「お、兄ちゃん……ごめんなさい」
苦しげに呟く鞘の体に、緑はタオルを巻き直しながら、視界の端で確認する。
ヘソの下――白い下着らしきものが確認できた。
ショーツは履いているようだ。
上の下着は……付けていない。
近くの洗濯機の上に、着替えのブラが置かれている。
流石に触るのもどうかと思うので、緑はそのまま鞘をお姫様抱っこした。
そして、脱衣所を出ると、そのまま鞘の部屋へと向かう。
「ちょっと、苦しくない格好で休もう」
鞘の部屋に到着すると、彼女をベッドに座らせる。
「鞘、パジャマはどこだ?」
「えと、クローゼットの中に……」
クローゼットを開け、緑は鞘の寝間着を取り出す。
「鞘、着せるぞ」
そして、鞘の体にパジャマを着せていく。
「ほら、鞘」
まずはズボンを履かせようとする緑。
しかし、鞘も力を込め脚を上げようとしているが、苦しそうだ。
仕方なし――緑は、鞘の太腿を下から掴む。
「あ……」
鞘も思わず上擦った声を発する。
柔らかい肉感の太腿に指が沈み込むが、今はそんなことを考えている場合ではない。
鞘の脚を片足ずつ持ち上げ、ズボンを履かせる事には成功した。
今度は、上着。
両腕の袖を通し、前のボタンを留めていく。
(……見てはいけない、見てはいけない)
上は下着を着けていないので、目を逸らしながら。
そして着替えを終えると、緑は鞘をそのまま寝かせる。
ベッドに横にさせ、掛け布団を掛け、エアコンを調整しちょうど良い室温に。
「大丈夫だよ……お兄ちゃん。ちょっと頭が、フラフラしただけだから……そんなに、心配しないで」
「それにしては、体に力が入ってない感じだぞ」
緑は、鞘の額に再度手を置く。
やはり微熱だ。
ちょっと寝たら、すぐに治るかもしれない。
「ランチは一旦お預けだな。まぁ、あれだ。ここ最近、ずっと頑張ってたんだろ? たまには、やりすぎってくらい休むのも、いいんじゃないか?」
「……うん」
そこで、鞘は布団の下から手を伸ばし、ベッドの縁に座っていた緑の手を取る。
そして、掛け布団の中に引っ張り入れると――。
緑の手の平を、ボタンを外したパジャマの隙間から差し入れさせ――自身の胸の上に、直に置くようにした。
加えて、その上に自分の手も重ねる。
「お、おい、鞘……」
遮るものが何も無い、マシュマロのような感触が、緑の手に伝わって来る。
いつも、鞘に抱きつかれた際に押しつけられる時よりも、一層克明に。
「こうしてると、落ち着く……」
そう言って、鞘は目を瞑った。
ゆっくり、ゆっくり、上下する胸。
その双丘の隙間に手が沈み込んでいるからわかるが、彼女の心臓の鼓動が伝わってくる。
穏やかで、とても落ち着いた律動。
本当にリラックスしているようだ。
やがて、鞘はすぅすぅと寝息を立て始める。
その緩んだ表情を見て、緑も和やかな気持ちになる。
そんな彼女の胸の上、彼女の手と手を重ね、緑はしばらく鞘を見守ることにした。
―※―※―※―※―※―※―
――そして、夕方。
「おはよう、お兄ちゃん」
二階から降りてきた鞘は、リビングにいた緑にそう声を掛ける。
顔色も良く、目もぱっちりと開いている。
どうやら、すっかり復活したようだ。
「よく眠れたか?」
「うん。ありがとう、お兄ちゃん。私を部屋まで運んでくれて。それに……パジャマも着せてくれて」
視線を逸らし、恥ずかしそうに頬を染める鞘。
「お、重かったよね、ごめんね」
「いや、そんなことない、むしろ柔らかかった」
「や……やわ!?」
あ、やべ――と、緑は表情を硬直させる。
鞘も、体調を崩した自分が、緑に何を要求したのか――その部分は覚えているようだ。
今はもう別の部屋着に着替えているが、少し前まで、彼女は下着を付けず薄手の寝間着を着ており、そして緑の手を――。
「か、神に誓って見てはいないから!」
「だ、大丈夫、気にしないで! むしろ、私がお兄ちゃんにお願いしたんだから!」
二人揃ってわたわたと焦り出す、緑と鞘。
そこで――「ぐぅ」と、鞘のお腹が鳴った。
「あ……」
「……腹、空いてるのか」
その音を聞き、鞘は別の意味で恥ずかしそうになり、緑は少し微笑む。
昼食は抜いている。
空腹は、体調の回復の証拠だ。
まぁ、何はともあれ……。
「鞘、パスタ食べられそうか?」
緑が問うと、鞘はうんと頷く。
そして、緑が腕によりを掛けパスタを作り、鞘はその味に感動し舌鼓を打つ。
一波乱も二波乱もありつつも、こうして楽しく充実した一日を、二人は過ごしたのだった。
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ここまでお読みいただき、誠にありがとうございます。
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