“月光”との会話

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 ──“月光”との会話



 東雲はトドメの一撃とばかりに造血剤を口に放り込み、飲み下す。


 身体能力強化による造血強化も限界だった。今の東雲は医者が見れば確実に貧血と診断する状態であった。


 “月光”を格納し、ふらつく足取りでデータセンターを出て、解放された入館者に紛れてTMCサイバー・ワンを出る。


 大井統合安全保障のコントラクターたちが入れ替わるようにTMCサイバー・ワンに突入していくのが見えた。それから国連チューリング条約執行機関の青いヘルメットを被った兵士たちも一緒に中に突入していった。


 東雲はTMCサイバー・ワンから可能な限り離れ、人気の少ない高架下にへたりこむように座り込んだ。


 ふらふらするが、血は確実に回復していっている。


 造血剤の中のナノマシンが血液を作り、身体能力強化の魔術が血を作らせている。


 腕が切れたときも身体能力強化の魔術で回復したのだ。血を多少失ったぐらい。


「主様よ」


 東雲が視線を上げると、輝くような銀髪に“月光”と同じ青緑色の瞳をした7、8歳ごろの少女がいた。黒い質素なドレスを身に纏っているが、それより目を引くのは彼女の唇から覗く鋭い二本の牙だ。


「なんだ、“月光”……。血はくれやっただろう……」


「なんだとはなんじゃ。主様、おぬし死ぬ気か? 我は確かに対価を求めるが、主様を殺してまで奪おうとは思っておらんのじゃぞ」


「にしちゃあ、容赦なく対価を取り立てるじゃないか……。造血剤がなかったら今日は3回は死んでたぜ……」


「それは“月光”が“月光”であるためじゃ」


「“月光”。月の女王。月の魔物。月の少女」


「そう。我は月の女王。月の魔物。月の少女。“月光”じゃ。主様は力を求め、我は主様に力を与える。対価と引き換えに」


 この少女は“月光”の化身──2050年風に言うならばアバターであった。


 東雲とともに戦い続け、東雲とともに2050年の地球へと飛んだ。


 ずっと、ずっと長い相棒。


「随分と昔のことのように感じるぜ。まだたった3年も経ってないってのに」


「主様。話をはぐらかそうとするな。主様が血を流さぬものばかり斬るから、主様から血が失われるのじゃぞ。我は主様のことが心配じゃ。いつか無理をして“月光”によって死ぬことになるのではないのかと」


「そうだとしても、お前のことを恨んだりしないさ、相棒。それから俺が死んだらベリアに面倒を見てもらえ」


「縁起でもないこと言うでない! 言霊の力を見くびってはいかぬぞ。そういうことをいうとそういう言霊がまとわりつくのじゃ」


「悪かった」


 東雲はそう言って、力なく柱によりかかった。高架上の電車の振動がする。


「主様……。主様が生きている世界が変わったことは分かっておるのじゃ。だが、主様はそこまでして金を稼がねばならぬのか? 生活に必要な金を稼ぐためならば、もっと安全な仕事でも……」


「“月光”。そうなったらお前はどうするんだ。価値がなくなっちまうんだぞ。俺が一瞬で見惚れた、あの“月光”がスクラップヤードのゴミと同じになっちまうんだぞ」


「見惚れた……」


「ああ。惚れた。“月光”は俺にとってのロマンだった。血を吸う? 対価が必要? それでいて滅茶苦茶強い? ロマンだ。これ以上のロマンはない。俺は惚れちまったよ」


 あの美しい青緑色に輝く刀身もすげえ綺麗だったと東雲が語るのに、“月光”のアバターは顔を真っ赤にしていた。


「主様。呪われた魔剣。欠陥兵器。使用者を殺す恩知らず。そう罵られてきた我をそこまで思ってくれたのは主様だけじゃ。だからこそ、主様には死んでほしくないのじゃ。だからこそ、だらこそ主様には生き続けてほしいのじゃ」


「それは無理だ。無理なんだ、“月光”。俺が定命のものである限り、終わりはやってくる。そのときも、お前を抱えていられればと思うよ。だから、今は何も言わず力を貸してくれ」


