約束手形
「……カロリング帝国の第一皇女、“ロクサーヌ=デュ=カロリング”殿」
その名を告げた瞬間、ようやくメッツェルダー辺境伯は驚きの表情を見せた。
「……どういうこと? 何故ディートリヒ殿下がそれを知っているのかしら? そもそも、そのロクサーヌ皇女が留学しに来たとして、この私とどういう関係が?」
彼女は、
「順を追って説明します」
私は、彼女の質問に答える。
まず、ロクサーヌ皇女が王国に留学することは、実は一年前には決定していた。
それというのも、どうやら国王陛下は大国であるカロリング帝国と
そして、この私かオスカーのどちらかの、妻として迎えさせようと考えていた。
次に、そんなロクサーヌ皇女が来ることでメッツェルダー辺境伯にどんな影響があるのかといえば、カロリング帝国では我が国と同様、第一皇子である“シャルル=デュ=カロリング”と皇位継承に向けて骨肉の争いを繰り広げている。
「……つまり、この国の思惑としてロクサーヌ皇女を迎え入れるものの、実は厄介事を自ら抱え込んだ、というわけです」
「……本当に、余計なことをしてくれたわね」
私の話を聞き終え、メッツェルダー辺境伯はギリ、と歯噛みした。
やはりカロリング帝国との国境を治めているだけあって、そのあたりの情勢に聡い。
「さすがにシャルル皇子も、この国に逃げ込んだロクサーヌ皇女を表立って亡き者にしようとは考えないでしょう。とはいえ、他国であればこそ、ロクサーヌ皇女を殺そうと刺客を大勢放ってくるのは間違いありませんな」
「…………………………」
「その刺客は、全てメッツェルダー辺境伯の領地からこの国に入ってきます。そうなれば、交易都市である“ラインズブルック”の街の治安も悪化する可能性は高いでしょう。なにせ、ロクサーヌ皇女も刺客について考えていないはずはありませんから」
そう……シャルル皇子の刺客に対抗するため、それを排除するために同じく刺客をラインズブルックの街に配置するはず。
そうなれば、街で戦闘になることは目に見えている。
「もちろん、メッツェルダー閣下が自慢の軍を動かして鎮圧に当たれば、すぐに排除できるでしょう。ですが、そうなった場合にはカロリング帝国から難癖をつけられるかもしれません」
「……でしょうね」
「そして王国は、メッツェルダー閣下を
ただでさえ王国に興味がないとして、中央に関わってこなかったメッツェルダー辺境伯だ。
そういった事態になったとしても、わざわざ助けるような真似をするはずがない。
これは、メッツェルダー辺境伯が力を持っているが故、起こったことだ。
「話は分かったわ。ディートリヒ殿下が、二年後は私が力になりたいと言い出すという理由も。それで……あなたにはそれを何とかする手立てがある、そういうことでいいのね?」
「はい。まず、私の婚約者であるマルグリットの父親は、この国の内務大臣、フリーデンライヒ侯爵です。当然ながら、この国の内政の全てを司る重要な人物。彼も、私の派閥に属しているため、メッツェルダー閣下を支援することが可能です」
私の言葉に、メッツェルダー辺境伯が頷く。
「そして、これは内密にお願いしたいのですが……ロクサーヌ皇女が留学した際のホストは、この私とマルグリットが務めることになっています」
「それは本当なの?」
「はい」
私は力強く頷く。
とはいえ、本当はそんなことにはなっていないが、そうなることは
何故なら、前の人生ではそうだったのだから。
「これでお分かりいただけたでしょうか?」
「……ええ、ワインの酔いが醒めるくらい、ね」
メッツェルダー辺境伯は視線を落とす。
「ですが、これは悪い話ばかりではありません。逆にこちらとロクサーヌ皇女が連携してシャルル皇子の刺客を排除すれば、我々はロクサーヌ皇女に恩を売ることができます。その時の功績を誰とするのか、それもホストを務めるこの私が決めること」
「確かに……カロリング帝国に
ここまでくれば、さすがのメッツェルダー辺境伯への説得は充分だろう。
あとは……彼女に全てを委ねるだけだ。
「お話をお聞きいただき、ありがとうございます」
そう言って、私は恭しく一礼した。
「残りのワインについては、閣下のタウンハウスへ王宮の者に届けさせましょう。それと、この後はどうされますか?」
「そうね……一人で飲みたい気分だから、今日はもう帰るわ」
「分かりました。ならば、玄関までお送りいたしましょう」
私は、メッツェルダー辺境伯に手を差し出す。
「フフ……大丈夫、エスコートは不要よ。だけど……まさか、十三歳の坊やにしてやられるとは、ね……」
メッツェルダー辺境伯は、苦笑いを浮かべながらかぶりを振る。
「じゃあね、ディートリヒ殿下」
「っ!?」
突然、すれ違いざまに右頬に口づけをされ、私は思わず飛び退いてしまった。
「フフ、それはあなたへの
「あ……」
メッツェルダー辺境伯は、手をヒラヒラさせながらサロンから出て行った。
「……よし!」
彼女のヒールの足音が聞こえなくなるのを確認してから、私は思わず拳を握りしめた。
これで……これで、私は第一王妃とオスカーと戦うための
「……マルグリットとの幸せの未来に、一歩近づいた」
嬉しさのあまり、私は興奮しながら呟く。
すると。
「ディートリヒ様……」
「っ!?」
サロンの扉が開き、マルグリットが中へと入ってきた。
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