84話 離れる不安
「――柚子川さんめっちゃ可愛くね?」
「それな! ツンツンしてた柚子川さんも可愛かったけど、丸くなった柚子川さんは更に可愛い!」
……やばい。
クラスメイトが緋彩の新たな可愛さに気づき始めている。
それは男子だけでなく、女子でさえ歓喜するほどだった。
あのまま教室にいることを危険だと判断した俺は裏に緋彩を連れてきていたのだが、それも間違いだったかもしれない。
裏方で作業していたクラスメイトが、俺の腕に抱き着いてむくれている緋彩を見てざわめいていた。
「あの……離れてくれるか?」
「嫌です。もう離れたくありません」
緋彩の言葉を聞いて黄色い歓声を上げる女子生徒、見惚れながらも俺への鋭い視線は忘れない男子生徒。
そして、周りの反応をそれぞれ違う意味で良く思っていない俺と緋彩。
参ったな……。
緋彩に嫌われたわけではないと分かったのはよかったが、このままでは接客が滞ってしまう。
「そんなに視線を浴びて、なんかあったの?」
どうしようかと頭を悩ませていると、奥で作業していたあかりが人混みからひょっこりと顔を出す。
そうして緋彩を見るなり「あら可愛い」と口に手を当てへにゃりと目を細めた。
「……嫉妬された」
「嫉妬?」
「彼方君のことを引き抜こうしていた同級生がいたんです」
「同級生? ってことは、あいつらは緋彩のクラスの奴らか?」
「そうですよ」
どうやら先程の女子生徒たちは、俺が中学時代にバスケで全国大会に出場したことを知っていたらしい。
それから球技大会で俺に気を持ったらしく、緋彩は彼女たちを見張るべく俺のクラスに来たという。
なんというか、緋彩って独占欲高めだよな。
まぁ彼氏を引き抜かれるかもしれないとなったら不安になる気持ちもわかる。
現に俺は、俺しか知らなかった緋彩の魅力を次々と周りに知られていく様子に不安を禁じ得なかった。
「全く、気をつけてください」
「そうだよ、気をつけなよ」
「いやいや無理があるだろ。俺に気があるなんて知らなかったし」
「彼方君の場合、知ってたとしても信じなさそう」
「それは、そうかもしれない」
彼女たちは俺のどこに気があったのだろう。
たかがバスケが少し他より上手いくらいで本当に好きになるのだろうか。
もしそうだとしたら、零弥や響也でも良かったのではないのか。
「……彼方君は、自分の魅力に気づいていません」
「魅力?」
眉をひそめると、緋彩は俺の腕を抱く力を強めながらコクリと頷く。
「彼方君、今日は髪型を整えてきていますよね」
「そりゃ、いつものボサボサヘアで接客するわけにはいかないからな」
「そのせいで、隠れていた顔があらわになっていますよね」
「そのせい……まぁ、髪型整えたのはそれが理由でもあるし」
「……それがダメなんです」
「なんで!?」
流石に意味が分からないと助けを求めるためにあかりに視線を送るも、彼女は俺を値踏みするように見回して口を開いた。
「まぁ、確かに彼方君もそれなりに顔はいいもんね」
「何を言って――おわっ!?」
あかりの発言を否定しようとすると、緋彩に腕を思い切り引っ張られる。
「自覚してください」
「出来るわけないだろ、自分で自分が格好いいとは思えないし。逆に、緋彩は自分が可愛いことを自覚できてるのか?」
「自負はしています」
「すげぇなおい」
まぁ、あれだけ告白されてりゃ自負くらい出来るか。
「……もう、離れたくないです」
膨らませていた頬を萎ませて、不安げな表情を見せる緋彩。
大切な人が、もしかしたら消えてしまうかもしれない。
緋彩だからこそ、その不安の大きさは計り知れないだろう。
ようやく現れた大切な人を手放したくない気持ちも、過去を経験した彼女ならではだ。
だから俺は、彼女の頭を優しく撫でた。
「俺が好きなのは緋彩だけだ。どこにもいかないから、安心してくれ」
「っ――」
再び教室に、鳴り響く女子たちの黄色い歓声。
うるさいから、切実にやめてほしい。
「……約束ですよ、早く帰ってきてくださいね」
「あぁ」
最後にぎゅっと俺の腕を抱き締めると、緋彩はゆっくりと俺から離れた。
「それじゃあ、また接客に行ってくる。なんか持っていくものとかあるか?」
あかりに尋ねると、彼女は「あっ、じゃあココアを二番に持って行って」とホットココアを手渡してくる。
それを受け取り、引き戸を開け教室を出る際にもう一度だけ緋彩へ視線を向けた。
彼女は未だ不安げに俺を見つめていて、手をお腹の前できゅっと握りしめている。
その姿は、さながら愛しい母親を見送る子供のようだった。
……やっぱり、大好きなんだな。
周りからしてみれば小さな出来事かもしれないが、俺たちにとってはものすごく大きな出来事だ。
ただ少し側を離れるだけでも、胸にこびりつく不安は尋常ではない。
だから俺は、少しでも彼女が安心できるように微笑みかけて教室を出るのだった。
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