 クソッタレなアンドロイドを斬り倒すときでも、そういう仕事ビズのときでも力を貸してくれと東雲は言った。


「我は怖いのじゃ。主様を殺してしまうかとしれぬとおもうと」


「心配するな。お前の所有者はしぶとい。そう簡単には殺されはしないさ。それとも俺の実力が心配になってきたか……」


 東雲は掠れるような声でそう尋ねる。


「いいや、いいやじゃ。我は主様を信頼しておる。だが、最近の主様は無理をし過ぎじゃ。魔力の量は減っておらぬし、肉体の衰えも消えたが、その分我が主様を」


「気にするな。これぞロマンだ」


 男はロマンに生きて、ロマンに死ぬものだと東雲は笑った。


「主様は馬鹿じゃ。何がロマンじゃ。命より大切なものがあるか」


「その命のために生き方を変えちまったからな。その埋め合わせぐらいはするべきだろう……」


 勇者から殺し屋へ。


 血の流れるものも切った。つまりは人を切った。多くの人を切った。


 企業にとって邪魔な存在だったから。どこかでどこかの企業が得をするために。


 そして、何より身分証明すらできない東雲たちがこの世界で生きていくために。


 東雲に正義はない。そんなものずっとなかった。これからよりなくなる。マイナスだ。マイナスへと、悪へと落ちていく。


「生きるために信条を捻じ曲げたわけじゃないが、少なくともお前を受け取ったときの誓いは破ちまった。『力なきものたちのために、その剣を振るうことを誓う』と。俺はそう誓ったのにこの有様だ」


 俺はこの2050年で自分が生き残るためにお前を振るっていると東雲は自嘲する。


「仕方ないことじゃ、主様。あの世界は少なくとも救われたのじゃ。魔王がいなくなったことで魔族と人間は共存を模索するようになっただろう。人間、エルフ、ドワーフ、そういう種が滅ぼされるという最悪の事態は防げたのじゃ」


 その見返りを主様は何も受け取っておらぬではないかと“月光”は言う。


「見返りなんて期待できなかっただろう? 俺は死にかけてたんだ。それをお前の力で支えてもらって、辛うじて生きて来た。どうせあのままじゃ死んでいた」


「今の生活を少しでも楽にすることを見返りとは思わぬのか?」


「働けどはたらけどなお、わがくらし楽にならざり。そう歌った作家は遊び惚けたって話を聞いたことがあるが。今、生活を楽にするためには、それこそジェーン・ドウの仕事ビズをやるしかない」


「主様。すまぬ。我はそれ以外のことでは役に立てぬ」


「いいんだよ。ここまで生き延びられたのはお前のおかげだぜ、“月光”」


 東雲は立ち上がり、“月光”の頭を撫でてやった。


「童扱いはやめい。こう見えても主様より数桁は年上じゃ」


「すまん。ついな」


 そこで、東雲はあらぬ方を向いた。


「主様?」


「……マトリクスの幽霊」


 あの着物姿の白髪の少女がひとつ向こうの橋桁から東雲を見ていた。


 マトリクスの幽霊──その白髪の着物少女がただじっと東雲を見つめている。


「主様? 何が見えているのじゃ?」


「畜生。何者だ、お前は……」


 偶然とは思えない。


 TMCサイバー・ワンで騒動が起きた直後に現れたマトリクスの幽霊。


 まるで騒ぎを観察していたかのようだった。


「お前は見ていたのか……」


 マトリクスの幽霊は何も答えない。


「お前の目的はなんだ……」


 東雲は再び体がふらつくのを感じ、よろめいた。


「主様!」


「大丈夫だ、“月光”」


 次の瞬間、マトリクスの幽霊は消えていた。


「気に入らないな。観察者気取りか。それともこの世に未練でもあるのか……」


 東雲はマトリクスの幽霊がいた場所を睨みつける。


「主様。獣耳の治療師のところに行くのじゃ。もう今日の主様は限界じゃ」


「ああ。そうする。このままだとこの場で眠ってしまいそうだ」


 そして永遠に目覚めないと東雲は笑う。


「それから仕事ビズの報酬を受け取らねえとな。ただ働きはごめんだぜ」


 仕事ビズには報酬を。力には対価をと東雲が言う。


 場がフリップする。


「どう思う、今回の事件……」


「大がかりな仕掛けランとチープな目的。ちぐはぐだ。ちぐはぐすぎる」


「既にBAR.三毛猫ではTMCサイバー・ワンのことがトピックになってる。お前の相棒を見たって奴はいないらしいが」


 ベリアとディーは国連チューリング条約執行機関と大井統合安全保障のサイバー戦部隊が突入したTMCサイバー・ワンから離脱していた。


「雪風。論文『AIにおける自己学習と自己アップデートについて──技術的特異点シンギュラリティは訪れるのか──』。臥龍岡ながおか夏妃なつき


「それらの意味するものは?」


「謎」


「検索してみよう。それからBAR.三毛猫でそれとなく情報を当たってみる」


「そうしよう」


 そして、ベリアはマトリクスからログアウトした。


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