11話 氷の姫と自宅へ

「――お、お邪魔します」

「ん」


 俺とともに、手提げ袋を持った柚子川が恐る恐るといった感じで俺の部屋に入ってくる。


「……お前、男の家に入るのに抵抗感なかったんじゃなかったのか?」

「柊君が焦らすようなことをしたからです。一体何十分待たされたと思ってるんですか」

「でも、お前だって汚い部屋に上がりたくないだろ?」

「それでも時間かかりすぎです」

「それは……とりあえず、中に入れよ。いつまでもここに突っ立ってるわけにはいかないだろ」

「っ……は、はい」


 柚子川がここまで怒っているのには理由がある。

 スーパーで買い出しを終えたあと、俺たちは俺たちの家があるマンションに帰ってきていた。

 お互いの部屋がある階まで上がってくると、俺は「部屋を片付けたいから一旦自分の部屋に戻っていてくれ」と柚子川に頼んだ。


 そうして彼女を待たせた時間は……三十分。

 時刻は七時を回っており、七月初旬とは言えど日はほとんど顔を隠していた。


 申し訳ないとは思っている。

 だが、それを言葉に出来るほど彼女が表情を暗くしてもいなければ、俺が素直になるつもりもない。

 少しでも余裕のあるときに素っ気なくしておかないと距離の縮む速度が早まってしまうと感じたため、俺はあえて謝罪の言葉を口にはしなかった。


 靴を脱ぎ、バスルームやトイレ、納戸へと続く扉のある廊下を通って、リビングに足を踏み入れる。


「やっぱりというか、部屋は全く同じですね」

「そりゃそうだろ。違う部屋だったらそれはそれで驚きだ」


 俺たちが住んでいるマンションは、俺たちが通っている高校以外にも大学やスーパーなどから近く、間取りも一人で住むのにも申し分ない1SDKと、一人暮らしを始める高校生や大学生に人気のある物件だった。


 そんな中俺と柚子川が隣同士の部屋になったのだから、確率的に言えば奇跡なんだろうな。

 願っていたわけでも、望んでいたわけでもないが。


 ……思考していた俺は、そこで会話がなくなったことに気付く。

 ふと視線をやると、そこには視線を泳がせながらどこかそわそわとしている柚子川がいた。


「緊張してるな」

「う、うるさいです。男子の部屋に入るのは初めてなので、これはしょうがないんです」


 姫様はどこまでも初心のようだ。

 そしてその初心さが、俺の心臓を刺激してくる。

 切実にやめてほしい。


「そうかよ。とりあえず、そこのソファにでも座っとけ。今お茶を出すから」

「お、お気遣いなく……」

「テンプレだな。どうする? 何か飲みたいものとかあるか?」

「……何があるんですか?」


 結局食いついてくる柚子川に、俺は思わず笑ってしまうそうになる。

 そのスタンスでいくなら最後まで突き通せよな。

 ……まぁ、どのみち飲み物は出そうと考えていたが。


 俺は心の中で呟きつつ、キッチンにある冷蔵庫を開けた。


「烏龍茶、コーラ、オレンジジュース。後は棚にココアとかコーヒー、紅茶なんかがある」

「結構バリエーション豊かなんですね」

「棚に入ってるものは大体母さんが置いてったものだからな。でも、今は暖かいものを飲む気分じゃないだろ?」

「そうですね。烏龍茶、貰えますか?」

「了解」


 冷蔵庫から烏龍茶を、食器棚からコップを取り出し注ぐ。

 それを行儀良くソファに座っている柚子川の前にあるセンターテーブルに置いた。


「……すみません、ありがとうございます」

「変に気を遣う必要なんかないからな。それだけ緊張してたら、きっと料理にも支障が出るだろ」

「別に、これくらい大丈夫です」

「強がるなって。くつろいでもらって構わないから。別に俺は気にしないし」


 言いながら俺は反対にあるソファに腰を深くかけ、柚子川と向き合う形になる。


 どこまでも素直じゃない奴だ。

 俺も人のことは言えないが、きっと彼女ほどではないだろう。

 ……多分。


「柊君は、女子を部屋に入れることに緊張しないんですか?」


 烏龍茶の入ったコップに両手に取り口をつけた柚子川は、ある程度飲んだところで俺に尋ねてくる。


「多少は緊張してる」


「今でもどこかに物が落ちてないか気になって仕方ないからな」と苦笑しながら続けると、前方から睨みつけるような視線が飛んできた。


「……そんな風には見えないんですけど」

「これでも装ってるからな。俺はお前と違って弱いところは見せないから」

「一言余計です。それに、今それを言ったら装ってる意味がなくなりませんか?」

「それは……確かに、そうかもしれない」


 しまった、不覚だった。


「これも緊張の現れですかね」

「……別に」


 柚子川の嘲笑うような嫌な笑みを避けるように、俺は視線を逸らす。


 自分が思っている以上に俺も緊張しているようだ。

 だが、それも仕方ないと言える。

 だって、相手はあの氷の姫だ。

 そのへんの女子とは一線を画す容貌を持っている彼女を家に上げるのだから、緊張して当たり前なのだ。


 それに、あの調子だと彼女の緊張をほぐすことも出来たようだし、緊張して正解だったと言える。


 ……緊張して正解だった、とか何考えてるんだ俺。


「そろそろ、料理を始めましょうか。誰かさんのせいでもう七時半になりますし」

「あくまで厭味いやみったらしく言うのな」

「実質、厭味ですし」

「……悪かったよ」


 ここまで言われると、流石に謝らないわけにもいかなかった。

 この状況では柚子川が一枚上手か。


「何を三十分も片付けていたんですか。そんなに汚かったんですか」


 持参してきていた手提げ袋から花柄のエプロンを取り出すと、制服の上に身に着けながら柚子川が問いかけてくる。


「……緊張してるって言っただろ。そこまで汚くはなかったと思うが、気になって隅々まで綺麗にしてたら時間かかったんだよ」

「なんというか、可愛いところもあるんですね。初心なんですか?」

「うるせぇ。というか、お前が言えたことじゃないだろ!」

「何がですか?」


 髪を後ろでいながら、柚子川はきょとんとした顔でそんな腑抜けたことを言った。

 その姿に、思わず拍子抜けしてしまう。


「……何でもない。とりあえず、早く作ってくれ。何か手伝うことあるか?」

「特にないです。ソファにでも座って待っていてください。調味料お借りしますね」

「シンクの下の扉を開けたところにある。ある程度は揃ってる筈だから」

「分かりました」


 ……あいつ、自覚なかったのか。

 あれは自覚していてもおかしくないほどの初心さ加減だろうに。

 呆れすぎて、そのことを言及する気力も湧かなかった。

 まぁ、腹が減っているからというのもあるのだろうが。


 ……何も考えず、静かに待つとするか。


 俺は制服の下のポケットに入れていたスマホを取り出し、明かりをつける。

 そうしてスマホをつつき始めてから二十分ほど経過したその時。


「……何だ?」


 突然、食器の割れるような音がした――。

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