第5話 イブのお仕事
開店時刻からお客様が途切れることはない。狭い店内に入り切らず、外に長く行列が出来た時間もあった。
「寒い中長くお待ちいただいてありがとうございました」
労いの気持ちを添えることは忘れてはいけない。
家族全員であれでもない、これがいいとショーケースの前で賑やかなお客様、家族代表なのかひとりで大きなケーキをお持ち帰りのお客様。中にはこんなお客様も。
「あの……。すみません。これ、当店の予約票ではないのですが……」
年に一度のこと。お引取りのお客様が注文者と別の人なら充分に起こりうること。ましてケーキ店への来店が不慣れなお客様ならなおのこと。
「え!? ごめんなさい。……えっとそれで、このお店、どこですか?」
思わぬ道案内を仰せつかることもありました。
そんな中でやはりというかゆうこさんはさすがのお客様捌き。宣言通りの「本気」が見えて、ああ、やっぱりすごい。そう思える頼もしい存在だった。
小野寺くんは「目標が低い」と言ったけど、今の私はまだまだゆうこさんに及ばない。だけど憧れているだけじゃだめなんだ。見て、倣って、そしていつかは越えるつもりでいないと。「目標を高くする」って、きっとそういうことだよね?
焦らないで、しっかりひとつずつ。私のヴァンドゥーズ人生は、まだ始まったばかりなんだから。
けれど意気込んでどれだけ頑張っても現実はやはり四人で回すはずのところを二人でやっているのが事実なわけで。お客様にお待ちいただく時間はどうしても延びてしまう。そして当然お客様はそんなこちらの事情は知らない。だから普段は優しいお客様も、次第に苛立ちを隠せなくなってしまうんだ。
「ずいぶん待ったわ」
このひと言には頭を下げるよりほかない。貴重なお時間。お金で買えないもの。わかっていてもどうにも出来ないのがもどかしい。
「人が少なすぎるんじゃない?」
はい。ごもっともでございます。
「予約の時間、ずいぶん過ぎてるんだけど」
たいへん申し訳ないです。
そして常連のお客様からは当然こんな質問も。
「小野寺くんは?」
彼は今や多数のファンを持つ人気ヴァンドゥール(男性販売員)ですから。場合によっては彼を厨房から引っ張り出して来る、なんてことも。過労小野寺に接客なんてさせて大丈夫か、と心配したけど、そこはさすが、プロの気迫でした。
そうしてたくさんのお客様のお相手をさせていただく中、どれだけ確認して、気をつけていてもなかなか避けられないのが、まちがい。
これが全く出ないクリスマスというのは、どれだけ小さなお店でもないんじゃないかと私は思う。そんなことを言えばまた鬼の小野寺に
お店を出たお客様を慌てて追いかける、なんて冷や汗の出る出来事もありました。
さらに厄介なのがお客様の「かんちがい」や「伝達不足」。これにはベテランのゆうこさんもさすがに参ります。
「ですから、苺デコレーション6号を、モンブラン6号に変更とお伺いしておりましたが……」
「ええー? 苺だって聞いてたんだけどねぇ」
「ご家族に確認はできませんか?」
「夜までは無理だね」
「では夜にご確認後に取りにいらっしゃれませんか」
「うーん。もらって来といてって言われてるからなぁ。それに時間もたぶん遅いよ、かなり」
「いかがいたしましょう」
「苺でいいや。苺が食べたいし」
「お持ち帰りいただいたあとは交換できませんが、よろしいですか?」
「えー。そう言われるとなぁ」
結局は苺デコレーションを持って帰られたけど、ご予約票ではモンブランに変更、となっている。つまりは当日販売用の苺デコレーションを回したので結果的にはモンブランが余分にお店に残る形となった。こういうの、もやもやするからとっても嫌だ。
「絶対家で叱られるんだよ、さっきの人」
ゆうこさんが小さくこぼした。幸いなのはこういう事案を見越して値段を同じにしていたことと、苺デコレーションが余分にお店にあったこと。もし逆だったらモンブランの余分なんか無かった。そうしたらお客様はどう思われただろう……考えただけで白目になりそう。
気がつくともうお昼はとっくに過ぎていて、厨房では昨日同様シェフと小野寺きょうだいによるデコレーションケーキ工房が始まっていた。
「あんみつちゃんごめん、休憩入れてあげれなくて」
こういう時に前にアニメで見た『一粒食べれば満腹になる☆』なんて夢みたいなグミが実在すればなぁ、と本気で思う。
そうか、私、栄養が足りないんだ。栄養と水分。ゆうこさんから言われた途端に身体が猛烈にそれを欲しているのを脳がやっと感知した。
「そこにね、ゼリー。飲むやつあるから、今のうち、こっそり飲みな。二個でも三個でも。お茶や水も、暇見つけて必ず飲んでね」
ゆうこさんを拝みながら陰に隠れて補給する。わあ、これってこんなに美味しかった!?
ぎゅおお、と瞬時に飲み干した。うおお、生き返る。気休めかもしれないけど。
そうしてまた、私はお客様の海へぶくぶくと潜っていく。
次に、ぷは、と息つぎをしたら外はもう暗かった。ショーケースは空っぽ。あとはご予約の受け取り待ちが数点あるのみとなっていた。
「ひあー」
「おつかれさま、あんみつちゃん」
もやっとする事案も少しはあったにせよ、たったの二人で回したにしては今年のイブは上出来だった。と、感動に浸ろうとしたところだった。
「ゆうこ。あんみつちゃん借りれる?」
ひいいいい。
悪魔の声がする……。
そう。足がどれだけぱんぱんだろうとケーキ店の仕事はまだまだ終わらないんだ。
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