38話 緋彩の罪悪感

「おぉー、結構住みやすそうな部屋だね」


 リビングに入るなり、姉さんはいきなりそう零した。

 その言葉に思わず呆気に取られてしまう。


「……特に目立った不満はこの家にはない。伸び伸びとやらせてもらってるよ」


 姉さんは俺たちの話が聞きたかったんじゃないのか?

 ……まぁ無視したいような話題でもなかったし、別にいいか。


「この広さだったら、私一人くらい泊まれそうだね」

「は?」


 ちょっと待て。

 聞き捨てならない言葉が聞こえたような気がするぞ。


「まさか今日……泊まるのか?」


 眉を顰めながら視線を送ると、姉さんは舌をちらつかせながら茶目っ気たっぷりにウィンクした。


「ソファでいいから、ね? お願い〜」


 それから両手を顔の前で合わせて、上目遣いに俺を見てくる。


 きっと俺の部屋に泊まって、遠征の費用を浮かせたいのだろう。

 別に俺は構わないのだが、泊まるつもりだったのなら母さんを通してでも先に行ってほしかった。

 そうすれば緋彩と鉢合わせることにもならなかったはずなのに。


 まぁ、そう思っていても仕方ないか。

 姉さんの懇願に息をついた俺は、「しょうがない姉さんだな」とだけ呟いた。


「でも、そうしたら今日は三人分のご飯を作らなきゃいけませんね……」


 口を開いたのは緋彩だった。

 そして、そこにいち早く食いつくのが姉さんだった。


「三人分って……えっ? もしかして彼方、彼女さんにご飯を作ってもらってるの!?」

「さっきも言ったろ、こいつは彼女じゃない」


 後、緋彩もいちいち「彼女」って言葉に頬を染めなくていいから。


「……そのことについても話すから、とりあえず座ってくれ。今、飲み物出す」


 やはり正直に話すのは失敗だったかもしれない。

 でも俺の事情を知っている姉さんであれば、付き合っていると言ったとしても俺の言動に疑問を持っていただろう。

 結局、緋彩と姉さんが鉢合わせたときから面倒事は避けられない運命だったのかもしれない。


 今度はあからさまなため息をついて、俺は俺たちが座っていなかった方のソファを指差すのだった。






「——で、彼方はそこの緋彩ちゃんと偽の恋人を演じているわけね」

「そういうことだ」


 事の成り行きを粗方話し終えた俺は、乾いた口を潤すために烏龍茶を口に含む。


 俺が話している最中、姉さんは口を挟まずに頷きながら聞いてくれていた。

 先程までのテンションだったら口を挟みそうな気がしないでもなかったが……色々と考えてくれていたのだろう。


「あの……私事に彼方君を巻き込んでしまい、すみません。えっと……」

「柊美幸みゆき。名前で呼んでもらって構わないよ」

「すみません、美幸さん」

「私は全然大丈夫。彼方は人との関わりを拒む生粋の陰キャだから、いっぱい使ってあげて」

「おい」

「だって本当のことじゃない」


 口元に手を当ててクスクスと笑う姉さんを俺は睨みつけるが、自覚していたことなので反論は出来ない。

 姉さんの俺イジりに反応はしてみたものの、俺が本当に反応したかったのはそこではなかった。


 俺は、姉さんの俺イジりに笑みを零している緋彩を見る。


 さっきの彼女の様子からして、俺との関係に罪悪感を抱いているのは明白だ。

 そして、それは出会った頃の彼女にはありえなかった感情。


 彼女は確実に変化してきている。

 俺にとって悪い意味にでも、良い意味にでも。


「私、そろそろ夜ご飯の支度をしますね」

「三人分作れるか?」

「作れますよ。材料に関しても問題ありません」

「じゃあ、よろしく頼む」

「任せてください」


 ソファから腰を上げた緋彩は、意気揚々とキッチンに向かっていった。


「……いい奥さんを持てて、アンタも幸せ者だね」

「だから違うってさっき説明したばっかりだろ! それになんか一つが上がってるし!」


 耳元で囁く姉さんに声を荒げれば、姉さんは悪戯っぽく笑みを浮かべて「トイレ借りるねー」とリビングを出ていった。


 ……ったく、昔っからイジるのが絶えないな。

 ため息をついた俺は、料理している緋彩を見る。

 そのまま、歩み寄った。


「——罪悪感、抱いてたんだな」

「っ……」


 その時、包丁を持つ手が止まった。


「それに、謝るんだったら俺にじゃないのか?」

「……すみません」

「今かよ」


 クスリと笑いながら、俺は冷蔵庫にもたれかかる。


「別に責めてるわけじゃない。それに……罪悪感を抱く必要もない」

「えっ?」


 素っ頓狂な声を上げてこちらを見た彼女に、俺は優しく微笑みながら言った。


「だってお前が巻き込んでくれなきゃ、俺はお前の料理を食べられなかったからな」


 その言葉に目を丸くしたあと、彼女はくすっと笑みを零す。


「料理ですか?」

「だって他のことを言ったらお前、顔赤くするだろ」

「や、やめてください。私だって赤くしたくてしてるわけじゃないんですっ」


 言いながら結局顔を赤くする緋彩。

 本当、可愛い奴だ。


 冷蔵庫を押して立ち直すと、俺は彼女の頭に手を置いた。

 そうしてゆっくりと前にスライドさせて撫でる。


「ありがとうな」

「っ……!」


 最初こそ体を強張らせていた彼女だったが、それも段々と和らいでいく。

 そうして心地良さそうな、とろりとした笑みを浮かべながら俺の手を受け入れてくれた。


 そうして撫で続けること約二十秒。


 遠くからトイレの水が流れる音が聞こえたため、互いに顔を真っ赤に染め上げながら俺はソファへ、緋彩は料理へと再び戻るのだった。

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