第19話 【SIDE:テティ・ハーミット(2/2)】会いたかった人

「では、テティ。こちらに」

「はい」


 クラウス大司教に促されてわたしは祭壇に上がり横向きになる。

 月の光が天窓から降り注いでいて、何だかとても幻想的な光景だった。


 人の血を扱うのは神聖な儀式だからと案内されたが、少しの血を採るだけなのに大げさな感じがする。

 祭壇の横に置いてある金属製の杯も気になった。血を入れる器にしてはやけに大きい。


 ――本当に、血を少し採るだけなのだろうか?


 そんな思いがよぎるが、わたしはすぐにその疑念を手放す。

 余計なことは考えなくていいと、頭の中で誰かに言われた気がした。


「では。始めますよ、テティ」


 クラウス大司教が言って、儀式用の短剣を掲げる。


 あれでわたしの血を少しだけ採って、それを治療薬の原料にするのだ。そうすれば病気にかかった里のみんなは救われる。


 そう、思っていた――。


 ――ザクリッ。


「あぁああああああああああ――っ!!!??」


 痛い、痛い、痛い――!


 激痛――。腕から――。何で……?


 わけも分からず、わたしは反射的に痛みの方へと顔を向ける。


 目に映ったのはわたしの腕に深々と突き刺さった短剣と、おぞましい笑みを浮かべたクラウス大司教の姿だった。


 絶対に少量の血を採取するためではないその行為に、わたしの頭は更に混乱する。


「ク、クク……。アーハッハッハァ!」

「大司教、様……?」

「待ちわびましたよ、この時を! これで……、これであの方に捧げるための《ソーマの雫》が手に入るっ!」

「ソーマの、雫……?」


 クラウス大司教が恍惚とした表情を浮かべながら発した言葉は聞いたことのないものだった。


 いや、今はそれどころじゃない。

 一体何が起きたのか、なぜこんなことをされるのか理解できないが逃げなくては。


 本能でそう感じてわたしは起き上がろうとするが、体はわずかに揺れるだけで思うように動いてくれない。


「な、んで……」

「ほう、私が奴隷錠に魔力を注いでいるというのに抗いますか。これは面白い」

「――奴隷錠? 何のこと……?」

「貴方に付けたその首輪のことですよ。魔力を注ぐことで他人の精神を制御する効果があるんです。実に優れものでしょう?」

「……え? これは病気の進行を遅らせるためのものだって……」

「幼い貴方が奴隷錠の存在を知らなくても無理はありませんがね。これを使って、貴方が余計な疑念を持たないよう思考を制御していたんですよ、テティ」


 クラウス大司教の言っていることが分からない。


 思考を制御――?

 何のために――?

 疑念を持たないよう――?

 何に対して――?


「ど、どういうこと? わたしの血を元にして、それで獣人族みんなを救う薬が作ってくれるはずじゃ……」

「そうですよ、テティ。これで人間達みんなを救う薬が作れるんです」


 クラウス大司教がぬめりと笑う。

 それは一度も見たことの無い顔だった。


「覚醒して間もない獣人族の、処女の生き血。それが私には必要だったんです。私が本当に求める薬を作るためにね」

「本当に求める、薬……?」

「ええ。人の精神を意のままに操る《ソーマの雫》という魔薬まやくですよ。貴方に付けた奴隷錠の量産版とでも言えば良いんでしょうか。これにより多くの人民が救済されるのです」


 何がおかしいのか、クラウス大神官は口に手を当てて声を漏らしていた。

 どこかが狂っている。そう感じさせるような笑い声。


「騙して、いたの……? 獣人族のみんなが病気なのを良いことに……!」

「んー、ちょっと違いますかね。あれは病気ではなく『毒』ですから」

「毒……? まさか……」

「はい。獣人族の方たちが倒れたのは私のジョブ能力で生み出した毒によるものです。いやはや、苦労しましたよ。たかが小娘一匹の生き血を得るためにくだらない演技までする羽目になったんですから。まあ、ここまでくればもうその必要もありませんがね」

「っ――!」


 コイツは……、コイツは……。


 わたしの血を得るために、自分が欲する薬のために、里のみんなを利用したと?

