飴と鞭と信頼と

「わ、私、リンダは、ディートリヒ殿下に従います……」


 あの後、リンダを呼び出して横領の件について追及すると、このように全身を恐怖で震わせながら、膝をついて祈るように忠誠を誓った。


「リンダよ、そう畏まらなくてもよい。私は、少々貴様に頼みたいことがあるだけだ」

「な、なんでございましょう……?」


 横領の事実を握られている上に、先程の一件もある。

 リンダは正常な思考も持ち合わせぬまま、ただ従順な犬のような視線を向けて尋ねる。


「なあに、簡単なことだ。今後、オスカーの日々の身の回りでのことについて、定期的に教えてほしいだけだ。誰と会ったか、何の話をしたかといったことをな」

「は、はいい……」


 もっととんでもない要求をされると思ったのだろう。リンダはあからさまに魂が抜けたかのような顔で、気の抜けた返事をした。


「そして、これはそんなリンダへの労いを込めたものだ。ハンナ」

「はい」


 私の指示を受け、ハンナは革の袋をリンダに手渡した。


「こ、これは……っ!?」


 袋の中身を見て、リンダが驚愕の表情を浮かべる。

 それはそうだろう。つい直前まで、断罪されて命を落とすかどうかの瀬戸際だったのに、今は金貨の入った袋を手渡されているのだから。


「リンダ、期待しているぞ」

「は、はい! お任せください!」

「うむ。もう下がってよい」


 リンダは何度もお辞儀しながら、満面の笑みで部屋を出て行った。


「全く、扱いやすい奴だ。絶対にそばには置いておきたくないな」

「殿下のおっしゃるとおりです」


 私の言葉に、ハンナが強く頷いた。


「さて、次は第一王妃派の者の懐柔だが……」


 ハンナが作成したリストをパラパラとめくっていると…………………………ほう?


「よし。第一王妃派からは、この者にしよう」

「これは……“ノーラ=リッシェ”ですか……」


 私が選んだ者を見て、ハンナが少し言い淀む。


「何かあるのか?」

「いえ……彼女は子爵家の令嬢であるにもかかわらず、王宮内でも侍従というよりもメイドに近い立場にあります。マルグリット様にお仕えすることを考えますと、不釣り合いかと……」


 どうやら、ハンナとしては反対のようだ。

 まあ、普通に考えれば子爵家の者がメイドに落ちぶれている時点で、察して余りあるものかもしれない。


 だが。


「いや、これで構わない。むしろノーラこそ、私達の仲間となるために存在するかのような者だ」


 そう……ノーラの実家であるリッシェ子爵家は、外務大臣であるコレンゲル侯爵から借金を重ねていた。

 そしてコレンゲル侯爵といえば、前の人生において第二王子派の筆頭だった貴族。


 この際、リッシェ子爵家を引き入れてノーラを味方につけ、コレンゲル侯爵を明確に切り離す良い機会だ。


「……ですが、コレンゲル侯爵家は第二王妃派の領袖りょうしゅうです。下手をすると、ディートリヒ殿下にとって不利になってしまうのでは……」

「構わん。コレンゲル家など、この私に必要ない」


 私はハンナに吐き捨てるように告げた。


「……本音を申し上げますと、中立派であるフリーデンライヒ家とコレンゲル家は敵対関係にあります。コレンゲル家を切り捨てるとおっしゃってくださいましたディートリヒ殿下に、フリーデンライヒ家の者として感謝申し上げます」

「そうだったか……なら良かった。私としても、義父となるフリーデンライヒ閣下とは懇意にしたいからな」


 だが、なるほど……こういったところも、コレンゲル侯爵がオスカーになびいた要因の一つかもしれないな。


「よし、ではノーラを呼んできてくれ」

「かしこまりました」


 ハンナは恭しく一礼すると、部屋を出て行った。


 ◇


「ディ、ディートリヒ殿下、お呼びとのことでしたが……」


 ハンナに連れられてやって来たノーラが、緊張した面持ちで尋ねる。

 まあ、いきなり私から呼び出されたとあっては、何かあるのではないかと勘繰るのは当然か。


「忙しいところすまない。実は、二、三尋ねたいことがあってな……」


 そう言うと、私は本題であるリッシェ子爵家の借金のこと、そして、その借金の相手であるコレンゲル侯爵家との関係について尋ねた。


 すると。


「……コレンゲル様は、悪魔のような人です……!」


 ノーラはそう告げると、ぎり、と悔しそうに歯噛みした。


「それはどういう意味だ?」

「はい……」


 ノーラは、詳しく事情を話してくれた。


 コレンゲル侯爵に事業を持ちかけられ、人の好いリッシェ子爵はそれに応じ、先祖代々守ってきた大切な山を担保にしたこと。

 すると事業は失敗してしまい、多額の借金ができてしまったこと。しかも、債権が何故かコレンゲル侯爵の手に渡っていて、支払いの催促がすさまじいこと。


「……なんとか財産の一部を売り払ったり、私のここでの給金を借金返済に充てたりしておりますが、全然足りるものではありません。このままでは……」


 そう言うと、ノーラは泣き出してしまった。


「ふむ……少々尋ねるが、その担保となっている山というのは……?」

「はい……女神ダリアが降臨されたとされる神聖な山、“グロースホルン”山です……」


 ……その山なら聞き覚えがある。

 確か私が王立学園に入学して間もないころ、コレンゲル侯爵がその山で金鉱脈を見つけ、莫大な財を築いたのだったな……。


 そうか……つまり、最初からあの山に金鉱脈があることを知っていて、リッシェ子爵を罠にめてかすめ取るつもりだったのだな。


「それで、借金の額は?」

「グス……そ、それが……」


 聞いてみると……ふむ、私の蓄えてある資産で充分賄える額だな。


「分かった。では、その借金はこの私が用立てよう」

「っ!? で、殿下……!?」


 私の言葉に、ノーラは目を白黒させる。


「どうした、不満か?」

「い、いえ……ですが、かなりの額ですし、殿下にご迷惑をおかけするわけには……」

「もちろん、私もただ・・でこんなことをするわけではない。ノーラにはやってもらいたいことがある」

「やってもらいたいこと、とは……?」


 私は、これからやって来るマルグリットの世話と、彼女によからぬことが起きた場合の私への連絡、それに第一王妃の動向について報告することを告げる。


「そ、そんな程度でよろしいのでしょうか……」

「もちろんだ。何より、私に必要なのは信頼できる者なのだからな。そして、私はノーラなら信頼に足ると考えた。それだけだ」

「あ……ああ……!」


 ノーラは瞳から涙をぽろぽろとこぼす。


 ……我ながら、私も酷い男だな。

 結局は、ノーラの心すらも利用しているのだから。


「それでノーラ……やってくれるか?」

「はい……はい……! 誠心誠意、ディートリヒ殿下とマルグリット様にお仕えいたします……!」

「うむ、ではよろしく頼む。金については、すぐに手配しておこう。もう下がってよいぞ」

「し、失礼いたします!」


 ノーラはこれ以上ないほど深々とお辞儀をし、部屋を出て行った……のだが。


「? ハンナ、どうした?」

「……いえ」


 こちらへと視線を向けるハンナに尋ねるが、すぐに視線を逸らされてしまった……。

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