新居への闖入者

「では、夕食の時間となったら迎えに来る。それまではゆっくりくつろいでくれ」


 マルグリットを部屋へと案内し、私はそう告げて戻ろうとすると。


「ディ、ディートリヒ殿下……その、このようなお部屋をいただいてもよろしいのでしょうか……?」


 彼女は部屋の中を見回しながら、恐縮した様子でおずおずと尋ねる。

 どうやら遠慮をしているようだ。


「当然だ。君は私の婚約者であり、私の妃となるのだ。だが……ひょっとして、気に入らなかったか……?」

「と、とんでもございません。殿下の過分なお心遣い、感謝いたします……で、ですが、まだ来たばかりということもあり、一人では・・・・少々落ち着かないというところが本音でしょうか……」


 なるほど……確かに、たとえ快適な空間であったとしても、慣れるまではそうなってしまうか。


「分かった。ならば、この私にも慣れてもらうことも兼ねて、夕食までお茶を飲みながら話でもしよう」

「そ、その……殿下はお忙しくはありませんでしょうか……?」


 私の顔をうかがいながら、マルグリットはおずおずと尋ねる。

 だが……はは、前の人生ではむしろ素っ気ない私に対して、彼女から不器用ながら積極的に話しかけてくれていたというのに、これでは逆転してしまったな。


「もちろん。今日はせっかくマルグリット殿が来てくれた大切な日なのだ。全ての予定はあらかじめ空けてある」


 私は両手を広げ、少々大袈裟にそう告げた。

 彼女は、以前はいつも私に気遣ってばかりいたからな……少しでも安心できるようにせねば。


「あ……ふふ、また殿下の笑顔をいただきました……」

「む……そ、そうか……だが、これは全て君が引き出してくれたものだ。君がいてくれるから、私は笑顔になれるのだ」

「ふあ!?」


 私の言葉に驚き、マルグリットはまたあの可愛い声を聞かせてくれた。


 そして。


「……ディートリヒ殿下は、本当に優しくて決して驕らず、お気遣いのできる素晴らしい御方です……それは、侍従としてつけてくださいましたノーラや、このお部屋を見ればすぐに分かります……」

「そうか……」

「はい。私は殿下の婚約者となれて、本当に幸せです……」


 そう言って、マルグリットは咲き誇るような笑顔を見せてくれた。

 前の人生では私に気遣うあまり、不器用になり過ぎてしまって見せることのなかった、最高の笑顔を。


「マルグリット殿……私は、君を今よりもさらに幸せにしてみせる。だから、その素敵な笑顔をこの私にたくさん見せてほしい」

「私もです……私も、殿下に幸せと感じていただけるよう、精一杯尽くします。ですので、殿下の笑顔を、この私にもお見せくださいませ……」


 はは……そうだな……。

 不器用な者同士、幸せな笑顔を見せることから始めよう。


 ◇


「ディートリヒ殿下とマルグリット様にお伺いしてまいりますので、少々お待ちください」

「貴様ごときが、何故この僕に意見するのだ!」

「そうよ! 通しなさいよ!」

「で、ですが……」


 私とマルグリットがお茶をたしなみながら談笑している中、部屋の扉の向こうから淡々と断りを入れるハンナに対し、尊大に食ってかかるオスカーとヨゼフィーネ、困惑するノーラの声が聞こえた。


 ……このままでは、あの二人が嫌な思いをしてしまうな。

 私はマルグリットを見ると、彼女は凛とした表情で頷く。


「ハンナ、ノーラ、構わん」


 そう告げると、『最初からそうすればいいんだ』だの、『貴様の顔は覚えた』だのと悪態を吐きながら、二人が部屋の中へと入ってきた。


「……どうした?」

「いやですね、せっかく今日からマルグリットが正式に兄上の婚約者となるのですから、挨拶をしに伺っただけですよ」


 私がジロリ、と睨みながら低い声で尋ねると、オスカーは飄々ひょうひょうとした様子でそう答える。


「ふん……今までは王宮内ですれ違っても挨拶すらまともにせぬほど私を避けていた者が、どういう風の吹き回しだ?」

「それこそ誤解ですよ。僕は、いつも兄上と仲良くしたいと思っておりましたし」

「え? ……あ、わ、私もです!」


 苦笑するオスカーに肘でつつかれ、ヨゼフィーネは慌てて相槌を打った。


 すると。


「オスカー殿下、ヨゼフィーネ殿下、本日からどうぞよろしくお願いいたします」


 マルグリットは席を立ち、恭しく一礼した。

 だがその表情は、まるで仮面でも被っているかのような、そんな表情のないものだった。


「ああ、こちらこそよろしく頼む。それで、せっかくなので今日はこの四人でマルグリットを歓迎するための食事をすることにしよう」


 まるでそれが既定路線であると言わんばかりに、オスカーがペラペラと話を進めてくる。


 だが。


「オスカー、今日は私とマルグリット殿、婚約者同士で食事をすることになっている。悪いがまた今度だ」

「そうですか? 食事は大勢でしたほうが楽しいと思いますが?」

「何を言う。マルグリット殿は王宮に来たばかりなのだ。緊張と疲れを癒さねばならんのに、余計に疲れさせてどうするつもりだ。それに」


 私は一旦話を切り、オスカーとヨゼフィーネを交互に見やると。


「何人いたところで、会話もないような食事の席の何が楽しいのだ」

「い、いや、それは……」

「違うというのか? 少なくとも私は、オスカーと食事の席で会話した記憶がないが?」

「…………………………」


 言い淀むオスカーだったが、さらに追及の言葉を投げかけると押し黙った。


「そういうことだから、今日のところは下がれ」

「「……失礼します」」


 オスカーは険しい表情を浮かべながら、困惑するヨゼフィーネを連れて部屋から出て行った。


「……マルグリット殿、弟と妹が失礼した」

「いいえ、とんでもございません。ですが、オスカー殿下は範を垂れるべき御方であるのに、あれはいかがなものかと」

「全くだ……それと、ハンナ、ノーラ、嫌な思いをさせてしまいすまなかった」

「いえ」

「と、とんでもございません!」


 私が二人に謝罪すると、ハンナは表情を変えずに頷き、ノーラは慌ててお辞儀をした。


「ですが、おかげでディートリヒ殿下がいかに素晴らしい御方なのか、再認識させていただきました」

「そ、そうか……」


 マルグリットに手放しに褒められてしまい、私は思わず口ごもる。


 だが……そんな彼女の言葉が、ただ嬉しかった。

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