 こんな奴のために、わたしは殺されると?


「んん、この味。実に甘美ですね。さすがソーマの雫の原料となる血だ。甘い甘い」

「ひっ……!」


 クラウス大司教がわたしの腕から溢れた鮮血に舌をわせている。

 狂った表情。不快な行為。


 わたしは逃れようとするが、やはり体は動いてくれない。


「おっと、いけないいけない。貴重な血を私が独り占めするわけにはいきませんね。あの方・・・に献上するためにももっと血を採取しないと。……よっ、と」


 ――ザク、ザクッ!


「あぁああああああああ!!」


 クラウス大司教がわたしの腕を再び突き刺す。

 今まで見たこともない量の血液が流れ出し、クラウス大司教はそれを金属製の杯に注いでいた。


 あまりの痛みに気が狂いそうになって、わたしは身じろぎする。


「ん? 何ですコレは?」


 と、不意にクラウス大司教の手が止まる。


 目の先には一枚の紙が落ちていた。わたしがもがいた際に落ちたらしい。

 クラウス大司教は不快そうに紙を拾い上げる。


 それは、わたしが大切に持っていた、あの人からもらった食事券だった。


「あ……」

「まったく、誰から渡されたか知りませんがこんなもの。もう貴方には必要ないというのに」

「待っ――」


 ――ビリィ!


 クラウス大司教がそれを破り捨て、足で踏みつける。

 名前も知らないあの人の優しそうな笑みがよぎって、わたしの心ごと引き裂かれてしまったかのような感覚だった。


 ――今回のことが終わったら、絶対にあの人のところに行こう。あの時優しくしてくれたおかげで頑張れたと。そうやってお礼をしに行こう。


 そんなわたしの願いが叶うことはもう無いと、そう告げられたような気がした。


「あ、あぁ……」


 瞳から涙が溢れる。

 それが悔しかったからなのか、悲しかったからなのか、それとも怒りによるものだったのかは自分でも分からない。


「そんな……。こんなの、わたしはイヤだ……」

「おおテティよ、そんなこと言わないでください。貴方の犠牲で私の宿願は叶うのです。人を意のままに操れる魔薬を捧げれば、きっと王家にいるあの方・・・もお喜びになるでしょうからね」


 クラウス大司教は両手を広げて嬉しそうに言っている。

 あの方というのが誰のことかは分からないけど、今そんなことはどうだって良かった。


「みんなは……、獣人族のみんなはどうなるの?」

「生憎ですが、人の姿をした家畜どもに構っている暇はないものでね。私の毒におかされたまま、くたばってもらうとしますよ」


 ……。

 …………。


 ――こんな……、こんな理不尽なことがあるんだろうか。


 何だかよく分からない感情が渦巻くのを感じて、わたしはクラウス大司教を睨みつける。


 でも、どうしようもない。

 体がロクに動いてくれないのだ。


「さて、それではそろそろ仕上げといきますか」

「……っ!」


 クラウス大司教はわたしの胸の上で短剣を構えている。

 心臓を目掛けて振り下ろすつもりなのだということは、薄れる意識の中でも理解できた。


「仲間を救うため苦痛に耐える貴方の姿。実に良い見世物でしたよテティ。それでは、さようなら」


 剣がそのままわたしの体めがけて突き出される。

 諦めるには十分だった。


 ――ああ、一度はあの人と話がしてみたかったな。


 そんな想いを最後に、わたしは目を閉じる。


 そして――、


 ――ギィンッ!!


 やってくるはずの痛みはなく、代わりに甲高い金属音が響く。


「な――ッ!」

「このクソ司教が。お前は絶対に許さん」


 目を開けてそこにいたのは、黒い服を着たあの人だった――。

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