29話 手を繋ぐ
……気まずい。
あれからお互いに小説を持ち合って読んでいるのだが、集中することが出来ずにいた。
それはきっと、緋彩がこちらを気にしてくるからだろう。
俺の方をちらちらと見てきているのが視界に入ってくるし、落ち着きもなく見える。
顔もほんのりと染まっていて、それがより一層俺の集中を削いでいた。
最早、お互いに小説を読めるような心持ちじゃなかった。
「……な、なぁ」
「はい! な、なんですか?」
いきなり声をかけたからか、緋彩は体をビクッと震わせながら伸ばす。
そして大声をあげていたことに気づいたらしく、伸びた体を縮こませて俺の様子を伺うように聞いてきた。
「あ、いや、特に何というわけでもないんだが……小説、読めてるか?」
「そ、それは……」
読めている、という言葉を言い辛そうにして俺から視線を外す緋彩。
状況は二人とも同じのようだ。
「何か分からない単語とかは?」
「今のところは、ないです」
ということは単語が分からなくて止まっているというわけではない、か。
何にせよ、小説を読める状況ではないということは変わらない。
じゃあ、一体どうすればいいのか……。
居た堪れない沈黙の中で必死に考えると、俺は緋彩にある提案をすることにした。
「……散歩、しに行くか」
「散歩、ですか?」
さっきのこともあって彼女に声をかけられなかった俺は呟くようにそう言うと、運のいいことに彼女は俺の言葉を受け取ってくれた。
小説に下げていた視線を上げれば、そこにはきょとんとした瞳で俺を見る緋彩の姿があった。
「スーパーで昼飯の食材を買うついでにな。そういえば、昼飯は……」
「お昼ご飯も作りますよ」
俺の言いたいことを汲み取ってくれた緋彩が、全て言い終わる前に答えを返してくれる。
「頼んでもいいか?」
「逆に、作らせてください」
「じゃあ、よろしく頼む」
「分かりました。それじゃあ、そろそろ出ましょうか。小説を読むような状況でもなかったですし」
……緋彩も、きっと俺と同じことを思い、考えていたんだな。
「そうだな」
彼女の苦笑交じりの言葉に、俺も苦笑を浮かべながら応えるのだった。
◆
スーパーに直行して買い物をし帰ってくるだけでは散歩として味気ない。
かと言って、先にスーパーに行ってしまうと荷物を抱えたまま長時間歩かなければいけなくなってしまう。
ということで、俺たちは目的地をとりあえず海に決めた。
夏の強い日差しが降り注ぐ中、内陸よりも比較的風のある海へ涼みに行こうというのだ。
マンションを出て、海に向けて歩を進めていた……のだが、俺はその間あることをずっと気にしていた。
それは、手を繋いでいないということだ。
普段、学校へ行く時であれば俺たちは偽りの恋人を演じるために必ずと言っていいほど手を繋いでいた。
それがここにきて手を繋いでいないというのだから、俺としては違和感が半端でない。
手を繋ぐ時には大体俺からいくのだが、今日は手を繋ぎにいこうとさり気なく手を出しても、さり気なく躱されてしまう。
それがより一層俺を困惑させていた。
休日だから手を繋がないのだろうか。
でも、偽りの恋人を演じるのに平日も休日も関係ないはず。
だとするなら、どうして手を繋がないのだろうか。
……もしかして、嫌われたか?
最近、彼女の行動には不可解な点が増えてきたし、それが全部嫌われたからなのだとしたら頷くしかない。
楽しさを感じて彼女を弄ることも増えてきたし、心当たりはいくつかあった。
「……なぁ」
「……どうかしましたか?」
理由を聞くことに躊躇いを感じながらも、俺は何とか切り出すことに成功する。
緋彩の顔を伺えば、彼女は僅かに俺から視線を外していた。
胸の鼓動が恐怖で早くなるのを感じる。
……やっぱり、嫌われてしまったか。
「ごめんな」
「えっ?」
悲しさと申し訳無さを感じて謝れば、緋彩は目を見開いた。
互いの視線が絡み合う。
「どうして急に謝るんですか?」
「いや……俺、今までお前にたくさん嫌なことをしてきたと思ってな」
「嫌なこと……?」
「嫌なことをして、嫌われて……だから今日、手を繋いでくれないんだろ?」
「てっ、手……ですか?」
そこで緋彩の顔はほんのりと染まった。
顔を強張らせながら、視線を彷徨わせる。
図星……か?
「だから、今まで嫌なことをしてきてごめんなって」
「ちょ、ちょっと待って下さい!」
大声を上げると、緋彩はいきなり俺の前に立ちはだかった。
そのせいで、俺は歩く足を止めてしまう。
「な、なんだ?」
「手を繋がなかったのは事実です! でも、だから彼方君を嫌っているわけではありません!」
「そうなのか?」
「そうです! そもそもとして、彼方君が私に嫌なことをしたことなんて一度もありません!」
「でも俺はお前を弄ったり、昨日の帰り際でなんかお前のことを笑っただろ」
俺のことを嫌うには十分な理由になるはずだ。
そういう意味合いを込めて言ったが、彼女は首を横に振った。
「確かに昨日のことは少し嫌でしたが、それだけで彼方君を嫌うことは出来ません! 弄ることに関しても……私はそれをきっかけに、更に彼方君と接することが出来たので、嫌とは思っていません。と言っても、私は弄られることが好きなわけでありませんからね!? 弄られて嬉しいみたいなマゾではありませんからね!?」
「お、おう」
急に早口で訂正する緋彩に気圧され、俺は尻込みしてしまう。
「彼方君を嫌っているから手を繋いでいないのではないんです」
「……だとしたら、どうしてお前は俺と手を繋いでくれないんだ?」
「そ、それは……」
先程、俺が「小説、読めてるか?」と聞いたときよりも遥かに言い辛そうにする緋彩。
何かを言おうと口を開いて、閉じて、また開いてを繰り返している。
やがて体をよじり、瞳を伏せると……。
「……言えません」
「えっ?」
彼女の一言に、俺は思わず素っ頓狂な声を上げてしまった。
「どうして?」
「言えないからです」
「こんなに引っ張ったのにも関わらず?」
「言えません」
どうして言えないのだろう。
「やっぱり、俺を嫌ってるからじゃ……」
「違います! どうして急にそんな女々しくなってしまったんですか!?」
そりゃ不安だからだよ。
こうなっても仕方がないだろ。
「と、とりあえず! 早く行きましょう! お昼ご飯が遅くなりますよ!」
何故彼女が手を繋がないのか。
それがどう考えても俺には分からない。
でも繋げないわけではないようだ。
それが、緋彩に嫌われているのではないのかという不安を晴らしてくれた。
彼女は俺の前を歩く。
しかし、その手は俺の手をいつもよりも強い力で握ってくれていた。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます