第88話【SIDE:シシリー】願いの果てにあるもの①


 久しぶりに、夢を見た。


 辺りが黒く塗りつぶされているのは夢だからなのか、それとも私にとって苦い記憶だからなのか。それは分からない。


 ただ虚空の中に幼い頃の自分がいて、私はそれを見下ろしている。


 夢の中の私はまだ本当に幼くて、そして無力だった。


 ――お父さんっ! お母さんっ!


 幼い私が叫び声を上げる。

 その声は虚しく反響するばかりで、何の解決にもならなかった。


 目の前には二つの人影が転がっている。それは、絶命した父と母だった。


 ――フフフ。これでまた《魔晶石》が手に入る。


 倒れている父と母の傍らで、白髪の男が心底嬉しそうに笑っている。

 へばりつくような、他人の心を抉るような、そんな笑い。


 白髪の男は私の両親の亡骸に手を当てると、そこから黒い石のようなものを取り出す。

 その石は淡い光を帯びていて、不思議な存在感を感じさせた。


 そして、白髪の男が私を一瞥する。


 ――ふっ。まだジョブを授かっていない子供か。なら、用は無いね。


 白髪の男はそれだけ呟くと、黒い石だけを手にして私の元から去っていった。


 ――あ……あ……。


 夢の中の私はすがるようにして父と母の元に膝をつく。


 ――あぁあああああああああああ!


 もう一人の自分が絶叫する声を聞きながら、最悪な感情と共に私はまどろみから覚めていった。


   ***


「千年経っても、忘れられないものね……」


 目を覚まして、ぐっしょりと寝汗をかいているのに気付く。

 今見た夢……いや、昔の記憶のせいだった。


「……」


 私は無言で体を起こし、汗で張り付いた衣服を脱ぎ捨てていく。


 幸いにも湖畔近くの木陰で睡眠をとっていたため、水場には困らなかった。

 湖の中に足を踏み入れ、細い手足を水に付けていく。


 魔族は歳をとっても見た目が変わらないとされているが、私の場合、幼い外見が当時から変わっていないのは呪いのようなものではないかと思ってしまう。


 湖水の冷たさに震えるが、沈んだ気持ちごと洗い流してくれるようで、今はその冷たさが逆にありがたかった。


 体を清めた後で衣類を羽織り、最後に自分の肩幅よりも広い魔女帽子を被る。


 亡くなった母が遺してくれた、私にとって大切な形見だった。


「さて、これからどうしましょうか」


 水を浴びたことで幾ばくかは気持ちが晴れたものの、依然として心は重いままだ。


 夢の中の私のように泣き叫ぶことができたなら、少しは楽になるかもしれないのにと、仕方のないことを考える。


 ――俺にとって、お前が魔族だからとかは関係ないからな。


 不意に、彼の言葉が胸の内に浮かぶ。


 始めは利用しようとして近づいたつもりだった。


 私の目的のために役に立ってくれればいいと、そう思っていたはずだった。


 でも……。


 彼にすがることができたのなら、私のこの心の靄も晴れるのだろうか? 助けてと叫べば、彼は手を差し伸べてくれるのだろうか?


「……何を馬鹿なことを。もしかして、本当に惚れちゃったのかしらね」


 そんな言葉を呟いて、自嘲気味に笑う。


 ヴァリアスを殺したいというのはあくまで私個人の、身勝手な復讐だ。無関係の彼を頼って良いものではない。


 そう心に蓋をして、私は視線を上げる。


 私が先程まで水浴びをしていた湖の先には、巨大な滝があった。


 遠目に見ても綺麗な滝だ。水の王国ルーンガイアの地に相応しいなと、そんな印象を抱く。


「……?」


 不意に私は何かの気配を感じ取り、その滝の終点に目を向けた。


 ――魔獣かしら? でも、それとは何か違う感じがしたような……。


 私の持つ【錬金術師】は魔力の流れを操作し、物質の持つ性質を変化させるジョブだ。

 普段から扱っていることもあってか、微細なものでも魔力の流れには敏感だという自負があった。


 そんな私の、第六感めいた感覚が告げる。


 何かがあの滝の元にあると。


 心がささくれ立ったような、そんなざわつきを覚えた私は、その巨大な滝の方へと足を進めることにした。


「さっき気配を感じたのはこの辺りね」


 私は滝の元までやって来て、上を見上げる。


 大きな滝だ。幅も広く、滝の始点は薄い雲がかかるほどに高い。


 しかし、それ以外には特段おかしなところは無いように思える。


「やっぱり、気のせいだったかしら?」


 呟いて元いた場所に戻ろうとしたところ、また何かの気配を感じる。


 ――滝の方から? いや違う。もっとその奥から……。


 私は膨大な水量が降り注ぐ滝に向き直った。

 そして、地に手を付けてゴーレムを召喚し、滝の水を遮るよう命令する。


「こ、これは……」


 そこにあったのは、岸壁をくり抜いたような穴。奥へと続く洞窟だった。


 この奥に何かがある。


 私は予感めいたものを感じ、召喚したゴーレムと共に中へと進んでいく。


 そうして歩き、十分ほどが経っただろうか?


「おやおや、どうやら僕の隠れ家に鼠が侵入したみたいだね」


 開けた空間にいたその男に、私は思わず目を見開く。

 その声とその姿に見覚えがあったからだ。


 いや、見覚えがあるどころの話ではない。


 そこに姿を現したのは、私が追い求めていた白髪の魔族だった。


  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る